林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻七 南朝天授元年・北朝永和元年(1375)~
巻七 南朝天授元年・北朝永和元年(1375)~
南朝天授元・北朝永和元 建仁寺如是院主妙在、此山、同寺妙喜庵主円月中厳、の、、、
南朝天授元・北朝永和元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝天授元・北朝永和元 神祇伯白川顕那王、信濃権守に任ぜらる、
南朝天授元・北朝永和元 東福寺住持霊見、性海、近衛道嗣を訪ふ、
南朝天授元・北朝永和元 東福寺住持霊見、性海、一雅大全、の請に応じて、、、
南朝天授元・北朝永和元 相模保寿院住持周信、義堂、建仁寺の諸僧の、、、
南朝天授元・北朝永和元 上杉朝房、市河頼房をして、本領並に買得地を安堵せしむ、、、
南朝天授元・北朝永和元 前建仁寺住持慈照高山、三十年忌、同寺如是院主妙在、、、
南朝天授二・北朝永和二 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝天授二・北朝永和二 是より先、建仁寺如是院主妙在此山、・東福寺退畊庵主、、、
南朝天授二・北朝永和二 水内郡大安寺開山妙霖雷峰、の門弟等、報恩のために、、、
南朝天授二・北朝永和二 是より先、幕府、前建仁・天竜・南禅寺住持妙在此山、を、、、
南朝天授二・北朝永和二 長慶天皇、内裏百番歌合を行ひ、宗良親王をその判者と、、、
南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、相模報恩寺住持周信義堂、に、、、
南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、同寺に入院す、
南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、相模報恩寺住持周信義堂、に、、、
南朝天授二・北朝永和二 仁科盛国、安曇郡仁科神明の社殿を造替し、是日、遷宮、、、
南朝天授二・北朝永和二 埴科郡戸倉町佐良志奈神社の宝篋印塔、成る、、、
南朝天授二・北朝永和二 全賢、小県郡浦野庄竜泉寺の梵鐘を造る、
南朝天授二・北朝永和二 南佐久郡野沢町長命寺出土の板碑、成る、、、
南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、周信義堂、に同寺造営、、、
南朝天授二・北朝永和二 中秋、円覚寺住持妙在、此山、上堂して、周信義堂、の、、、
南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、同寺都幹縁周信義堂、に偈頌、、、
南朝天授二・北朝永和二 冬至、関東管領足利氏満、円覚寺に詣る、、、
南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、足利義満と共に、同寺仏殿の、、、
南朝天授二・北朝永和二 円覚寺住持妙在、此山、遺誡を制して、滅後の仏事を、、、
南朝天授二・北朝永和二 某僧、京都より鎌倉に下向して、円覚寺住持妙在此山、に、、、
南朝天授二・北朝永和二 相模報恩寺住持周信、義堂、信濃の僧真月天心、の請に、、、
南朝天授二・北朝永和二 是より先、建仁寺の徒夢堂、円覚寺住持妙在此山、を省覲、、、
南朝天授三・北朝永和三 円覚寺住持妙在、此山、寂す、
南朝天授三・北朝永和三 諏訪社上社明年神使御頭保科某、卒す、
南朝天授三・北朝永和三 東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、
南朝天授三・北朝永和三 幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、
南朝天授三・北朝永和三 幕府、諏訪社上社雑掌円心の訴に依り、上杉朝房をして、、、
南朝天授三・北朝永和三 宗良親王、吉野より信濃に下向せんと志す、
南朝天授四・北朝永和四 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝天授四・北朝永和四 東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、
