林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻十九 慶長六年(1601)~
巻十九 慶長六年(1601)~
慶長六 保科正光、越前北庄より下総多胡の黒河内長三に書を送り、、、
慶長六 是より先、筑摩郡広沢寺、下野宇都宮在陣の小笠原秀政に賀歳す、是月、、、
慶長六 徳川家康、知久則直等に、伊那郡に於いて知行を与ふ、
慶長六 徳川家康、木曽衆に下総・木曽の替地として、美濃に於いて知行を与ふ、
慶長六 大久保長安、木曽川沖乗のことを山村道勇良候、に沙汰せしめ、、、
慶長六 長沼惣右衛門、伊那郡二善寺を修造す、
慶長六 徳川家康、小笠原秀政を下総古河より京極高知の旧領伊那郡飯田に移す、
慶長六 真田信幸、小県郡東上田村の彦助をして、同郡小玉山の地を安堵せしむ、
慶長六 平沢孫右衛門等、伊那郡香坂村の用水に就き、新に番水を定む、
慶長六 伊那郡文永寺・安養寺、徳川家康の諮問に応へ、両寺寺領のことを報ず、
慶長六 大久保長安、信濃に於ける伝馬の印判を定む、
慶長六 大久保長安の家臣田辺十郎左衛門、山村良勝をして、、、
慶長六 徳川家康、信濃に検地を行ひ、国内諸村検地帳成る、
慶長六 信濃等に、疾病流行す、
慶長六 伊那郡代官宮崎安重等、平沢勘右衛門尉に地を預く、
慶長六 山村道勇、良候、木戸某に木曽野尻半分問屋を命ず、尋いで、六郎左衛門に、、、
慶長六 山村道勇、良候、和田の小三郎に木曽野口の地を与ふ、
慶長六 朝日受永、近路、伊那郡常詮寺等に地を寄進す、尋いで、、、
慶長六 知久頼直、伊那郡田村之内の地を、堀越の新左衛門に付す、、、
慶長六 是より先、武蔵増上寺源誉、伊那郡慶林寺の宗旨無法度のことを責め、、、
慶長六 某、伊那郡二善寺大明神に地を寄進す、宮崎安郷、その旨を報ず、
慶長六 越前北庄の保科正光、伊那郡高遠の松沢喜右衛門尉をして、、、
慶長六 朝日受永、近路、伊那郡文永寺をして、山林を造成せしめ、、、
慶長六 保科正光、伊那郡高遠の松沢喜右衛門尉に書を送り、、、
慶長六 保科正光、伊那郡高遠の松沢喜右衛門尉をして、、、
慶長六 安曇郡満願寺尊応、七月行等を勤修す、
慶長六 是より先、真田信之、井伊直政に依頼することあり、是日、直政、之に答へ、、、
慶長六 保科正光、伊那郡高遠の松沢喜右衛門尉等に、下総多胡より、、、
慶長六 徳川家康、伊那郡常泉寺をして、寺領を安堵せしむ、
慶長六 徳川家康、善光寺に水内郡に於いて寺領を寄進す、
慶長六 真田信之、湯本三郎右衛門尉に上野草津湯銭を免ず、
慶長六 真田信之、横山久兵衛等に、小県郡東上田に於いて知行を与ふ、尋いで、、、
慶長六 真田信之、真田壱岐守等をして、本知行を安堵せしむ、 信之、、、
慶長六 真田信之、真田壱岐守等に、鑓同心及び鉄砲同心を預く、
慶長六 真田信之、祢津神五郎等に地を与ふ、
慶長六 真田信之、伊勢豊受大神宮に小県郡に於いて地を寄進す、
慶長六 真田信之、小県郡下之郷大明神に社領を寄進す、尋いで、領内寺社に、、、
慶長六 真田信之、小林右近等に、小県郡武石の地等を与ふ、
慶長六 真田信之、小県社人衆に、同郡に於ける先達を免許す、
慶長六 朝日受永、近路、伊那郡瑞光院に、禁制を掲ぐ、
慶長六 筑摩郡内田村百姓等、小笠原安重に、年貢金納のことを請ふ、
慶長六 森忠政に家臣林道久、孫六をして、領内かわやを取締らしむ、
慶長六 山城智積院玄宥、諏訪郡仏法寺の尊朝法印に上洛を奨む、
