林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻十 明応三年(1494)~
巻十 明応三年(1494)~
明応三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、円覚寺帰源庵塔主禅懌叔悦、の、、、
明応三 岡谷市照光寺の大日如来像、成る、
明応三 建仁寺大昌院塔主竜沢、天隠、伊那郡法全寺の僧全竜梅渚、の請に応じ、、、
明応三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
明応三 水内郡長沼淨興寺巧観、本願寺兼寿蓮如、より、和歌を与へらる、
明応三 佐久郡竜雲寺住持祥貞、天英、上野長源寺を退き、同寺に再住す、
明応四 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、建長寺宝珠庵の徒演蔵主義栄、の、、、
明応四 前筑摩郡広沢寺・伊那郡竜勝寺住持梵清、天宙、広沢寺に寂す、
明応四 伊那郡文永寺僧宗詢、信濃に下向せんとし、是日、三条西実隆を訪ふ、
明応四 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、某人の請に応じて、荏柄天満宮神像の、、、
明応四 伊那郡文永寺僧宗詢、亡母の十三回忌法要を行ふ、
明応四 鎌倉風水の災あり、相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、之を慨歎し、、、
明応四 伊那郡文永寺僧宗詢、金剛界念誦私記を抄写す、
明応四 祖正、心伝、木曽定勝寺大般若経の音義を書写す、
明応四 冬至、信濃の僧古心、相国寺住持周麟景徐、の会下に於て、秉払を勤む、
明応四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
明応五 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、建長寺竜華院塔主顕騰竺雲、に招かれ、、、
明応五 恵芳右春、等、木曽興禅寺仏殿を建立す、
明応五 仁科明盛、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、
明応五 美濃愚渓寺大心院塔主玄密、希庵、前妙心寺住持英朝東陽、手沢の、、、
明応五 木曽義清、木曽定勝寺に太鼓を寄進す、 木曽義清並に同義元の書状
明応五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
明応五 幕府、古心を諏訪郡安国寺住持となす、
明応六 幕府、伊那郡開善寺前住持建仁寺禅居庵静光軒主明閦東牧、を建仁寺住持と、、、
明応六 木曽長福寺の徒天沢、淨智寺に掛搭して、後堂首座を勤む、、、
明応六 是より先、武蔵岩槻正等、その所居の斎の図を画かしめ、、、
明応六 諏訪社下社大祝金刺昌春、同社に神鏡を寄進す、
明応六 高梨政盛、同高秀をして高井郡計見郷内の地を安堵せしむ、
明応六 紀伊興国寺西方寺、住持得胤覚窓、・同寺思遠庵塔主善甫、同寺開山覚心、、、
明応六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
明応六 諏訪小太郎の子頼員、諏訪社上社大祝の位に即く、
明応七 周防保寿寺の徒守竹、帰郷せんとす、建長・円覚両寺の諸尊宿、詩を作りて、、、
明応七 本願寺光兼、実如、阿弥陀如来画像に裏書を書し、之を、、、
明応七 筑摩郡広沢寺住持玄固、雪江、越前慈眼寺住持となつて、同寺に赴任し、、、
明応七 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、柿本人麻呂の像に賛す、
明応七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