南朝天授四・北朝永和四 東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、
南朝天授四・北朝永和四 宗良親王、信濃に下向す、
南朝天授五・北朝康暦元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝天授五・北朝康暦元 東福寺住持霊見、性海、同寺開山圜爾百年忌斉の、、、
南朝天授五・北朝康暦元 幕府、東福寺海蔵院塔主霊見性海、を南禅寺住持となす、
南朝天授五・北朝康暦元 是より先、南禅寺住持霊見性海、未だ入院せざるに、、、
南朝天授五・北朝康暦元 近衛道嗣、天竜寺住持霊見性海、を東福寺海蔵院に訪ふ、
南朝天授五・北朝康暦元 天竜寺住持霊見、性海、同寺に入院す、
南朝天授五・北朝康暦元 小笠原長基、建仁寺禅居庵に、その祖父貞宗の三十三回忌、、、
南朝天授五・北朝康暦元 天竜寺住持霊見、性海、その頂相に自賛を加ふ、
南朝天授五・北朝康暦元 是より先、小県郡安楽寺の僧秋巌、寿福寺の首座たり、、、
南朝天授六・北朝康暦二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝天授六・北朝康暦二 後円融天皇、妙心寺玉鳳院塔主宗峨雲山、をして、、、
南朝天授六・北朝康暦二 信濃の僧周登、岳雲、周信義堂、の建仁寺入院の儀式を、、、
南朝天授六・北朝康暦二 南禅寺住持霊見、性海、管領斯波義将第の斉会に列す、
南朝天授六・北朝康暦二 某、小早川盛義をして、伊那郡遠照寺薬師堂領に諸役を、、、
南朝天授六・北朝康暦二 僧録司妙葩、春屋、日向大慈寺八景の詩をつくり、、、
南朝天授六・北朝康暦二 東福寺退畊庵主霊見、性海、宗然可翁、会下の某居士の、、、
南朝天授六・北朝康暦二 大工光宗、小県郡山王宮に鰐口を寄進す、
南朝天授六・北朝康暦二 東福寺退畊庵主霊見、性海、その頂相に自讃を加ふ、
南朝天授六・北朝康暦二 東福寺菩提院主士曇、乾峯、信濃の僧景琳の請に応じて、、、
南朝天授六・北朝康暦二 宗良親王、信濃より河内山田に移る、
南朝弘和元・北朝永徳元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝弘和元・北朝永徳 行得、伊那郡文永寺に住す、
南朝弘和元・北朝永徳元 東福寺退畊庵主霊見、性海、智勝の請に応じて、、、
南朝弘和元・北朝永徳元 是より先、長慶天皇、新葉和歌集を勅撰集に擬せらる、、、
南朝弘和元・北朝永徳元 東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満に随伴して、、、
南朝弘和二・北朝永徳二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝弘和二・北朝永徳二 和泉海蔵寺住持勇健、大歇、偈頌を彦貞正仲、に与ふ、、、
南朝弘和二・北朝永徳二 東福寺海蔵院焼け、元亨釈書の版木を失ふ、、、
南朝弘和二・北朝永徳二 足利義満、その室日野宣子の尽七忌仏事を山城等持院に、、、
南朝弘和二・北朝永徳二 是より先、信濃の僧東福寺の徒鳳侍者、帰郷せんとす、、、
南朝弘和二・北朝永徳二 幕府、小笠原清政をして、美濃中河御厨を安堵せしむ、
南朝弘和二・北朝永徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満の招に応じて、、、
南朝弘和三・北朝永徳三 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝弘和三・北朝永徳三 小笠原清順、長基、伊那郡伊賀良庄等の所領を、子長秀に、、、
南朝弘和三・北朝永徳三 小笠原清政、美濃中河御厨を、同政康に譲る、
南朝弘和三・北朝永徳三 東福寺退畊庵主霊見、性海、同寺永明院の徒明兆、、、
南朝弘和三・北朝永徳三 足利義満、山城等持寺に於て和漢聨句を行ふ、、、
南朝弘和三・北朝永徳三 仏光派の門徒等、円覚寺正続院舎利塔の規式を定む、、、
南朝弘和三・北朝永徳三 幕府、疎石夢窻、の三十三回忌仏事を天竜寺に行ひ、、、
南朝弘和三・北朝永徳三 信濃権守神祇伯白川資方王、従三位に叙せらる、
南朝弘和三・北朝永徳三 南党某宮・新田一族等、信濃の北党のため、、、
南朝元中元・北朝至徳元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中元・北朝至徳元 足利義満、山城等持寺に於て和漢聨句会を行ふ、、、