慶長六 宮崎安重、伊那郡河内村てろう山神等に社領を寄進す、
慶長六 大久保長安等、善光寺領の配分を定む、
慶長六 真田信之、上野沼田常楽院に検地改出し分を寄進す、
慶長六 伊那郡高遠の保科正直、卒す、 保科正光・同修理亮等の書状
慶長六 山城聖護院門主道澄、埴科郡千手院法印某を、木曽谷年行事職となす、
慶長六 安曇郡満願寺住持尊応、千手観音秘法を勤修す、
慶長六 伊那郡虎岩村検地帳、成る
慶長六 徳川家康、諏訪頼満頼水、に、諏訪郡高島城二万五千石を給す、
慶長六 各務言晴、亡父兵庫頭の一周忌を修し、水内郡妙昌寺住持宗幡、揚天、、、
慶長六 真田信之、竜野武石衛門を乗馬衆となし、知行を与ふ、
慶長六 大久保長安、中仙道木曽贄川より伊那郡小野を経て、、、
慶長六 前田慶次、山城伏見より出羽米沢に赴かんとし、木曽馬篭に着す、尋いで、、、
慶長六 伊那郡虎岩村、当年の年貢帳を記す、
慶長六 大久保長安、千村重利等に伊那郡箕輪米を貸与へ、その町中の者をして、、、
慶長六 是より先、真田信之室、紀伊高野山の真田昌幸に音信を送る、是日、昌幸、、、
慶長六 真田信之、矢沢忠兵衛に、信濃及び上野沼田に於いて知行を与ふ、
慶長六 山村道勇、良候、木曽上田の与四郎に上野田半作分を預く、
慶長六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長六 伊那郡木下甚十郎、同郡堀之内の地の本年年貢を皆済す、
慶長六 徳川家康、中西実清を下伊奈の代官となす、 都筑為政松本に蟄居す、
慶長七 大久保長安、美濃円城寺野々垣源兵衛をして、木曽より出す榑木・材木等の、、、
慶長七 仙石秀久、秀康、佐久郡大宮社に、米を寄進す、
慶長七 真田信之、真田小山田、主膳正に、名乗一字を許す、
慶長七 真田信之、鈴木久次郎に小県郡岩門の地を宛行ふ、
慶長七 伊那郡開善寺住持玄種、蛮宿、犬甘久知に法諱を授け、道号を与へ、、、
慶長七 諏訪頼満頼水、の老臣小沢主膳、、、
慶長七 伊那郡北原仁左衛門等、同郡小輪田の地を、林善十郎に渡す、
慶長七 信濃の人関信正、卒す、
慶長七 徳川家康、信濃に於ける伝馬の印判を定め、之を山村道勇良候、に報ず、
慶長七 鶴見喜左衛門等、安曇郡倉科惣助に、、、
慶長七 諏訪頼満、頼水、志賀忠吉に諏訪郡安国寺等の地を給す、 頼水、、、
慶長七 諏訪頼満、頼水、諏訪郡江隠寺に、同郡有賀の地を寄進す、
慶長七 仙石秀久、秀康、佐久郡安養寺に寺領を寄進す、
慶長七 松村半兵衛、筑摩郡青柳伝右衛門より、問屋役銀子を請取る、
慶長七 山城本願寺光寿、教如、、、
慶長七 鶴見喜左衛門等、筑摩郡泉郷孫二郎に、同郷年貢の勘定目録を渡す、
慶長七 関口継満、小県郡白山権現に湯釜を寄進す、
慶長七 徳川家康、中仙道の伝馬・駄賃の制を定む、 山村良勝、、、
慶長七 奈良屋市右衛門・樽屋三四郎、徳川家康奉行人の旨を受け、、、
慶長七 諏訪社上社神長守矢信真等、同社に剣等を寄進す、
慶長七 保科正光、伊那郡鉾持権現に地を寄進す、
慶長七 真田信之、木村土佐守下代小林九右衛門より、金子を請取る、
慶長七 安曇郡満願寺尊応、逆修供養のため同寺に絵馬を奉納す、
慶長七 悟州、某人に安座点眼切紙を伝授す、
慶長七 森忠政、高井郡幸高村寺領内の村々を検地す、
慶長七 善之丞、定納目録以下の諸帳を、次郎右衛門より受取る、
慶長七 山城本願寺光昭、准如、高井郡常敬寺所蔵の顕照唯善、画像に裏書を加ふ、
