林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻六 南朝正平二年・北朝貞和三年(1347)~
巻六 南朝正平二年・北朝貞和三年(1347)~
南朝正平二・北朝貞和三 足利尊氏、小笠原政長をして、信濃守護職並びに所領等、、、
南朝正平二・北朝貞和三 前信濃守護小笠原貞宗、卒す、
南朝正平二・北朝貞和三 信濃の僧良中、大本、建仁寺大龍庵造営の化緑疏をつくる、、、
南朝正平二・北朝貞和三 花園法皇、慧玄関山、に、妙超宗峯、の門派再興及び、、、
南朝正平二・北朝貞和三 花園法皇、妙心寺内の法皇の寿塔玉鳳院を同寺住持慧玄、、、
南朝正平二・北朝貞和三 妙在、此山、山城真如寺主持となり、入院す、
南朝正平二・北朝貞和三 是より先、諏訪社上社大祝諏訪頼嗣、信濃国司を望みて、、、
南朝正平二・北朝貞和三 是より先、大徳寺雑掌宗秀、同寺領佐久郡伴野庄地頭、、、
南朝正平二・北朝貞和三 足利直義、光厳上皇の旨に任せ、味方に馳参ずべきを、、、
南朝正平二・北朝貞和三 北党小笠原信濃守、山名時氏・細川顕氏に属して、、、
南朝正平二・北朝貞和三 山内通時、所領筑摩郡下平田郷地頭職等を子熊寿丸通継、、、
南朝正平二・北朝貞和三 宗良親王、吉野へ上らんとして、伊那郡大河原を発し、、、
南朝正平三・北朝貞和四 小笠原某、高師直の軍に属し、河内四条畷に楠木正行の、、、
北朝貞和四・南朝正平三 是より先、妙心寺住持慧玄、関山、彦部七郎の、同寺領、、、
北朝貞和四・南朝正平三 是より先、勇健、大歇、建仁寺住持円旨別源、の会下に、、、
北朝貞和四・南朝正平三 信濃の僧周祭、鑑渓、天龍寺に於て、蔵主寮に拠つて乗払、、、
北朝貞和四・南朝正平三 霊見、性海、元国に疾み、鎮江府龍遊寺金山、に掛塔せる、、、
南朝正平四・北朝貞和五 小槻匡遠、山城大徳寺領佐久郡伴野庄の役夫工米所課の、、、
南朝正平四・北朝貞和五 北朝除目、源有範、信濃介に任ぜらる、
南朝正平四・北朝貞和五 是より先、幕府、武蔵称名寺雑掌の訴に依り、、、
南朝正平四・北朝貞和五 北朝県召除目、源利治、信濃守に任ぜらる、
南朝正平四・北朝貞和五 光厳上皇、妙心寺住持慧玄関山、の訴に依り、、、
南朝正平四・北朝貞和五 信濃の僧前筑前聖福寺住持元中、秀山、寂す、
南朝正平四・北朝貞和五 是より先、出雲杵築社祠官千家孝宗、甥同資孝と、、、
南朝正平四・北朝貞和五 上田市宗吽寺の石造燈籠成る、
南朝正平四・北朝貞和五 足利直義、越中守護桃井直常をして諏訪松犬丸康嗣、の、、、
南朝正平四・北朝貞和五 是より先、高師直、足利直義と隙あり、、、
南朝正平四・北朝貞和五 足利尊氏、高師直の訴に依り、直義の党上杉朝定等を、、、
南朝正平四・北朝貞和五 北朝、延暦寺衆徒の訴により、毘沙門堂僧正実尊の、、、
南朝正平四・北朝貞和五 幕府、山城等持寺に法華八講を修す、、、
南朝正平四・北朝貞和五 大徳寺住持義亨、徹翁、同寺領庄園文書目録を注す、、、
南朝正平五・北朝観応元 幕府的始、小笠原六郎等、射手を勤む、
南朝正平五・北朝観応元 山城祇園社領越中高木村前給主諏訪円忠代官使者石瀬二郎、、、
南朝正平五・北朝観応元 幕府、武蔵称名寺雑掌光信の訴に依り、大井光長等をして、、、
南朝正平五・北朝観応元 北朝県召除目、安部豊房、、信濃権守に、、、
南朝正平五・北朝観応元 北朝除目、藤原行盛、信濃守に任ぜらる、
南朝正平五・北朝観応元 山城祇園社正禅等、善光寺等参詣のため、下向す、、、
南朝正平五・北朝観応元 阿曽沼秀親、所領伊那郡飯田郷地頭職等を嫡子に譲る、
南朝正平五・北朝観応元 信濃・越後・常陸等に叛徒蜂起すとの風聞京都に達す、、、
南朝正平五・北朝観応元 是より先、諏訪貞継、上洛し、京都四条坊門に居をとす、、、
南朝正平五・北朝観応元 下伊那郡三穂村興徳寺の阿弥陀如来像成る、
南朝正平五・北朝観応元 足利尊氏、九州鎮定に下向せんがため、信濃守護、、、
南朝正平五・北朝観応元 足利直義、知久四郎左衛門尉を伴なひ、京都を出奔す、
南朝正平五・北朝観応元 諏訪頼嗣、諏訪社上社に所領を寄進す、、、
南朝正平五・北朝観応元 足利直義、諏訪三郎左衛門尉跡代官の、摂津夛田院領、、、
南朝正平五・北朝観応元 勇健、大歇、伊那郡に帰郷して、同郡の澄心庵に寓す、、、
南朝正平六・北朝観応二 是より先、諏訪直頼、足利直義に党し、京都より信濃に、、、