南朝元中元・北朝至徳元 諏訪頼寛、頼継、諏訪郡今泉村を諏訪社上社に寄進す、
南朝元中元・北朝至徳元 是より先、全快、鈍夫、高井郡善応寺を開剏す、、、
南朝元中元・北朝至徳元 相模宝寿寺渓雲庵塔主勇健、大歇、同庵敷地を定む、
南朝元中元・北朝至徳元 足利義満、霊見性海、をして南禅寺に再住せしむ、
南朝元中元・北朝至徳元 東福寺海蔵院塔主勝洸、虎渓、同院領水内郡太田庄年貢を、、、
南朝元中元・北朝至徳元 是より先、山城大慈院造営成る、、、
南朝元中元・北朝至徳元 某、佐久郡追分大明神の大般若経を書写す、
南朝元中二・北朝至徳二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中二・北朝至徳二 信濃守護斯波義種、市河頼房をして、高井郡中野郷、、、
南朝元中二・北朝至徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満の招請に応じて、、、
南朝元中二・北朝至徳二 諏訪社上社、同社恒例春祭の歩射・神楽等勤仕の番を定む、、、
南朝元中二・北朝至徳二 是より先、諏訪頼寛、頼継、信濃国人の諏訪社上社々領を、、、
南朝元中二・北朝至徳二 木曽家信、木曽御嶽権現の社殿を造立す、、、
南朝元中二・北朝至徳二 紀伊大慈寺住持禅慧、海雲、寂す、、、
南朝元中二・北朝至徳二 小笠原政経、諏訪社下社々領諏訪郡岡屋・伊那郡辰野両牧、、、
南朝元中二・北朝至徳二 信濃守護斯波義種、市河庶子一族に、惣領市河頼房と共に、、、
南朝元中二・北朝至徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、仮桟を設けて、、、
南朝元中二・北朝至徳二 山城真如寺、同寺開山祖元無学、の百年忌仏事を、、、
南朝元中二・北朝至徳二 足利義満、山城東福寺海蔵院をして、同寺領水内郡、、、
南朝元中二・北朝至徳二 足利義満、山城楞伽寺をして、同寺領、、、
南朝元中三・北朝至徳三 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中三・北朝至徳三 南禅寺住持周信、義堂、足利義満を同寺に請ず、、、
南朝元中三・北朝至徳三 北安曇郡北城村諏訪社の鰐口、成る、
南朝元中三・北朝至徳三 諏訪社上社、同社恒例春祭の歩射・神楽等勤仕の番を定む、、、
南朝元中三・北朝至徳三 信濃守護代二宮氏泰、高井郡小菅社別当某の信濃守護に、、、
南朝元中三・北朝至徳三 信濃守護代二宮氏泰、市河頼房の昨年暮の戦功を褒し、、、
南朝元中三・北朝至徳三 諏訪社上社、本年御射山祭の雅楽勤仕の役を定む、
南朝元中三・北朝至徳三 諏訪社上社、明年同社御射山祭左頭役を埴科郡船山庄に、、、
南朝元中三・北朝至徳三 信濃守護斯波義種、市河頼房等の戦功を褒す、
南朝元中三・北朝至徳三 佐久郡安養寺開山勇健、大歇、寂す、
南朝元中三・北朝至徳三 南禅寺住持霊見、性海、東福寺永明院の徒明兆、、、
南朝元中三・北朝至徳三 松岡貞政、亡父道山居士三十三年忌追善のために、、、
南朝元中三・北朝至徳三 幕府、東福寺海蔵院塔主霊見性海、をして、同院領及び、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中四・北朝嘉慶元 諏訪信有、諏訪郡栗林南方の地を、諏訪社上社に寄進す、
南朝元中四・北朝嘉慶元 村上頼国・小笠原清順長基、・高梨朝高等、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 源豊重、筑摩郡牛伏寺の地蔵菩薩像を造立す、
南朝元中四・北朝嘉慶元 円覚寺黄梅院塔主昌遵、用仲、同院華厳塔重建の用途を、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 村上頼国等、守護所水内郡平芝を攻めんとす、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 幕府、信濃守護代二宮氏泰を信濃に遣はし、子同種氏を、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 二宮種氏、高井郡犬甘北條・同中村の地を市河頼房に預く、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 上杉朝貞、水内郡常磐中條郷内飛倉郷地頭職半分の地を、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 諏訪頼寛頼継、小笠原清順長基、の軍を伊那郡田切に破る、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 足利義満、諏訪社上社をして、同社神領を安堵せしむ、