明応七 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、同国清淨光寺其阿弥陀仏の請により、、、
明応八 諏訪社下社大祝金刺昌春、諏訪郡山田の地を伊勢大神宮に寄進す、
明応八 相摸清淨光寺其阿弥陀仏、同国禅興寺明月院塔主英璵玉隠、に数珠を贈る、、、
明応八 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、薩摩大願寺の徒璵上人の請に応じて、、、
明応八 伊那郡文永寺僧宗詢、牛王根本印明を書写す、
明応八 建仁寺大昌院塔主竜沢、天隠、法燈無本覚心、派下の諸尊宿の請に応じ、、、
明応八 是より先、幕府、相摸禅興寺明月院塔主英璵玉隠、を建長寺住持となす、、、
明応八 後土御門天皇、信濃の僧前寿福寺住持祖杲旭海、に正続朝宗禅師の号を諡す、、、
明応八 上杉朝良、相摸建徳寺に祖父持朝の三十三回忌仏事を行ひ、、、
明応八 松本市瀬黒王徳寺の不動明王像、成る、
明応八 建仁寺大昌院塔主竜沢、天隠、同寺禅居庵永元軒主清光月甫、の請に応じて、、、
明応八 是より先、円覚寺の徒皓采、建長寺宝珠庵の徒祥啓、賢江、をして、、、
明応八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
明応九 諏訪照月の子、頼種、諏訪社上社大祝の位に即く、
明応九 本願寺光兼、実如、聖徳太子画像の裏書を書し、之を高井郡本誓寺性善に、、、
明応九 佐久郡竜雲寺住持祥貞、天英、その徒如麟瑞翁、に仏祖正伝菩薩戒作法を、、、
明応九 諏訪社下社造宮あり、河中嶋小嶋田郷等、同社春宮三之御柱造宮料を、、、
明応九 建長寺西来院塔主英璵、玉隠、済淵の請に応じて、その師、、、
明応九 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺僧宗詢に理性院流聖教等の披見を許す、、、
明応九 南佐久郡中込町の宝篋印塔、成る、
明応九 高梨政盛、夜交景国をして、高井郡下上条等の所領を安堵せしむ、
明応九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
明応九 佐久郡竜雲寺住持祥貞、天英、同寺を如麟瑞翁、に譲り、下野成高寺に遷る、、、
文亀元 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、
文亀元 伊那郡立石寺の僧天海、遠江引佐郡安楽寺より梵鐘を購ふ、
文亀元 是より先、足利義尹、義植、周防に逃れ、大内義興の援によりて上洛の機を、、、
文亀元 筑摩郡須々岐宮の馬頭観世音像の修理、成る、
文亀元 伊勢宗瑞、早雲庵、甲斐攻略のため、諏訪社上社大祝諏訪頼満に、、、
文亀元 尾張守護斯波義寛、遠江鎮定のため同寛元、同義雄等を出陣せしむ、、、
文亀元 伊那郡藤宝寺僧賢宗、仁王像を造立し、毘沙門天・持国天の両像を修理す、
文亀元 小笠原長朝、卒す、
文亀元 伊勢大神宮、豊受大神宮神領更級郡藤長御厨をして、毎年上分並に、、、
文亀元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
文亀元 木曽定勝寺住持慧珍、貴山、同寺々領及び常住什物等の目録を注す、
文亀元 木曽白山権現の修造、成る、
文亀二 連歌師飯尾宗祇、宗長と共に越後より信濃路を経て、是日、上野草津に到る、、、
文亀二 伊那郡文永寺僧宗詢、山城東寺執事頭となる、
文亀二 埴科郡桑井大明神社殿、成る、
文亀二 原豊前守、伊那郡遠照寺の釈迦堂多宝塔を造立す、
文亀二 水内郡長沼淨興寺九世巧観、寂す、
文亀二 鎌倉府執事上杉顕定、亡母妙皓禅尼の三回忌仏事を上野海竜寺に行ひ、、、
文亀二 是より先、仁科盛直、安曇郡に大沢寺を開創し、祖奝絶方、を請じて開山と、、、
文亀二 南佐久郡南相木村新開神社の鰐口、成る、、、
文亀二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