南朝正平六・北朝観応二 小笠原政長父子等、足利直義の山城八幡の陣に参ず、
南朝正平六・北朝観応二 宗良親王、叡山に至るとの風聞あり、
南朝正平六・北朝観応二 足利義直党諏訪直頼、市河経助等を率ゐて、、、
南朝正平六・北朝観応二 小笠原政長、京都の居館を焼き、足利直義の軍に奔る、
南朝正平六・北朝観応二 是より先、諏訪直頼、市河経助等を率ゐて、高師冬等を、、、
南朝正平六・北朝観応二 小笠原政長、所領美濃中河庄内の地を石王丸政清、に譲る、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利直義、知久四郎左衛門をして、僧好専を誅せしむ、
南朝正平六・北朝観応二 道善卒す、尋で、宝篋印塔成る、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏の軍、摂津兵庫に至る、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利義詮、丹波より京都に攻入らんとすとの風聞あり、、、
南朝正平六・北朝観応二 北朝除目、源秀時、信濃守に任ぜらる、
南朝正平六・北朝観応二 霊見、性海、元国より帰朝す、
南朝正平六・北朝観応二 是より先、毛見実綱、木嶋五郎二郎の、高井郡毛見郷、、、
南朝正平六・北朝観応二 是より先、僧房玄、相模久遠寿量院別当職につき、、、
南朝正平六・北朝観応二 幕府、武蔵称名寺雑掌光信の訴に依り、祢津宗貞等をして、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏の党小笠原為経・同光宗等、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利直義、京都を脱れ北国に赴く、諏訪直頼等、之に随ふ、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏の党小笠原為経の軍、足利直義の党香坂美濃介と、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏、小笠原政長をして、足利直義の軍の信濃入国を、、、
南朝正平六・北朝観応二 畠山直顕、祢寝清成一族の戦功を、足利直冬に披露、、、
南朝正平六・北朝観応二 光厳上皇、慧玄関山、を再び妙心寺住持となす、
南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏、丹波瓦屋庄を山城天龍寺に寄進す、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏の党小笠原政長の軍、信濃より遠江に入り、、、
南朝正平六・北朝観応二 諏訪円忠、所領近江赤野井村及び三宅十二里を、、、
南朝正平六・北朝観応二 足利尊氏、諏訪直頼をして、高梨経頼等の、武蔵称名寺、、、
正平六 諏訪社上社大祝諏訪信嗣、神長守矢頼実をして、伊那郡飯田郷を安堵せしむ、、、
正平六 足利尊氏の党小笠原為経の軍、足利直義の党諏訪直頼の軍と、、、
正平六 足利尊氏、小笠原政長の信濃に於ける戦功を賞し、、、
正平六 足利義詮、信濃春近領半分上杉藤成跡、地を、小笠原政長に宛行ふ、
正平六 足利直義、伊豆国府津に、同尊氏の軍と戦ひて敗る、、、
正平六 滋野光重、所領小県郡海野庄田中郷内の地を叔父宗氏・大熊女子等に譲る、
正平六 足利尊氏の党小笠原政長の軍、甲斐に入り、足利直義の党武田貞政を、、、
正平六 勇健、大歇、美濃大円寺に同寺住持祖一峰翁、に参じて、省悟あり、
正平六 田代基綱、諏訪円忠の、基綱の所領近江三宅郷十二里地頭職等を押領するを、、、
正平七 前東福寺住持義冲、大陽、寂す、、、
正平七 足利尊氏、小笠原政長をして信濃春近領を、同長基をして同所欠所分を、、、
正平七 高梨経頼、高井郡北笠原上条郷内夜交村を宛行はる、
正平七 諏訪円忠、洞院公賢を訪ひ、世事を談ず、
正平七 後村上天皇、宗良親王を、征夷将軍に任ず、、、
正平七 足利直冬の将仁科盛宗、吉河経兼等をして、石見三隅城を守らしむ、
正平七 是より先、新田義宗・同義興等、兵を上野に起し、武蔵を攻略す、、、
正平七 宗良親王、新田義宗等と共に信濃等の軍を率ゐ、足利尊氏の軍と、、、
正平七 上杉朝定、信濃に卒す、
正平七 足利尊氏、諏訪左近蔵人をして、陸奥の南党討伐に合力せしむ、