南朝元中四・北朝嘉慶元 諏訪社上社、埴科郡船山庄をして、本年同社御射山祭、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 善光寺、多宝塔を重建せんとす、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 村上頼国等、信濃守護代二宮氏泰を善光寺横山城に攻む、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 信濃守護斯波義将、市河頼房の水内郡横山合戦の戦功を、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 北党諏訪頼寛頼継、の兵、小笠原清順長基、の軍と、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 信濃守護斯波義将、水内郡常岩牧不動堂分を、料所として、、、
南朝元中四・北朝嘉慶元 河内守某、水内郡常盤中条東広江の屋敷・田、併に、、、
南朝元中五・北朝嘉慶二 伊那郡実際寺の雲、板成る、
南朝元中五・北朝嘉慶二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中五・北朝嘉慶二 僧国阿、善光寺に詣づ、
南朝元中五・北朝嘉慶二 信濃守護代二宮氏泰、水内郡加佐郷内新屋分を、、、
南朝元中五・北朝嘉慶二 東福寺退畊庵主霊見、性海、備中真光寺六湛庵主法昌、、、
南朝元中五・北朝嘉慶二 信濃守護斯波義将、右衛門蔵人某をして、水内郡大滝村等、、、
南朝元中六・北朝康応元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中六・北朝康応元 諏訪社上社副祝某、卒す、
南朝元中六・北朝康応元 東福寺退畊庵主霊見、性海、退居偶成の詩を長遠韶陽、に、、、
南朝元中六・北朝康応元 明阿弥陀仏、小県郡国分寺内田在家を、河内入道に譲る、
南朝元中六・北朝康応元 下伊那郡神原村坂部観音堂の鰐口、成る、
南朝元中七・北朝明徳元 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中七・北朝明徳元 中山満親、信濃権介に任ぜらる、
南朝元中七・北朝明徳元 更級郡興禅寺の梵鐘成る、
南朝元中七・北朝明徳元 東福寺退畊庵主霊見、性海、餞偈を賦して、士旭日山、の、、、
南朝元中七・北朝明徳元 僧大樹、華厳経を、佐久郡大井庄慈寿寺帰元庵に書写す、
南朝元中七・北朝明徳元 小県郡海禅寺南光坊法名闕く、大乗大方等日蔵経を書写す、、、
南朝元中七・北朝明徳元 僧栄順、筑摩郡光輪寺の大般若経を書写す、、、
南朝元中七・北朝明徳元 僧時芸、綽如、越中瑞泉寺を剏む、、、
南朝元中八・北朝明徳二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中八・北朝明徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、僧印正の請に応じて、、、
南朝元中八・北朝明徳二 東福寺退畊庵主霊見、性海、同寺永明院の徒明紹業仲、の、、、
南朝元中八・北朝明徳二 山城三聖寺住持霊見、性海、同寺仏殿上梁銘を書す、
南朝元中八・北朝明徳二 小笠原清順、長基、幕府の軍に属し、京都内野合戦に、、、
南朝元中九・北朝明徳三 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
南朝元中九・北朝明徳三 高梨朝高、高井郡安田郷等の所領を安堵せられんことを、、、
南朝元中九・北朝明徳三 是より先、久我具通、同家知行の信濃国国衙正税を、、、
南朝元中九・北朝明徳三 足利義満、相国寺落慶供養に臨む、、、
