林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻十一 天文元年(1532)~
巻十一 天文元年(1532)~
天文元 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文元 善光寺十穀僧某、山科言継を訪ひ、同寺仮名書勧進帳を真名書に、、、
天文元 甲斐浦信本、諏訪勢を頼み、武田信虎に叛す、、、
天文元 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文二 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文二 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺に赴かんとし、是日、京都を発す、
天文二 理性院厳助、伊那郡飯田に至る、尋で、天竜川洪水のため、同地に滞留す、
天文二 理性院厳助、文永寺に至り、同寺に滞留す、
天文二 理性院厳助、文永寺密乗院に僧宗詢書写の和歌を写す、
天文二 知久頼元、文永寺に到り、理性院厳助の下向を謝す、
天文二 理性院厳助、文永寺に於て、護摩供を始む、尋で、聖天供を始む、
天文二 文永寺宗信、理性院厳助より印可を受く、
天文二 理性院厳助、文永寺宗信の請により、御影供を行ふ、
天文二 能登瑞源寺住持韻薫、竜門、安曇郡霊松寺に住し、是日、寂す、
天文二 是より先、越後守護代長尾為景、同国守護上杉定実の将宇佐美四郎右衛門尉、、、
天文二 理性院厳助、伊那郡神峯に赴く、
天文二 文永寺普門坊、寂す、
天文二 理性院厳助、文永寺に当座連歌会を行ふ、
天文二 井上尼公、文永寺に於て、玄春の追善供養を修す、
天文二 文永寺に於て、法華懺法あり、
天文二 府中小笠原長棟の軍、伊那郡に攻入り、是日、知久頼元の軍と対陣す、
天文二 理性院厳助の従者慶心善光寺参詣のため、文永持を発す、
天文二 知久頼元・高遠諏訪頼継の軍、府中小笠原長棟の軍と戦ふ、、、
天文二 諏訪頼満・同瀬継、神峯に到り、知久頼元に合力を謝す、
天文二 理性院厳助、諏訪頼継の請に依り、手蹟を与ふ、
天文二 伊那郡座光寺遊阿弥陀仏、神峯に知久頼元を訪ふ、
天文二 小笠原長棟の軍、再び伊那郡に攻入り、是日、知久頼元の軍と天龍川に対峙、、、
天文二 理性院厳助、知久頼元の請に依り、新図の歌仙絵に賛歌を書き与ふ、
天文二 文永寺、法会のため、職衆の声明稽古を始む、尋で、結縁潅頂の準備を進む、、、
天文二 理性院厳助、諏訪郡仏法寺住持某等の需に依り、手蹟を与ふ、
天文二 文永寺、先師頼椿の忌日法会を修す、
天文二 関守氏、伊那郡伊賀良庄関郷に二善寺を再興す、
天文二 理性院厳助、伊那郡安養寺に遊ぶ、
天文二 理性院厳助、知久修理進の需に依り、三社託宣を書し与ふ、
天文二 伊那郡に大洪水あり、
天文二 知久頼元・同頼氏、文永寺に、理性院厳助を訪ふ、
天文二 理性院厳助、大河闍梨となり、文永寺に結縁潅頂を行ふ、
天文二 文永寺宗信の母、理性院厳助に斎を進む、
天文二 理性院厳助の帰洛に先立ち、文永寺宗信等、厳助に物を贈る、、、
天文二 理性院厳助、帰洛のため、文永寺を発し、伊那郡下条に到る、、、
天文二 理性院厳助、伊那郡波合を発ち、美濃上村多聞坊に着す、尋で、京都に帰着、、、
天文二 諏訪社上社神長守矢頼真の嫡子犬太郎、信実、生る、
天文二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文三 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文三 本願寺光教、証如、阿祢陀如来画像に裏書を書し、之を水内郡浄専坊浄賢に、、、
天文三 伊那郡文永寺伝法潅頂会を行ひ、仙耀、大阿闍梨となる、
天文三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文三 諏訪頼満、出家す、
天文四 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文四 佐久郡正安寺住持慶参、玄室、寂す、尋で、英文、月舟、同寺住持となる、