正平七 是より先、小笠原政長、鎌倉より信濃に帰り、諏訪直頼の党を攻む、、、
正平七 宗良親王、諏訪社上社大祝及び滋野氏等の軍を率ゐ、信濃を発して、、、
正平七 足利尊氏、同義詮に命じ、山城臨川寺をして、諏訪円忠の寄進にかかる、、、
正平七 足利尊氏、信濃春近領並びに同欠所分を、小笠原政宗に宛行ふ、
正平七 前南禅・東福両寺住持師錬虎関、七周忌、、、
正平七 武蔵称名寺雑掌幸円、嶋津宗久跡の輩の、同寺領水内郡太田庄大倉郷を、、、
南朝正平七・北朝文和元 真壁光幹、常陸真壁郡山田郷内の田在家を、、、
南朝正平七・北朝文和元 信濃国、所役を弁済せざるに依り、、、
南朝正平八・北朝文和二 武蔵称名寺雑掌光信、重ねて、嶋津宗久跡代官並びに、、、
南朝正平八・北朝文和二 南党楠木正儀等、足利義詮の軍を山城神楽岡に破る、、、
南朝正平八・北朝文和二 小笠原長基、南党仁科右馬助・香坂美作守等と合戦し、、、
南朝正平八・北朝文和二 僧成俊、姨捨山の麓に、万葉集を注す、
南朝正平八・北朝文和二 埴科郡屋代町出土の板碑成る、、、
南朝正平九・北朝文和三 足利直冬、河原太郎右衛門尉に、石見国角井村等の地の、、、
南朝正平九・北朝文和三 法性、多重塔を佐久郡熊野社に寄進す、
南朝正平九・北朝文和三 足利尊氏の将石塔義基、諏訪二郎三朗をして、陸奥の南党、、、
南朝正平九・北朝文和三 勇健大歇、美濃大円寺住持祖一峰翁、より印可を受く、
南朝正平一〇・北朝文和四 勇健、大歇、美濃大円寺住持祖一峰翁、より払子を附与、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 小笠原政長、足利尊氏の軍に属し、南党足利直冬の軍を、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、足利尊氏、その母上杉清子十三回忌追善、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、北党小笠原長基、南党上杉憲将・祢津宗貞等、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 南朝、矢嶋正忠を従五位下に叙す、
南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、宗良親王、諏訪社上社並びに下社祝、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 伊那郡開善寺、洪鐘を鋳造し、同寺住持清誾、中山、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、春日社領播磨志深庄雑掌源尊、同庄の、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、京都緒五山の尊宿、諏訪貞継のために、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 是より先、村上貞頼、山城平等院末寺善縁寺並びに、、、
南朝正平一〇・北朝文和四 山城臨川寺住持契愚、柳渓、寂す、、、
南朝正平一一・北朝延文元 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝正平一一・北朝延文元 妙心寺住持慧玄、関山、門弟宗弼授翁、を印可す、
南朝正平一一・北朝延文元 諏訪円忠、諏訪社祭絵を再興せんとし、、、
南朝正平一一・北朝延文元 足利義詮、嶋津貞久をして、水内郡太田庄、、、
南朝正平一一・北朝延文元 足利義詮、小笠原政長跡同長基等一族に貢馬を徴す、
南朝正平一一・北朝延文元 足利直義の党上杉憲将、高井郡に陣し、足利尊氏の党、、、
南朝正平一一・北朝延文元 幕府、諸国関津に令して、園城寺造営料木を勘過せしむ、、、
南朝正平一一・北朝延文元 是より先、諏訪円忠、諏訪大明神画詞を再興す、、、
南朝正平一一・北朝延文元 是より先、嶋津貞久、諏訪社を薩摩山門院に勧請、、、
南朝正平一一・北朝延文元 幕府、妙在此山、を建仁寺住持となす、、、
南朝正平一二・北朝延文二 洞院公賢、山城長福寺開山道皎月林、に国師号追諡、、、
南朝正平一二・北朝延文二 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝正平一二・北朝延文二 是より先、山城永円寺如導、無人、善光寺に詣で、、、