明徳四 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
明徳四 某、埴科郡坂城南条・十蔵郷並に水内郡檬原庄等の地を、小笠原辰寿丸に、、、
明徳四 能登定光寺住持良秀、実峰、安曇郡に霊松寺を開創す、
明徳四 是より先、屋代師国、青蓮院門跡領山城粟田庄下司職を押領す、、、
明徳四 南禅寺焼け、同寺開山普門無関、の塔院天授庵も類焼す、、、
明徳四 下水内郡太田村五束の宝篋印塔、成る、
明徳四 幕府、天竜寺雑掌の訴により、備中守護細川満之をして、同国成羽庄に、、、
明徳四 東福寺退畊庵主霊見、性海、自画の頂相に自賛を加ふ、
応永元 幕府的始、幕府、屋代師国、酩酊して射手を勤むるを罰し、その所帯を、、、
応永元 赤須為幸、伊那郡赤須郷公田惣田数を注す、
応永元 東福寺退畊庵主霊見、性海、細川満春の請により、一以大道、の頂相に賛す、、、
応永元 東福寺退畊庵主霊見、性海、伊予常定寺前住重淵回塘、の頂相に賛す、
応永元 東福寺退畊庵主霊見、性海、頂相に自賛を加ふ、
応永二 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
応永二 上水内郡信州新町の宝篋印塔、成る、、、
応永二 下伊那郡平岡村の鰐口、成る、
応永二 諏訪社上社祢宜勝間某、前宮阿弥陀堂に於て殺害せらる、
応永二 北佐久郡小沼村真楽寺の金剛力士像、成る、
応永二 信濃の僧融珪、璋山、豊後泉福寺に住す、
応永二 山城常在光院住持霊見、性海、柿本人麻呂の像に賛す、
応永三 幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
応永三 関東管領足利氏満、小山若犬丸・田村清包等の陸奥に叛くを討たんとして、、、
応永三 信濃の僧前山城三聖寺・東福寺・天竜寺・南禅寺住持、山城常在光院住持、、、
応永三 足利義満、美濃中河地頭職を、小笠原長秀に還付す、
応永三 更級郡八幡宮の梵鐘、成る、
応永三 仁科盛房、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、
応永三 南禅寺開山塔天授庵の徒生会、雲荘、同寺開山普門無関、の行状及び、、、
応永三 是より先、融珪、璋山、豊前護聖寺を開創す、、、
応永四 諏訪社上社、本年神使頭番役を、諏訪郡小坂郷並に小県郡祢津郷に充つ、
応永四 諏訪社上社、高井郡中村郷並に井上郷をして、本年花会御堂頭番役を勤仕、、、
応永四 信濃守護斯波義将、市河頼房知行分山の巣鷹に違乱する者の非法を禁ず、
応永四 南党某、水内郡静間郷地頭職を、中野中務少輔に宛行はんとす、
応永四 諏訪社上社、明年同社御射山祭加頭番役を、埴科郡船山郷に充つ、
応永四 山城妙光寺住持明麟、聖徒、同寺開山覚心無本、心地房、の百年忌仏事、、、
応永四 諏訪有継、諏訪社上社大祝の位に卽く、
応永四 諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、、、
応永四 更級郡昭和村の青面金剛石仏、成る、
応永五 県召除目、秦治徳、信濃大目に任ぜらる、 吉田兼敦、信濃権守に任ぜらる、、、
応永五 斯波義重、筑摩郡高出村を諏訪社上社に寄進す、
応永五 足利義満、安曇郡住吉庄及び春近領を小笠原長秀に還付す、
応永五 諏訪社上社大祝諏訪頼寛、頼継、平井弖に戦ひて勝つ、、、
応永五 南禅寺雲門庵の徒真玄、要中、太白、信濃の僧明中の帰郷を送る詩軸に序す、、、
応永五 是より先、関東管領足利氏満、病み、子満兼等、諏訪社等にその平癒を祈る、、、
応永五 足利義満、幕府職制を定む、小笠原・武田両氏、共に弓馬礼式奉行となる、
応永六 足利義満、小笠原長秀をして、信濃春近領を安堵せしむ、
応永六 小笠原政康、右馬助に任ぜらる、
応永六 是より先、嶋津国忠、小笠原長秀の信濃守護として入部するを肯んぜず、、、
応永六 是より先、大内義弘、和泉に叛す、是日、小笠原長秀、幕府の召に応じ、、、
応永六 市河興仙、頼房、小笠原長秀の催促に応じ、長秀の軍に属さんとして、、、
応永六 足利義満、小笠原政康をして、信濃守護小笠原長秀に属し、大内義弘を、、、
応永六 是より先、足利義満、小笠原長秀をして、京極高詮と共に、近江に出陣、、、
応永六 是より先、中野頼兼、小笠原長秀に属し、和泉堺に、大内義弘の軍と戦ひて、、、