慶長七 森忠政、その所領更級郡綱掛村を検地す、 森忠政、領内諸村の検地を行ふ、、、
慶長七 是より先、高井郡相之島村、同郡小島村と相之島東河原の帰属を争ふ、是日、、、
慶長七 諏訪頼満、頼水、諏訪社上社神長守矢信真等に、神領等を渡付す、
慶長七 信濃の人建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺前住永雄、英甫、、、
慶長七 森忠政、埴科郡南条庄屋百姓等の、検地に於ける功労を賞し、、、
慶長七 安曇郡満願寺尊応、法華経一千部読誦供養を行ふ、
慶長七 森忠政、更級郡八幡宮に、同郡八幡郷内の地を寄進す、 森忠政、、、
慶長七 伊那郡高遠の保科正光、同郡小出村を検地す、、、
慶長七 森忠政、水内郡岩草村等領内の諸村を検地す、
慶長七 真田信之、成沢勘左衛門をして、本領を安堵せしめ、知行を加増す、
慶長七 諏訪社上社、同社の神子名及びその用途を記す、
慶長七 森忠政の家臣各務言晴、水内郡妙証寺をして寺領以下を安堵せしむ、
慶長七 木曽代官山村道勇、良候、卒す、徳川家康、子良勝をして跡職を嗣がしむ、
慶長七 諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長七 森忠政、各務言晴に命じ、越後より水内郡長沼への往還につき、、、
慶長七 真田信之、海野藤八に、小県郡丸子料所内の地を宛行ふ、
慶長七 真田信之、上野沼須に新町を立て、その条規を定む、また、狩野右衛門助に、、、
慶長七 各務言晴、水内郡浄興寺をして、門前屋敷を安堵せしむ、
慶長七 小県郡貞津院住持欣隆、同寺を退院し、同郡長福寺住持秀嫩、桂巌、、、
慶長七 木曽代官、当年の谷中勘定目録を記す、
慶長七 森忠政、高井郡栃倉村等領内諸村を検地す、
慶長八 山城本願寺光昭、准如、高井郡普願寺所蔵の聖徳太子画像等に裏書を加ふ、
慶長八 是より先、山村良勝、亡父道勇良候、の遺書に依り、徳川秀忠に茶壺を贈る、、、
慶長八 徳川家康、埴科郡松城の森忠政を、美作津山に移す、尋いで、、、
慶長八 山城本願寺光昭、准如、、、
慶長八 幕府、埴科郡坂城村に伝馬の朱印を下す、
慶長八 真田信之、長井右京より前年納払方の金子を請取る、
慶長八 伊那郡小川郷、同郷の持高帳を記す、 小川郷石高帳
慶長八 伊那郡針田の三郎左衛門、平沢新十郎等より田地を預り、請文を出す、、、
慶長八 石川康長、安曇郡野平新田の条目を定む、
慶長八 諏訪頼満、頼水、領内肝煎に命じ、土貢以下のことにつき、、、
慶長八 紀伊高野山の真田昌幸、小県郡信綱寺僧某の音信を送れるに答謝し、、、
慶長八 小県郡安楽寺将奕、大雲、同寺校割帳を記す、 将奕、校割帳追加分を誌す、、、
慶長八 高井郡常楽寺高淳、朴翁、鈯斧住山の切紙を某に伝授す、
慶長八 是より先、小県郡和田の百姓等、代官を忌避して、闕落す、仍りて真田信之、、、
慶長八 真田信之、湯本三郎右衛門尉の鷹見役の功を賞し、知行を與ふ、
慶長八 真田信之、龍野茂右衛門等に知行を與ふ、また、、、
慶長八 松平忠輝、水内郡性乗寺に禁制を掲ぐ、
慶長八 松平忠輝、水内郡大安寺に禁制を掲ぐ、尋いで、高井郡如法寺に定書を掲ぐ、、、
慶長八 是より先、宗龍、真翁、松平依田、康国の求めに応じ、佐久郡宗心寺を開く、、、
慶長八 栗田永寿、善光寺本尊に願文を捧げ、同寺別当に復せんことを祈る、
慶長八 真田信之、日置五右衛門尉をして、知行を安堵せしむ、
慶長八 幕府、伊那郡朝日受永、近路、、、