南朝正平一二・北朝延文二 鶴岡八幡宮寺供僧賢重寂す、
南朝正平一二・北朝延文二 是より先、勇健、大歇、建仁寺に徳見竜山、円月中厳、、、
南朝正平一二・北朝延文二 是より先、西寺別当深源、祐厳と同寺別当職を、、、
南朝正平一二・北朝延文二 足利尊氏・同義詮、疎石夢窓、七年忌法要参列、、、
南朝正平一二・北朝延文二 幕府、高梨永高をして、高井郡吉田郷等の地を領知、、、
南朝正平一三・北朝延文三 佐久郡新海社の御魂代石成る、
南朝正平一三・北朝延文三 僧了妙、水内郡沼尻琵琶嶋弁才天に大般若経を施入す、、、
南朝正平一三・北朝延文三 幕府弓始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝正平一三・北朝延文三 北朝県召除目、久我具通、信濃権守に任ぜらる、
南朝正平一三・北朝延文三 足利尊氏薨ず、尋で、諏訪円忠、遺骨のことにつき、、、
南朝正平一三・北朝延文三 足利義詮、諏訪円忠をして、故足利尊氏の贈官のことを、、、
南朝正平一三・北朝延文三 諏訪円忠、洞院公賢に書を遺りて、足利尊氏位牌の、、、
南朝正平一三・北朝延文三 諏訪円忠、将軍足利義詮の除服以下のこと等につき、、、
南朝正平一三・北朝延文三 建仁寺天潤庵塔主宗任、大用、景徳伝燈録を重刊、、、
南朝正平一三・北朝延文三 是より先、足利義詮、征夷大将軍に任ぜらる、、、
南朝正平一三・北朝延文三 是より先、天龍寺焼け、同寺住持徳見竜山、退院す、、、
南朝正平一三・北朝延文三 是より先、信濃の僧良中、大本、元国より帰朝す、、、
南朝正平一三・北朝延文三 神道集成る、、、
南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、足利義詮参内の装束・行粧等のことにつき、、、
南朝正平一四・北朝延文四 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝正平一四・北朝延文四 是より先、崇光天皇、天龍寺開山疎石夢窓、に普済国師、、、
南朝正平一四・北朝延文四 天龍寺化主周信、義堂、同寺造営の募縁を終へて、、、
南朝正平一四・北朝延文四 北朝県召除目、八木重治、信濃権目に任ぜらる、
南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、足利尊氏一周忌法華八講証義の請定の手続、、、
南朝正平一四・北朝延文四 光林放牛、を南禅寺住持となす、、、
南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、足利尊氏一周忌追善等持寺結縁灌頂の、、、
南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、足利尊氏一周忌追善法華八講につき、、、
南朝正平一四・北朝延文四 幕府、足利尊氏一周忌追善のため、庭儀・結縁灌頂、、、
南朝正平一四・北朝延文四 後醍醐天皇妃藤原廉子(新侍賢門院)、崩ず、、、
南朝正平一四・北朝延文四 東寺雑掌頼憲、飽間光泰の、同寺領播磨矢野庄、、、
南朝正平一四・北朝延文四 天龍寺住持妙在、此山、偈をつくりて、、、
南朝正平一四・北朝延文四 諏訪円忠、醍醐寺房玄を訪ふ、
南朝正平一四・北朝延文四 足利義詮、諏訪社下社大祝をして、天下静謐を祈らしむ、、、
南朝正平一四・北朝延文四 将軍足利義詮、後村上天皇を河内観心寺に討たんがため、、、
南朝正平一四・北朝延文四 勇健、大歇、伊豆修禅寺に大蔵経を閲読す、
南朝正平一五・北朝延文五 山内資綱、子通綱に筑摩郡下平田郷内地頭職等の、、、
南朝正平一五・北朝延文五 二条為定薨ず、、、
南朝正平一五・北朝延文五 北党の将畠山義深、南党四条隆俊の軍を紀伊竜門山に、、、
南朝正平一五・北朝延文五 前開善寺住持明千、古鏡、寂す、
南朝正平一五・北朝延文五 小笠原長基、高井郡志久見郷欠所地を、兵糧料所として、、、
南朝正平一五・北朝延文五 信濃の人、妙心寺開山慧玄、関山、寂す、
南朝正平一五・北朝延文五 後村上天皇、摂津住吉より、信濃の宗良親王に旨を伝へ、、、
南朝正平一六・北朝康安元 信濃の僧妙心寺微笑庵塔主宗峨、雲山、同寺開山慧玄、、、
南朝正平一六・北朝康安元 北朝除目、浦地浪康、信濃権少目に任ぜらる、