文亀三 小県郡生嶋足嶋神社の鰐口、成る、
文亀三 三条西実隆、松田頼亮に、諏訪社法楽和歌の詠題を送る、
文亀三 是より先、三条西実隆、高梨政盛の為めに古今集を書写す、、、
文亀三 木曽御岳権現の祢宜彦五郎、姓闕く、王御岳登山清女行法巻を書す、
文亀三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
永正元 建長寺住持英璵、玉隠、元旦に上堂説法す、
永正元 伊那郡知久頼為、卒す、 知久宗旭、俗名闕く、宗休大休、より道号を受く、、、
永正元 望月昌頼・同昌純等、佐久郡釈尊寺を修理す、
永正元 高梨政盛、三条西実隆に音信を通ず、
永正元 後柏原天皇、信濃の僧紹允信叔、を山城妙心寺住持となす、
永正元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
永正二 木曽御岳権現の滝神主、土公祭文を改書す、
永正二 高井郡興国寺の梵鐘、成る、
永正二 伊那郡蟠竜院住持瑞秀、雪岫、同郡関郷の三十三所巡礼観音像の、、、
永正二 木曽御岳権現の滝神主、御榊祭文を書す、
永正二 信濃の僧武蔵岩槻淨安寺開山了聞、天誉、寂す、
永正二 高梨政盛、三条西実隆に礼物を贈る、
永正二 諏訪頼満の子、頼隆、諏訪社上社大祝の位に即く、、、
永正二 伊那郡文永寺僧宗詢、雲州往来を同寺密乗院に書写す、
永正二 諏訪湖上に、諏訪大明神の御渡なし、
永正三 駿河守護今川氏親、小笠原定基に書を遺り、三河戸田憲光兄弟の、、、
永正三 小諸市平原の阿弥陀如来廿五菩薩来迎縁起勧進帳、成る、
永正三 知久頼為の三年忌、是より先、その子某、仏事を伊那郡広福寺に修し、、、
永正三 諏訪社下社造宮あり、小県郡常田庄等、同社春宮御柱造宮料を課せらる、
永正三 伊那郡了聖寺の徒慶祐、その亡母妙高松岳、禅尼の三十三年忌仏事を修し、、、
永正三 鎌倉府執事上杉顕定、可諄、その亡母妙皓大姉月山、の七周忌仏事を、、、
永正三 是より先、伊豆伊勢宗瑞、早雲庵、駿河守護今川氏親と共に、、、
永正三 是より先、伊勢宗瑞、使者大井宗菊を遣はし、小笠原定基に協力を求めんと、、、
永正三 是より先、小笠原定基、伊勢宗瑞の請により、三河横林に兵を出す、、、
永正三 三条西実隆、高梨政盛に音信を通ず、
永正三 建仁寺清住院塔主弘稽、古桂、信濃の僧木曽定勝寺の徒聖贇の請に応じて、、、
永正三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
永正三 美濃土岐尚益、小笠原定基に佐竹基房のことを謝す、、、
永正三 下伊那郡富草村八幡神社の神像、成る、
永正三 是より先、宗清、南浦、佐久郡に城光院を開創す、是日、宗清、寂す、
永正三 小笠原定基、亡父家長の十七周忌仏事を修し、伊那郡蟠竜院住持瑞秀雪岫、、、
永正四 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、
永正四 木曽定勝寺住持慧珍、貴山、寂す、
永正四 是より先、甲斐武田信縄、諏訪社上社の玉会並に守符を贈れるを謝す、、、
永正四 祝家吉、埴科郡大日寺の大日如来像並に阿弥陀如来像・弥勒菩薩像等を造立、、、
永正四 建仁寺祥雲院塔主以信、義海、木曽定勝寺住持聖贇玉林、の請に応じて、、、
永正四 木曽御岳権現の神主某、散供祝詞を書す、
永正四 佐竹宗三、小笠原定基に京都の変事を報じ、併せて子基房の修行を依頼す、、、
永正四 駿河観勝院住持玄俊、雲鷹、小県郡定津院住持となる、
永正四 諏訪湖上に、諏訪大明神の御渡なし、尋で、永正十一年に至るまで、、、
永正五 佐久郡自成寺住持麟英、俊庵、同寺に壁書を掲ぐ、
永正五 伊那郡文永寺僧宗詢、三条西実隆に音信を通ず、
永正五 善光寺僧戒順、和泉堺にて新造せる善光寺前立阿弥陀如来像を信濃に、、、
永正五 相摸建長寺住持英璵、玉隠、南禅寺の徒瑞元乾翁、の請に応じて、、、