天文四 山城東福寺住持善叢、茂彦、木曽定勝寺住持聖贇玉林、の請に応じて、、、
天文四 佐久郡追分諏訪社大般若経の修補、成る、
天文四 諏訪郡慈雲寺・木曽長福寺・同興禅寺住持宗最、一機、寂す、
天文四 伴野貞秀、紀伊高野山蓮華定院を、その宿坊と定む、
天文四 武田信虎、諏訪碧雲斎頼満、と堺川北岸に会し、和睦す、
天文四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文四 伊那郡竜門寺開山・前妙心寺住持瑞郁、文叔、寂す、
天文四 信濃の僧源順、越後魚沼郡に、法華経巻を埋納す、
天文五 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文五 佐久郡追分諏訪社大般若経の修補、成る、、、
天文五 前東福寺住持善叢、茂彦、木曽義元の画像に賛す、
天文五 山城醍醐寺理性院厳助、文永寺結縁潅頂雑記を書写す、
天文五 木曽二子荷百姓等、定勝寺より年貢を減ぜられ、以後懈怠なく納むべきこと、、、
天文五 後奈良天皇、禅愉亀年、を山城妙心寺住持となす、、、
天文五 了尊、亡父清林の十七年忌の為めに、経巻を埋納す、
天文五 諏訪社上社御柱引、
天文五 諏訪社上社前宮造宮あり、水内郡北高田郷等、同社四之御柱造宮料を、、、
天文五 仁科盛能、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、
天文五 某、阿祢陀如来画像に裏書を書し、之を水内郡の僧明円に授く、
天文五 是より先、三河全久院住持舜玉、光国、伊那郡瑞光院を開創す、、、、
天文五 本願寺光教、証如、康楽寺僧某に托し、水内郡長沼浄興寺了恵に書を遣り、、、
天文五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文六 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文六 諏訪頼重、小笠原長棟の兵を筑摩郡塩尻城に攻め、同郡赤木・吉田に放火す、、、
天文六 近江円満院門跡、山城聖護院門跡道増来秋の入峯につき、、、
天文六 伊那郡文永寺住持仙耀、竹恩院、寂す、
天文六 諏訪頼重、再び筑摩郡塩尻城を攻め、是日、之を陥る、
天文六 是より先、諏訪社上社神長守矢頼真、三条西公条に経書写を送り、、、
天文六 某、井口新四郎をして、給分・問屋役等を安堵せしむ、、、
天文六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、、、
天文六 埴科郡満照寺開山総田、夫山、前竜興寺住持英鑑機曇、に嗣法す、
天文七 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文七 諏訪豊増丸、頼実、諏訪社上社大祝の位に即く、神長守矢頼真指合に依り、、、
天文七 信濃の僧宥清、頼善房、性霊集を書写す、
天文七 伊那郡文永寺堅純、山城醍醐寺理性院厳助に謝礼のため上洛す、
天文七 本願寺光教、証如、阿祢陀如来画像に裏書を書し、之を水内郡静間の僧某に、、、
天文七 諏訪社下社、法楽能を行ふ、
天文七 大井源昌、佐久郡青沼八幡宮に、鰐口を寄進す、、、、
天文七 諏訪社上社神長守矢頼真、同社弥宜矢嶋満清と和す、
天文七 小笠原長棟、諏訪社上社に神鷹を奉納す、
天文七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文七 信濃の人浄久、卒す、
天文七 諏訪社上社神長守矢頼真、同社に天下泰平を祈る、
天文七 本願寺光教、証如、阿弥陀如来画像に裏書を書し、之を富倉村僧道尊に授く、、、
天文八 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文八 是より先、諏訪社上社神長守矢頼真、古河公方足利晴氏に守符・剣を贈る、、、
天文八 是より先、諏訪頼重、病む、是日、守矢頼真、その平癒を諏訪社上社に祈る、、、