応永七 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、
応永七 幕府、山城海蔵院雑掌の訴に依り、信濃守護小笠原長秀をして、同院領、、、
応永七 是より先、市河興仙、頼房、高井郡烏帽子形城を攻めて、、、
応永七 信濃守護小笠原長秀、市河義房の軍忠を賞し、水内郡若槻新庄加佐郷庶子分、、、
応永七 信濃守護小笠原長秀、市河興仙頼房、をして、高井郡中野西条村内及び、、、
応永七 信濃守護小笠原長秀、諏訪社下社大祝をして、筑摩郡春近領、、、
応永七 信濃守護小笠原長秀、和泉より帰国し、是日、佐久郡大井光矩の館に、、、
応永七 足利義満、小笠原長秀の請により、美濃守護土岐頼益をして、同国中河荘、、、
応永七 是より先、信濃守護小笠原長秀、善光寺に国務を始むるにあたり、、、
応永七 信濃守護小笠原長秀、善光寺を発し、是日、村上満信等の軍と、、、
応永七 是より先、小笠原長秀の部将坂西長国等、更級郡大塔に篭城して、、、
応永七 村上満信・大文字一揆等、更級郡四宮に小笠原長秀を攻む、、、
応永七 信濃守護小笠原長秀、市河興仙頼房、をして、高井郡志久見山・水内郡、、、
応永八 幕府的始、屋代蔵人等、射手を勤む、
応永八 斯波義将、信濃守護に補せらる、
応永八 県召除目、十市定之、信濃少掾に任ぜらる、
応永八 諏訪氏泰、諏訪社上社大祝の位に即く、
応永八 信濃守護代嶋田常栄、信濃に下向す、
応永八 堀内入道某、善光寺に参詣す、
応永八 信濃守護斯波義将、市河興仙頼房、をして、高井郡志久見山等の所領を安堵、、、
応永八 下伊那郡富草村八幡社の神像、成る、
応永九 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永九 県召除目、高橋富里、信濃掾に、椿戸花棟、同権目に任ぜらる、
応永九 幕府、信濃国を幕府料国と定め、飯尾左近将監等を代官として、下向せしむ、、、
応永九 幕府、信濃国代官飯尾左近大夫等に命じて、東大寺の信濃国衙領知行の、、、
応永九 幕府の信濃代官細川慈忠、幕府の旨を受け、市河興仙頼房、をして高井郡、、、
応永九 佐久郡平賀の僧宗椿、同郡熊野社に神鏡を寄進す、
応永一〇 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永一〇 水内郡粟野神等の神事過穢あるに依り、崇あり、是日、御体と奏あり、
応永一〇 足利義満、市河興仙頼房、をして、その所領を安堵せしむ、
応永一〇 是より先、幕府の信濃国代官細川慈忠、信濃に入部す、、、
応永一一 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、
応永一一 能登定光寺住持良秀、実峰、その徒見方中明、を安曇郡霊松寺に赴かしむ、、、
応永一一 水内郡霊山寺の水盤、成る、
応永一一 幕府の信濃国代官細川慈忠、足利義満の旨をうけ、市河興仙頼房、をして、、、
応永一一 是月、是より先、信濃国代官細川慈忠、市河氏貞等を率ヰて、水内郡、、、
応永一一 天誾、如仲、近江洞寿院に庵居す、尋で、同院をその徒道空真巌、に譲る、、、
応永一二 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、
応永一二 僧見方、中明、安曇郡霊松寺住持となる、
応永一二 高井郡小菅社観音三十三身の板絵、成る、
応永一二 南禅寺の徒某、柴門新月の図に題詩して、東福寺の徒南渓に贈る、、、
応永一二 小笠原長秀、所領を弟政康に譲る、
応永一二 埴科郡松代町源関神社に社殿、成る、
応永一二 山科教言、同家領水内郡市村高田等五箇庄の年貢を収納す、
応永一二 埴科郡松代町明真寺の釈迦如来像、成る、
応永一二 相国寺鹿苑院塔主明応、空谷、竜福寺の覚心無本、心地房、の頂相に賛す、、、
応永一三 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、
応永一三 山科教言、清幸をして、同家領安曇郡住吉庄並に水内郡市村高田等五箇庄、、、
応永一三 県召除目、菅原長方、信濃権守に任ぜらる、
応永一三 尼某、伊那郡上横厩の所領を赤須某に売渡す、
応永一三 山科家領水内郡市村高田等五箇庄奉行人清幸、同庄年貢請人建徳庵主某を、、、
応永一三 山科教言、同家領住吉庄並に市村高田等五箇庄のことにつき、同庄奉行人、、、