永正五 前大徳寺住持宗珉、玉浦、信濃の僧瑞郁文叔、を印可す、
永正五 是より先、大内義興、小笠原定基に馬を所望す、、、
永正六 幕府、佐竹基房に命じ、小笠原定基をして、忠節を尽さしむ、
永正六 石見小笠原長隆、京都より、小笠原定基に音信を通ず、尋で、また通ず、
永正六 幕府犬追物、小笠原六郎等、射手を勤む、、、
永正六 信濃の僧大弐宗印、山城醍醐寺理性院に於て得度す、
永正六 前南禅寺住持梵寿、叔彭、寂す、、、
永正六 将軍足利義尹、上杉顕定・同憲房をして、佐久郡伴野貞憲と大井行満との、、、
永正六 伊那郡文永寺僧宗詢、寂す、尋で、山城醍醐寺五智院宗典、信濃に下向す、、、
永正六 世尊寺行季、信濃の人某の請に依り、善明院の額を書す、
永正六 伊那郡文永寺僧仙耀、その師宗詢の尽七日忌の供養を修す、
永正六 是より先、関東管領上杉憲房、越後守護上杉定実・長尾為景を討たんとして、、、
永正六 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺に於て、太元伝法大事を書写す、
永正六 伊那郡文永寺僧仙耀、その師宗詢の百箇日法会を修す、
永正六 飯田市白山社奥社本殿、成る、
永正六 山城醍醐寺理性院宗典、伊那郡文永寺に於て、表白文を書す、
永正六 足利政氏、相摸禅興寺を再興せんとし、寺領を同寺に還附し、、、
永正六 越後守護上杉定実、越中より築地忠基に書を遺り、信濃・越中等の諸士と、、、
永正六 安曇郡大沢寺住持禅亨、乾叟、寂す、
永正六 信濃の人麻生某、使を京都に遣り、将軍足利義尹の復職を賀す、、、
永正六 諏訪郡の僧神応・紹憲等、千仏名経を書写して、同郡仏法寺常住に備ふ、
永正六 小県郡定津院住持玄俊、雲鷹、能登総持寺輪住服勤のため、同寺に赴任す、
永正七 知久頼尚、亡父同頼為の七年忌仏事を伊那郡法全寺に修し、、、
永正七 是より先、高梨政盛等、上杉定実・長尾為景に応じて越後に入り、、、
永正七 幕府犬追物、小笠原六郎等、射手を勤む、
永正七 長尾為景・高梨政盛、上杉可諄顕定、を越後長森原に攻めて、之を敗死、、、
永正七 是より先、高梨政盛等、長尾為景を援けて、上杉可諄顕定、の残党を、、、
永正七 三条西実隆、諏訪信祐の請に依り、諏訪社法楽三十首和歌の題を書して贈る、、、
永正七 関東管領上杉憲房、上乗院公済を介し、長尾為景・高梨政盛等の追伐を、、、
永正七 坂西頼国、その私第に亡父の十七年忌仏事を修し、、、
永正七 醍醐寺五智院宗典、伊那郡文永寺より上洛す、
永正七 建仁寺住持寿桂、月舟、除夜小参説法す、、、
永正八 伊那郡文永寺僧厳詢、禁中太元護摩修法の伴僧を勤む、
永正八 本願寺光兼、実如、阿弥陀如来・親鸞画像に裏書を書し、、、
永正八 水内郡長沼淨興寺僧了周、寂す、 光兼、了周の病むに依り、書を遺る、
永正八 更級郡興禅寺・高井郡興国寺等開山、佐久郡竜雲寺中興山祥貞、天英、、、
永正八 諏訪満継、伊那郡鉾持社祢宜某に所役を免ず、
永正八 長野市福生院の五輪塔、成る、 上水内郡牟礼村長谷寺所蔵の五輪塔銘、
永正八 伊那郡松尾の小笠原定基、卒す、、、
永正八 筑摩郡広沢寺・伊那郡竜勝寺住持玄固、雪江、寂す、 玄固の書状
永正八 幕府、信濃の僧建仁寺青松庵の徒徳益謙室、を、伊那郡建福寺住持となす、
永正八 是より先、駿河今川氏親、将軍足利義尹に馬を献ぜんとし、、、
永正九 越後守護上杉定実、宇佐美房忠を信濃に遣はし、信濃調略の事に、、、
永正九 幕府、建仁寺禅居庵塔主全竜梅渚、を能登安国寺住持となす、 全竜の事蹟
永正九 筑摩郡法善寺開山宗俊、賢甫、同寺出家略作法を書す、
永正九 小県郡定津院住持宗穆、悦堂、寂す、
永正九 伴野貞守、釈迦如来像を造立す、
永正九 建仁寺住持寿桂、月舟、上堂説法す、信濃の僧瑞嘉、瑞芝、維那として、、、
永正九 高梨政盛、夜交景国をして、その所領を安堵せしむ、、、
永正九 高梨澄頼、同孫次郎をして高井郡中村郷を安堵せしむ、
永正九 幕府、建仁寺祥雲院塔主以信義海、を同寺住持となす、尋で、以信、入院す、、、