天文八 諏訪頼重、古田山の巣鷹を下し、諏訪社上社に献ず、
天文八 諏訪頼重、小笠原長棟と和す、
天文八 諏訪社下社、法楽能を行ふ、
天文八 佐久郡の人隠岐虎清、卒す、
天文八 諏訪頼満、卒す、
天文八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文九 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文九 諏訪頼重、再び病む、尋で、守矢頼真、その平癒を諏訪社上社に祈る、
天文九 前建仁寺住持山城妙光寺歳寒庵塔主宗璨、希三、同寺開山覚心無本、、、
天文九 武田信虎、佐久郡に攻入り、諸城を陥る、
天文九 是より先、板屋藤九郎、信濃の市河氏を越後松山城等に攻めて、之を陥る、、、
天文九 諏訪頼重、小県郡長窪城を領す、
天文九 武田信虎、佐久郡海之口に令して、朱印状を帯せざる者に夫伝馬を出すを、、、
天文九 大風雨により、諏訪社上社の鉄塔・社木、破損す、
天文九 諏訪社上社、法楽能を行ふ、
天文九 妙安、惟高、相国寺住持となり入院す、、、
天文九 諏訪社上社々殿、鳴動す、
天文九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文九 甲斐武田信虎の息女祢々、諏訪頼重に嫁し、是日、諏訪に入る、
天文一〇 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一〇 諏訪社上社 蛙狩、
天文一〇 諏訪社上社上坊の立石、鳴動す、
天文一〇 水内郡長沼浄興寺了恵、寂す、
天文一〇 武田信虎、諏訪頼重・村上義清を誘ひ、海野棟綱を小県郡海野平に攻めて、、、
天文一〇 是より先、武田信虎、佐久郡竜雲寺祖昌徳翁、に、音信を通ず、、、
天文一〇 是より先、関東管領上杉憲政、海野棟綱の請に依り、小県郡に村上義清を、、、
天文一〇 佐久郡志賀の笠原新三郎、雲興寺を創建し、徳忠節香、を請じて開山と、、、
天文一〇 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一一 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一一 本願寺光教、証如、阿弥陀如来画像に裏書を書し、之を真宗寺祐顕に授く、、、
天文一一 諏訪頼重の嫡子虎王、生まる、
天文一一 諏訪社上社御柱引、
天文一一 諏訪社上社遷宮、諏訪頼重の子虎王、初めて同社に参詣す、
天文一一 武田晴信、高遠の諏訪頼継と共に、諏訪頼重を諏訪郡上原城に攻めて、、、
天文一一 是より先、武田晴信、諏訪頼重を桑原城に攻めて之を降す、、、
天文一一 佐久郡雲興寺住持徳忠、節香、埴科郡禅透院を開く、
天文一一 武田晴信、諏訪社上社に、灯明田並に社僧領を寄進す、
天文一一 武田晴信、古田七郎をして、諏訪郡金子・栗沢の地を安堵せしむ、
天文一一 高遠の諏訪頼継、同頼重の遺領を領す、
天文一一 武田晴信、諏訪頼継を討たんとし、諏訪社上社に戦勝を祈る、
天文一一 武田晴信、諏訪頼重の遺子虎王を擁して、諏訪頼継・矢嶋満清等を、、、
天文一一 武田晴信の将高白斎、伊那郡高遠に入り、藤沢に放火し、藤沢頼親を降す、、、
天文一一 諏訪社上社神長守矢頼真、同社祢宜職を兼ぬ、
天文一一 武田晴信、諏訪社上社神長守矢頼真に所役を免ず、
天文一一 板垣信方、諏訪郡尾口郷をして千野靭負尉に、年貢を進済せしむ、
天文一一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一一 祢津元直の女、甲斐武田氏に嫁す、
天文一一 泉六郎次郎、元服し、高梨政頼より政親の名を授けらる、
天文一一 諏訪社下社御造宮あり、高井郡木嶋上下郷等、同社秋宮四之御柱の造宮を、、、
天文一二 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一二 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
天文一二 相国寺鹿苑院塔主法霖、梅叔、同寺雲頂院雲沢軒主集尭仁如、に、、、