応永一三 山科家領水内郡市村高田等五箇庄年貢請人建徳庵主某、同庄年貢未済分を、、、
応永一四 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、
応永一四 是より先、山科家領安曇郡住吉庄並に、、、
応永一四 南佐久郡臼田町弥勒寺の花瓶、成る、
応永一四 山科家領水内郡市村高田等五箇庄年貢請人建徳庵主某、、、
応永一四 県召除目、掃部里久、信濃大目に任ぜらる、
応永一四 島田益直、宣陽門院御領目録を注進す、、、
応永一四 山科教言、同家領安曇郡住吉庄並に水内郡市村高田等五箇庄のことにつき、、、
応永一四 幕府料所埴科郡船山郷代官真晃、市河越中守及び倉科帯刀をして、、、
応永一四 善光寺多宝塔落慶法養あり、
応永一四 善光寺塔供養あり、
応永一四 前信濃守護小笠原清順長基、卒す、
応永一四 山科家領水内郡市村高田等五箇庄の年貢、山科教言の許に到る、
応永一五 上高井郡小布施町淨光寺の薬師堂、成る、
応永一五 山科家領安曇郡住吉庄並に水内郡市村高田等五箇庄奉行人清幸、、、
応永一五 山科家領水内郡市村高田等五箇庄の年貢、山科教言の許に到る、、、
応永一五 下伊那郡三穂村立石寺の鰐口、成る、
応永一五 頼舜、伊那郡文永寺に住す、
応永一六 佐久郡安養寺修正看経仏事満散す、
応永一六 安保宗繁、信濃守に任ぜらる、
応永一六 僧成園、亡母の三十三年忌に当り、、、
応永一六 沙弥道円、筑摩郡熊野社社殿を造立す、
応永一七 県召除目、御笠山高、信濃目に任ぜらる、
応永一七 僧雄誓、佐久郡諏訪社の大般若経を修補す、
応永一七 前信濃守護斯波義将、卒す、
応永一七 伊那郡立石寺の鰐口、成る、
応永一八 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、
応永一八 諏訪頼有、諏訪社上社大祝の位に即く、
応永一八 山城石清水八幡宮公文所院尊、同宮及び諸堂の供料所等のことを注す、、、
応永一八 幕府、飛騨国司姉小路尹綱を討つ、小笠原持長、甲斐・信濃の兵を率ヰて、、、
応永一八 僧心見、埴科郡坂城町満泉寺の大般若経を書写す、
応永一八 信濃の人小田切某、越後小川庄細越に移る、高井郡中野如法寺住持源慶、、、
応永一八 信濃の僧天誾、如仲、遠江大洞院を開剏す、
応永一九 幕府的始、村上掃部助等、射手を勤む、
応永一九 信濃守護小笠原長秀、出家す、
応永一九 僧昌山・民部伸盛、伊那郡新野村に二善寺を再興す、
応永一九 信濃の僧伊那郡文永寺行得、寂す、
応永一九 満幸、性関く、伊那郡山室郷天福寺を、谷室山法華堂坊主に預く、
応永一九 木曽馬篭法明寺の大般若経の修理、成る、
応永一九 信濃の僧性讃、喜山、備中洞松寺を開剏す、
応永二〇 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永二〇 信濃の僧南禅寺首座有諸、無漏、大有、天下南禅寺記を撰述す、
応永二〇 水内郡大安寺住持大徹、寂す、
応永二〇 善光寺金堂修造成り、是日、落慶法養を行ふ、
応永二〇 伊那郡の人宗和、玄涼、卒す、
応永二〇 下伊那郡神原村八幡社の鰐口、成る、
応永二一 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永二一 焦仙、鰐口を高井郡今里宝績寺に寄進す、
応永二二 幕府的始、村上三河守等、射手を勤む、
応永二二 市河越中守、須田為雄討伐の軍に加はる、尋で、幕府、その軍忠を褒す、
応永二二 小笠原某、畠山常忠と山城今比叡社笠懸馬場に闘諍し、共に死す、
応永二二 足利義持、安曇郡住吉庄並に春近領を小笠原正捷長秀、に還付す、、、
応永二三 幕府的始、村上三河守等、射手を勤む、
応永二三 仁科盛房、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、
応永二三 仁科某、八朔の礼として、太刀等を貞成王後崇光院、に献ず、
応永二三 上杉禅秀、氏慶、足利満隆と共に、関東管領足利持氏に叛し兵を集む、、、
応永二三 信濃の僧豊前護聖寺開山融珪、璋山、寂す、
応永二三 佐竹義憲、幕府の命により、上杉禅秀氏憲、等を討たんがため越後を発し、、、
応永二三 足利義持、小笠原政康をして、本知行を安堵せしむ、