慶長八 鶴見次大夫、筑摩郡泉郷に、前年の年貢勘定目録を渡す、
慶長八 信濃の人本誓寺超賢、寂す、
慶長八 毛利輝元、江戸より中山道を通り、佐久郡岩村田に倒る、尋いで、、、
慶長八 神祇管領長上吉田某、高井郡六川郷八幡宮祠官片山晴茂に、、、
慶長八 香坂七郎右衛門等、幕府領伊那郡下條領の当年の役儀高を定む、
慶長八 真田信之、上野玉泉寺をして、寺領を安堵せしむ、
慶長八 伊那郡代官朝日受水、近路、卒す、
慶長八 水内郡大安寺住持正盛、安室、達磨知死期の大事を正紹に伝授す、
慶長八 大久保長安、千村良重をして、山中代官所領内百姓の年貢弁済を督促せしむ、、、
慶長八 幕府、千村良重を下伊那郡代官となす、尋いで、遠江奥山代官をも命ず
慶長八 平岡宗寿等、徳蔵主を埴科郡円通寺住持となす、
慶長八 山村良勝、木曽鹿嶋社に神領を寄進す、
慶長八 七郎衛門等、伊那郡知久郷南山田本村天伯宮を建立し、また、、、
慶長八 真田信之、小幡内膳正に、知行を與ふ、
慶長八 諏訪郡仏法寺尊朝、同寺に於いて、伝法潅頂を行ふ、
慶長八 諏訪頼満、頼水、埴科郡松城に在りて、家臣千野權七等に命じ、、、
慶長八 幕府、松平忠輝領内に條目を領つ、
慶長八 大久保長安、平岡良和に命じ、越後より水内郡長沼への商人荷物の輸送、、、
慶長八 大久保長安、水内郡朝日山を善光寺造営料所と定む、
慶長八 仙石秀久、山浦左門に佐久郡茂田井の地を安堵す、
慶長八 諏訪頼満、頼水、諏訪社下社大祝等に、諏訪郡竹居等の地を與ふ、
慶長八 筑摩郡牛伏寺憲怡、先師憲渟の木像を造立す、
慶長八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長八 浅間山、鳴動す、
慶長八 黒崎治部助等、幕府の命に依り、高井郡常樂寺に寺領を渡付す、
慶長八 山村良勝、桑原治助に三尾將監手作分の地を領く、
慶長八 木曽代官、当年の谷中勘定目録を記す、
慶長八 諏訪社下社神宮寺千手堂の鰐口、成る、
慶長九 徳川家康、下伊那郡の榑木を求む、是日、大久保長安、千村良重をして、、、
慶長九 真田信之、番匠勘五郎に、小県郡国分寺の地を與ふ、
慶長九 松平忠輝、高井郡井上郷肝煎衆彌右衛門に命じ、還住百姓に舊の如く田地を、、、
慶長九 更級郡普光寺宗誉、その徒見性に、円頓一乗戒を授く、
慶長九 佐久郡の人依田信守、卒す、
慶長九 円覚寺役者、同寺派下某人の蔵主昇任の官銭を請取る、
慶長九 皆川廣照、水内郡常葉郷飯山八幡等の諸社に神領を寄進す、
慶長九 山村良勝、千村三郎兵衛に、川中島より出す銀の品目を示す、
慶長九 皆川廣照、水内郡飯山真宗寺に寺領を寄進す、
慶長九 小県郡信綱寺住持順京、高山、建應量室、に仏祖正伝菩薩戒作法を伝授す、
慶長九 真田信之、河原右京・日置五右衛門に領内諸郷の事を沙汰せしむ、
慶長九 皆川廣照、水内郡南條勝願寺に地を寄進す、
慶長九 山田籐左衛門、見崎喜兵衛より、水内郡竹生組の年貢銀を請取る、
慶長九 真田信之、原求女等に小県郡内の地を與ふ、
慶長九 水内郡大安寺住持正盛、安室、同寺に結制安居す、
慶長九 徳川秀忠の子、竹千代家光、生る、尋いで、七夜の儀を行ふ、、、
慶長九 神祇管領長上吉田兼治、佐久郡大宮大明神祠官伴野清敬に、、、
慶長九 幕府、更級郡八幡宮・水内郡飯縄社等に地を寄進す、
慶長九 松平忠輝、更級郡興禅寺等に地を寄進す、
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