永正一〇 是より先、遠江大河内貞綱、尾張守護斯波義達の援を得て、、、
永正一〇 是より先、越後守護代長尾為景、同国守護上杉定実に叛す、、、
永正一〇 嶋津貞忠等信濃の諸士、越後守護上杉定実を援けんがため、越後に乱入、、、
永正一〇 安曇郡泉福寺の金剛力士像の修理、成る、
永正一〇 諏訪満継、伊那郡鉾持社祢宜等をして、同心して神事を勤めしむ、
永正一〇 是より先、越後守護代長尾為景、同国守護上杉定実を越後府中の自邸に、、、
永正一〇 某、佐久郡某社に神領を寄進す、
永正一一 是より先、関東管領上杉憲定、信濃勢と共に、宇佐美房忠を援けて、、、
永正一一 佐久郡城光院の宝篋印塔、成る、 城光院の宝篋印塔銘
永正一一 小諸市大久保十二社の社殿、成る、
永正一一 安曇郡観勝院開山、同郡大沢寺住持玄策、功巌、寂す、
永正一一 諏訪頼満の子、頼熈、諏訪社上社大祝の位に即く、
永正一一 小県郡定津院住持玄俊、雲鷹、同寺開山宗英拈笑、の三十三回忌仏事を、、、
永正一一 松本市筑摩神社の梵鐘、成る、
永正一二 本願寺光兼、実如、阿弥陀如来画像に裏書を書し、、、
永正一二 是より先、美濃竜泰寺住持祖圭、大質、安曇郡大沢寺に住す、、、
永正一二 伊那郡文永寺僧仙耀、上洛す、
永正一二 小笠原貞朝、卒す、
永正一二 信濃の僧、能登総持寺前住持駿河大祥寺開山正順、行之、寂す、
永正一二 建長寺住持英璵、玉隠、同寺開山塔西来庵修造勧進状の草案を作る、
永正一二 後柏原天皇、瑞郁文叔、を山城妙心寺住持となす、
永正一二 星科善昌等、佐久郡田口神宮寺の三重塔を造立す、
永正一二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
永正一二 醍醐寺五智院長典、同寺理性院宗済十三回忌追薦文永寺結縁潅頂記録を、、、
永正一三 伊那郡文永寺僧仙耀、禁中太元護摩修法の伴僧を勤む、
永正一三 信濃の僧山城妙心寺前住持瑞郁、文叔、その俗弟正英居士の請に応じて、、、
永正一三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、先に草案を成せる、、、
永正一三 仁科盛国、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、
永正一三 諏訪郡仏法寺尊純、下野宇都宮大日院経蔵版木を以て、仁王護国般若経を、、、
永正一三 小県郡定津院住持玄俊、雲鷹、寂す、
永正一三 是より先、玄岱、海秀、佐久郡に正安寺を開創す、、、
永正一三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
永正一三 幕府、前建仁寺住持以信義海、を南禅寺住持となす、
永正一四 小名七郎右衛門、佐久郡新海明神に鰐口を寄進す、
永正一四 熊野三山検校山城聖護院道增、佐久郡大井法華堂源春の入峯にあたり、、、
永正一四 信濃の僧、下総小金東漸寺開山愚底、経誉、寂す、
永正一四 是より先、遠江大河内貞綱、尾張守護斯波義達と共に、信濃国人を催し、、、
永正一四 熊野三山検校山城聖護院道增、新泉をして、佐久郡大井法華堂檀那、、、
永正一四 是より先、熊野三山検校山城聖護院道增、諸国の修験者等に役銭を課す、、、
永正一四 佐久郡大井法華堂源春、僧都に任ぜらる、
永正一四 諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
永正一五 後柏原天皇、信濃の僧日向大慈寺開山玄提玉山、に仏智大通禅師の諡号を、、、
永正一五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
永正一五 諏訪社上社大祝諏訪頼満、同下社大祝金刺昌春を、諏訪郡萩倉城に攻めて、、、
永正一六 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、浄円居士の請に応じて、道号を与へ、、、