応永二四 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永二四 足利義持、小笠原政康の上杉禅秀氏憲、討伐の功を褒す、
応永二四 尼全従、水内郡沼尻弁才天社の大般若経を修補す、
応永二五 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永二五 是より先、足利義持、武田信元を甲斐守護となし、、、
応永二五 足利義持、安曇郡住吉庄並に春近領を小笠原政康に還付す、
応永二五 足利義持、小笠原政康の甲斐守護武田信元の為めに尽瘁するを褒し、、、
応永二五 波多腰清勝、筑摩郡牛伏寺の堂並に釈迦如来像を修理す、
応永二六 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永二六 足利義持、甲斐武田信元の請に依り、小笠原政康をして、、、
応永二七 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永二七 上田市上塩尻出土の板碑、成る、 埴科郡屋代町唐木善武氏旧蔵の板碑銘
応永二八 山城妙光寺歳寒庵塔主一大、遠芳、同寺開山覚心無本、心地房、、、
応永二八 幕府的始、屋代新蔵人等、射手を勤む、
応永二八 足利義持、射的を覧る、屋代師国等、射手を勤む、
応永二八 足利義持、病気平癒を謝せんがため、屋代師国等を豊受大神宮に遣はす、
応永二八 幕府、僧忠意をして、京都禅林寺若王子社別当職並に、、、
応永二八 源為治、信濃権守に任ぜらる、
応永二八 信濃の僧南江、諏訪郡安国寺住持となる、 南江の師周登岳雪、の事蹟
応永二八 波多腰清勝、筑摩郡牛伏寺の大威徳明王像を修理す、
応永二九 波多腰清勝、筑摩郡牛伏寺の奪衣婆像を造立す、
応永二九 諏訪社上社御柱立神事延引す、尋で、之を追行す、
応永二九 木曽定勝寺僧正心、同寺の年貢納下帳を注す、
応永二九 僧行俊、埴科郡青沼南方年貢三分一の内半分を、弟僧信方に譲る、
応永二九 足利義持、病気平癒を謝せんがため、、、
応永二九 下伊那郡大鹿村の鰐口、成る、
応永三〇 幕府的始、小笠原持長等、之に参仕す、
応永三〇 関東管領足利持氏、幕府に叛す、是日、幕府、市河義房をして、、、
応永三〇 幕府、下野山入祐義に、小笠原政康等信濃勢の上野発向のこと等を報ず、
応永三〇 幕府、足利持氏誅伐のため、小笠原政康をして、臼井峠より兵を発し、、、
応永三〇 管領畠山道端、満家、小笠原政康に書を遣り、、、
応永三〇 足利義持、小笠原政康・高梨朝秀の足利持氏討伐の功を賞し、、、
応永三〇 小笠原政康、上野に発向す、尋で、足利義持、之を褒す、
応永三一 足利義持、関東管領同持氏と和するに依り、、、
応永三一 諏訪満有、諏訪社上社大祝の位に即く、
応永三一 小笠原政康、諏訪社下社大祝をして、、、
応永三一 本願寺玄康、巧如、水内郡長沼郡淨興寺性順に、空覚書写の顕名鈔を授く、、、
応永三一 悦堂、諏訪郡安国寺住持となる、
応永三二 幕府弓始、屋代時貞等、射手を勤む、
応永三二 小笠原政康、大膳大夫に任ぜらる、 足利義持、政康の物を贈るを謝す、
応永三二 臼田定勝、小県郡海野庄内田中郷惣領職等を、孫貞氏に譲る、
応永三二 本願寺円兼、存如、法華問答集を書写し、水内郡長沼淨興寺性順に授く、
応永三二 小笠原正捷、長秀、卒す、
応永三二 南佐久郡野沢町仁王堂の石造燈篭、成る、
応永三二 藤原経吉、水内郡白山権現の本殿を造立す、
応永三二 善光寺炎上の風聞、京都にあり、
応永三二 本願寺円兼、存如、、、
応永三二 幕府、小笠原正透政康、を、信濃守護に補す、
応永三三 是より先、信濃守護小笠原正透、政康、初めて信濃に入部す、是日、、、
応永三三 是より先、諏訪の人某、白鷹を捕へて之を細川満元に贈り、、、
応永三三 善光寺供養、
応永三三 足利義持、山城海蔵院をして、同院領水内郡太田庄等を安堵せしむ、
応永三四 是より先、足利義持、信濃守護小笠原正透政康、の上洛を促す、、、
応永三四 善光寺焼く、
応永三四 足利義持、信濃守護小笠原正透政康、をして、、、
応永三四 幕府、伊那郡開善寺を十刹に列し、信濃の僧清禅、伯元、、、
応永三四 本願寺玄康、巧如、水内郡淨興寺周観に口伝鈔を授く、 玄康、、、
応永三四 足利義持、小笠原正透政康、に令して、越後国堺まで出向せしむ、
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