南朝正平一六・北朝康安元 沙弥道春、所領水内郡小嶋郷内の屋敷等を公忠に譲る、
南朝正平一六・北朝康安元 僧覚明、孤峰、寂す、是より先、覚明信濃に住す、
南朝正平一六・北朝康安元 近畿大地震に依り、摂津四天王寺金堂顛倒す、、、
南朝正平一六・北朝康安元 諏訪貞継、卒す、
南朝正平一六・北朝康安元 諏訪円忠の弟園城寺僧朝幸、寂す、
南朝正平一六・北朝康安元 幕府、諏訪円忠をして、丹波畑庄欠所地のことを沙汰、、、
南朝正平一六・北朝康安元 北党畠山国清、伊豆に叛す、、、
南朝正平一六・北朝康安元 足利義詮の軍、京都に迫る、、、
南朝正平一六・北朝康安元 勇健、大歇、和泉大雄寺に覚明孤峯、に見えて印可を、、、
南朝正平一七・北朝貞治元 是より先、慧星見はる、、、
南朝正平一七・北朝貞治元 健二寺如是院主妙在、此山、易書記の請に応じて、、、
南朝正平一七・北朝貞治元 南党桃井直常、信濃より越中に兵を進め、、、
南朝正平一七・北朝貞治元 是より先、諏訪貞継、天野遠政と能登能登嶋御厨東方、、、
南朝正平一七・北朝貞治元 後村上天皇、摂津住吉に中秋の名月を賞して和歌を詠じ、、、
南朝正平一八・北朝貞治二 南禅寺住持妙在此山、同寺維那寮の回向冊子に跋す、
南朝正平一八・北朝貞治二 幕府弓始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝正平一八・北朝貞治二 是より先、幕府、諏訪円忠をして、河原院の申請に、、、
南朝正平一八・北朝貞治二 炎旱に依り、木曽川等の河水涸れ、、、
南朝正平一八・北朝貞治二 是より先、山城三聖寺僧玄光、近衛道嗣所領水内郡、、、
南朝正平一八・北朝貞治二 僧観実、山城六波羅蜜寺造営の資を募る、、、
南朝正平一八・北朝貞治二 嶋津貞久、同師久に水内郡太田庄内大倉・石村南両郷、、、
南朝正平一八・北朝貞治二 是より先、幕府、妙葩春屋、を天龍寺住持となす、、、
南朝正平一八・北朝貞治二 幕府、霊見性海、を山城三聖寺住持となす、、、
南朝正平一八・北朝貞治二 紀伊大慈寺住持勇健、大歇、一百箇日の祈祷を行ふ、
南朝正平一九・北朝貞治三 幕府弓始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝正平一九・北朝貞治三 秋田尭勢、信濃に卒す、
南朝正平一九・北朝貞治三 前開善寺住持霊巨、鼇峰、寂す、
南朝正平一九・北朝貞治三 武田希円等、佐久郡追分大明神に大般若経を奉納す、
南朝正平一九・北朝貞治三 良中、大本、相模に来りて疾む、
南朝正平一九・北朝貞治三 幕府、奉行諏訪円忠、卒す、
南朝正平一九・北朝貞治三 紀伊大慈寺住持勇健、大歇、同国かたえ文殊に参詣す、
南朝正平二〇・北朝貞治四 足利義詮、同基氏に命じて、石清水八幡宮法印永清の、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝正平二〇・北朝貞治四 前信濃守護小笠原政長、卒す、
南朝正平二〇・北朝貞治四 良中、大本、円覚寺白雲庵の徒円方無外、の請に応じて、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 山内通継、弟通忠を嗣となし、筑摩郡下平田郷地頭職等、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、円覚寺黄梅院の徒周一、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、同寺の僧一渓の請に、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 信濃守護小笠原長基、同清政に兵糧料所として、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、周誾延和、の請に応じて、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 関東管領足利基氏、高尾張五郎をして同師義と共に、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 武田信光、諏訪社上社に、諏訪郡北大塩内又六在家、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 信濃の僧天誾、如仲、上田に生る、