永正一六 是より先、嶋津貞忠、越後守護代長尾為景に和を請ふ、、、
永正一六 南安曇郡堀金村薬師堂の厨子、成る、
永正一六 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、叔上人の需めに応じて、春遊の詩を、、、
永正一六 将軍足利義稙、義尹、高井郡高梨澄頼の馬を贈れるを謝す、
永正一六 伊勢宗瑞、早雲庵、卒す、某人、その私第に、追悼大会を修す、、、
永正一六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
永正一七 大井玄岑・同隆景、佐久郡大井法華堂源春をして、同郡瀬渡の内の所領を、、、
永正一七 佐久郡自成寺開山麟英、俊庵、同寺寺記を撰す、
永正一七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
永正一七 諏訪宮增丸、頼重、諏訪社上社大祝の位に即く、
永正一七 伊那郡文永寺僧仙耀、法華経摺本を亮信に与ふ、
大永元 木曽御岳権現の滝神主、土公祭文を書す、
大永元 伊那郡文永寺僧仙耀、宗信を携へて上洛し、是日、山城醍醐寺理性院に於て、、、
大永元 伊那郡文永寺僧仙耀、三条西実隆を訪ふ、尋で、信濃に帰らんとす、仍つて、、、
大永元 諏訪宮增丸、頼重、諏訪社上社大祝の位を退く、尋で、また大祝の位に復す、、、
大永元 山城妙心寺、同寺開山慧玄関山、の二百年忌仏事を修し、、、
大永元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
大永元 将軍足利義晴、乗馬始を行ふ、小笠原六郎、之に供奉す、
大永元 佐久郡伴野貞祥、祖父光利追福のために同郡に貞祥寺を創め、、、
大永二 神祇伯雅業王、信濃権守に、下冷泉為豊、同介に任ぜらる、
大永二 伊那郡文永寺に於て、大般若経の転読あり、
大永二 小笠原定基、伊那郡立石寺本堂を造立す、
大永二 佐久郡大井貞隆、三郎右衛門姓闕く、に所領を宛行ふ、
大永二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
大永三 筑摩郡鉢伏権現の再建、成る、
大永三 水内郡長沼浄興寺住持巧周、寂す、
大永三 佐久郡大井貞隆、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、、、
大永三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、印藤氏の女某のために安名し、、、
大永三 甲斐武田信虎、善光寺に参詣す、
大永三 相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、佐野忠成に法名・道号を授け、、、
大永三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
大永四 諏訪社上社、同社磯並宝殿及び前宮三之御柱造宮料を伊那郡藍田等に徴す、
大永四 戸隠山顕光寺僧栄快、彦山霊山寺大先達即伝より、入峯印証を受く、
大永四 越後守護代長尾為景・諏訪社上社に神鷹・神馬を奉納す、、、
大永四 長野市小市称名寺の宝篋印塔、成る、
大永四 木曽興禅寺中興開山良演、叔雅、寂す、
大永四 信濃の僧前建長寺住持英璵、玉隠、寂す、
大永四 是より先、下野能延寺、諏訪郡仏法寺の秘密道具を移し置かんことを請ふ、、、
大永四 佐久郡新海三社明神の再建、成る、
大永四 是より先、長尾為景、信濃の乱を鎮定し、高梨政頼をして、帰郷せしむ、、、
大永四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
大永五 小県郡丸子町荻窪観音堂の厨子、成る、
大永五 諏訪某、武田信虎を頼りて、甲斐府中に赴く、
大永五 安曇郡大沢寺住持祖綱、巨海、寂す、