南朝正平二〇・北朝貞治四 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、円覚寺住持契聞不聞、の、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 小笠原長基、筑摩郡塩尻郷春近折中分を、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 良中、大本、円覚寺黄梅院の徒周一以清、の請に応じて、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 小笠原長基、諏訪直頼と筑摩郡塩尻金井に戦ひ、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 沙弥朝阿、小県郡善福寺に浦野庄内田在家を寄進す、、、
南朝正平二〇・北朝貞治四 法忻大喜、建長寺住持となる、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝正平二一・北朝貞治五 小笠原長基、筑摩郡塩尻郷内東条を、諏訪社下社に寄進、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 関東管領足利基氏、周信義堂、を相模善福寺住持となす、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、蘭隠の請に応じて、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 建長寺玉雲庵塔主良中、大本、周信義堂、に代りて、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 幕府、上杉朝房をして、武蔵金陸寺領小県郡浦野庄、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 関東管領足利基氏、建長寺玉雲庵塔主良中大本、をして、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 関東管領足利基氏、上杉朝房をして、筑摩郡神林郷下村、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 是より先、武蔵称名寺雑掌光信、嶋津師久の、同寺領、、、
南朝正平二一・北朝貞治五 二条良基第年中行事歌合、僧宗久、信濃勅旨牧駒牽の、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 天龍寺住持妙在、此山、上元の節によつて、両班を交替、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 滋野至中、子直連に小県郡海野庄内田中郷内の地等を、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 嶋津師久、嫡子伊久等に、水内郡太田庄南郷等の所領を、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 関東管領足利利基氏、重ねて、上杉朝房をして、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 信濃十九牧大使幸舜、諏訪社下社領伊那郡辰野・諏訪郡、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 信濃の僧円覚寺の徒俊侍者、父の喪に帰郷す、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 北朝、駒牽を延引す、尋で、之を追行す、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 近衛道嗣、所領水内郡芋川庄の知行有名無実なるに依り、、、
南朝正平二二・北朝貞治六 幕府、妙在此山、を再び南禅寺住持となす、、、
南朝正平二三・北朝応安元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝正平二三・北朝応安元 幕府、滋野直連をして、小県郡海野庄内田中郷、、、
南朝正平二三・北朝応安元 諏訪郡慈雲寺の梵鐘成る、
南朝正平二三・北朝応安元 市河瀬房・難波基房、上杉朝房に属し、武蔵河越に、、、
南朝正平二三・北朝応安元 市河瀬房・難波基房、上杉朝房に属し、宇都宮氏綱の、、、
南朝正平二三・北朝応安元 市河頼房、難波基房、上杉朝房に属し、宇都宮氏綱の、、、
南朝正平二三・北朝応安元 前上野長楽寺住持良中、大本、筑摩郡保福寺に寂す、
南朝正平二三・北朝応安元 勇健、大歇、大和定祖庵に隠居す、
南朝正平二三・北朝応安元 小笠原長秀、将軍足利義満の旨をうけて、、、
南朝正平二四・北朝応安二 幕府的始、屋代蔵人大夫等、射手を勤む、
南朝正平二四・北朝応安二 水内郡飯縄山地蔵菩薩像成る、
南朝正平二四・北朝応安二 上杉朝房等、伊那郡大河原に、宗良親王を攻む、
南朝建徳元・北朝応安三 南党新田義宗の将馬淵某・中村某・上杉朝房・畠山基国等、、、
南朝建徳元・北朝応安三 信濃守護小笠原長基、水内郡常岩御牧南条五箇村を、、、
南朝建徳元・北朝応安三 上杉朝房、旨をうけ、藤井下野入道をして、水内郡、、、
南朝建徳元・北朝応安三 経秀、長講堂領但馬七美庄上方の内友真・包弘両名を、、、
南朝建徳元・北朝応安三 南禅寺住持妙在、此山、祖禅定山、の一以大道、を悼む、、、
南朝建徳元・北朝応安三 善光寺焼く、
南朝建徳元・北朝応安三 高梨朝高、高井郡安田郷並びに水内郡大倉郷を宛行はる、
南朝建徳元・北朝応安三 是より先、妙在、此山、至勲の帰郷を送る頌をつくり、、、
南朝建徳元・北朝応安三 諏訪広嗣、その父故円忠の七周忌仏事を営む、
南朝建徳二・北朝応安四 僧存覚、本願鈔を書写し、水内郡善教寺付す、
南朝建徳二・北朝応安四 道妙、鉄剣を鋳造し佐久郡松原明神に寄進す、
南朝建徳二・北朝応安四 直仁親王、伊賀長田庄の替として、近江伊香庄内古橋郷を、、、
南朝建徳二・北朝応安四 是より先、懐良親王、信濃の宗良親王に、九州より和歌を、、、
南朝建徳二・北朝応安四 信濃の僧東源、帰郷す、諸友詩偈を唱和して、之に贈る、、、
南朝文中元・北朝応安五 幕府、師振起山、を山城真如寺の住持となす、、、
南朝文中元・北朝応安五 建仁寺如是院主妙在、此山、周防高山寺住持賢仙某山、の、、、
南朝文中元・北朝応安五 前建仁寺住持良聡、聞渓、寂す、
南朝文中元・北朝応安五 建仁寺如是院主妙在、此山、同寺前住持仁球石麟、の、、、
南朝文中元・北朝応安五 幕府、諏訪郡小井川・山田両郷を諏訪兵部大輔入道に預く、、、
南朝文中元・北朝応安五 信濃の僧曇仲、霊芳、その師興伊大円、に随侍して、、、
南朝文中二・北朝応安六 是より先、建長寺天津橋新造成り、同寺の諸僧、偈を、、、
南朝文中二・北朝応安六 是より先、至鈍大徹、伊那郡飯島に西岸寺を再興す、、、
南朝文中二・北朝応安六 佐久郡津金寺の良慶、善光房、穩海、天台円宗四教五時の、、、
南朝文中二・北朝応安六 経秀、長講堂領但馬七美庄上方の内萩山名を、、、
南朝文中二・北朝応安六 丹後雲門寺住持妙葩、春屋、実際寺に遊び、その門弟、、、
南朝文中二・北朝応安六 信濃守護使重義等、高井郡志久見郷の国司初任正検田、、、
南朝文中二・北朝応安六 明使朱本、詩を丹後雲門寺住持妙葩春屋、に贈る、、、
南朝文中二・北朝応安六 後光厳上皇、妙心寺開山慧玄関山、の塔所微笑庵主宗峨、、、
南朝文中二・北朝応安六 中円、月憚、京都より鎌倉に帰り、妙在此山、の書信を、、、
南朝文中二・北朝応安六 造豊受大神宮御杣美濃白河山採取の用材、伊勢大湊に着く、、、
南朝文中二・北朝応安六 南党新田義宗等、上野新田より、信濃を経て、四国に奔る、、、
南朝文中二・北朝応安六 天誾、如仲、伊那郡上穂山に恵明について経典を習ふ、
南朝文中三・北朝応安七 是より先、印元、古先、信濃盛興寺を開創す、、、
南朝文中三・北朝応安七 嶋津伊久代官本田泰光、重ねて、水内郡太田庄、、、
南朝文中三・北朝応安七 是より先、霊見、性海、一清無夢、の遺偈を分けて、、、
南朝文中三・北朝応安七 幕府、関東執事上杉能憲をして、武蔵称名寺内敷地の、、、
南朝文中三・北朝応安七 東福寺住持霊見、性海、東福寺の徒、孝上人の請に応じて、、、
南朝文中三・北朝応安七 宗良親王、信濃を出でて、吉野に到る、、、
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