大永五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
大永六 ゑもと左近将監、佐久郡小諸の修験者惣馬大夫檀那職を、、、
大永六 将軍足利義晴、甲斐武田信虎をして上洛せしめんとするに依り、、、
大永六 佐久郡慈寿寺光世庵塔主宗慈、鰐口を同寺に寄進す、
大永六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
大永六 伊那郡蟠竜院住持瑞秀、雪岫、偈を作りて、その徒興春東渓、の典座を、、、
大永七 海野棟綱、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、
大永七 是より先、佐久郡乱るるに依り、伴野貞慶、甲斐武田信虎に援を乞ふ、、、
大永七 甲斐武田信虎、善光寺に詣づ、尋で、帰国す、
大永七 佐久郡追分諏訪社の大般若経の修補、成る、
大永七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
享禄元 諏訪社上社、神使御頭を定む、
享禄元 甲斐武田信虎、諏訪郡に攻め入り、諏訪頼満と神戸・堺川に合戦して敗る、
享禄元 熊野三山検校山城聖護院道增、諸国の修験者等に役銭を課す、、、
享禄元 美濃大智寺住持瑞秀、雪岫、伊那郡竜岳寺の徒興春東渓、の請に応じて、、、
享禄元 関春光、子の追善のため、梵鐘を鋳造して伊那郡瑞光院に寄進す、
享禄元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
享禄元 伊那郡天沢寺・玉川寺開山同郡蟠竜院前住持瑞秀、雪岫、寂す、
享禄二 諏訪社上社、神使御頭を定む、
享禄二 福泉坊直栄、佐久郡福王寺の大黒天を造立す、
享禄二 本願寺光兼、実如、水内郡長沼浄興寺に於て、円兼存如、筆の安心決定鈔を、、、
享禄二 関春仲、伊那郡新野に瑞光院を開創し、舜玉光国、を請じて開山となす、
享禄二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
享禄二 諏訪宮若丸、頼寛、諏訪社上社大祝の位に即く、、、
享禄三 諏訪社上社、神使御頭を定む、
享禄三 諏訪社下社造宮あり、水内郡常磐郷、同社秋宮二之御柱造宮料を課せらる、
享禄三 僧宗春、東渓、興春、伊那郡長久寺を開創し、同寺の諷経規式を定む、
享禄三 諏訪社上社御柱引あり、是日、之を行ふ、、、
享禄三 後奈良天皇、信濃の僧某に禅師号を授く、
享禄三 伴野貞慶、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、
享禄三 佐久郡津金寺憲存、紀伊高野山蓮華定院を同寺住僧等の宿坊と定む、
享禄三 村上顕胤、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、
享禄三 某、佐久郡原宮新海三社に、社領を寄進す、
享禄三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
享禄三 小県郡定津院住持玄岱、海秀、相摸最乗寺輪住服勤のため同寺に赴任す、
享禄三 僧宗長、年室、小県郡嶺南山の某寺に庵居す、
享禄四 諏訪社上社、神使御頭を定む、
享禄四 甲斐浦信本・栗原某等、武田信虎に叛し、諏訪頼満の援を得て、、、
享禄四 信濃の人坂西政満、紀伊高野山参詣の帰途、三条西実隆を訪ひ、、、
享禄四 諏訪頼満、甲斐に入り、武田信虎の兵と、同国塩河に戦ひ、之を破る、
享禄四 伊那郡瑞光院住持舜玉、光国、遠江大洞院に遷る、
享禄四 小県郡上洗馬郷堀内松兵衛等、諏訪明神を同郷に勧請す、
享禄四 小県郡定津院住持玄岱、海秀、同寺開山宗英拈笑、の五十年忌を修す、
享禄四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
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