天文一二 板垣信方、佐久郡北沢の地を、井出縫殿尉に宛行ふ、
天文一二 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺年預となる、
天文一二 板垣信方、諏訪在城を命ぜらる、尋で、信方、諏訪郡上原城の普請を行ふ、、、
天文一二 賢諄、大痴、東福寺住持となり入院す、、、
天文一二 諏訪社上社神長守矢頼真、同社に天下泰平を祈る、
天文一二 武田晴信、諏訪郡下宮の城の普請を行ふ、
天文一二 板垣信方、諏訪社上社権祝をして、諏訪郡下桑原の御射山神田を安堵、、、
天文一二 幕府、相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、を、同寺住持となす、
天文一二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、足利義澄三十三年忌仏事に役者を勤め、、、
天文一二 武田晴信、千野靭負尉をして、諏訪郡尾口の地を安堵せしむ、
天文一二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、同寺山内の諸尊宿を斎会に招きて、、、
天文一二 武田晴信、大井貞隆を小県郡長窪に攻めて之を擒る、尋で、之を甲府に、、、
天文一二 田口長能、佐久郡新海社神宮寺に、梵鐘を寄進す、
天文一二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一二 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺に四度加行を行ひ、是月、結願す、
天文一二 小県郡定津院住持玄岱、海秀、同院の仏殿・僧堂・厨庫を再建し、、、
天文一三 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一三 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
天文一三 諏訪郡上原城の普請、成る、
天文一三 後奈良天皇、高梨政頼をして、禁裏御所修理科を進献せしむ、
天文一三 伊那郡文永寺宗信、山城勧修寺に於て、同寺門主寛欽より伝法潅頂を受く、、、
天文一三 伊勢御師榎倉武棟、同新九郎に、小笠原長時並に同名分の檀伊職等を譲る、、、
天文一三 小県郡福沢顕昌、伊勢大神宮に、同郡奈良本等の地を寄進す、、、
天文一三 高梨政頼、禁裏御所修理科献進の功に依り、従四位上に叙せらる、、、
天文一三 板垣信方、諏訪に屋敷を建つ、
天文一三 伊那郡文永寺宗信、上洛す、
天文一三 武田晴信、兵を伊那郡荒神山に進め、同郡箕輪藤沢頼親の軍と戦ふ、
天文一三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一三 伊那郡高遠諏訪頼継の兵、諏訪郡に攻入り、諏訪社上社神長守矢頼真の、、、
天文一三 幕府、再び相国寺雲頂院雲沢軒主集尭仁如、を、同寺住持となす、
天文一三 伊那郡文永寺堅純等、上洛す、
天文一四 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一四 伊那郡文永寺宗信・同宗然、禁中太元護摩に参仕す、
天文一四 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、同寺に再住し、入院開堂の式を行ふ、
天文一四 某、佐久郡修験の座列を定む、
天文一四 禁裏能楽、信濃に関する曲紅葉狩等、上演せらる、、、
天文一四 武田晴信、杖突峠より伊那郡に攻入り、諏訪頼継を同郡高遠に攻めて、、、
天文一四 伊那郡文永寺宗信等、山城醍醐寺より信濃へ帰る、
天文一四 是より先、小笠原長時、伊那郡竜ヶ崎城に拠りて藤沢頼親を援く、、、
天文一四 武田晴信、筑摩郡塩尻に陣を進む、
天文一四 山城醍醐寺に、岩間八講あり、伊那郡文永寺宗然、之に列す、
天文一四 塩田真興、紀伊高野山蓮華定院に月牌料を送る、、、
天文一四 是より先、藤沢頼親、武田晴信に随ひ、駿河に出陣す、是日、頼親、帰陣、、、
天文一四 某、南安曇郡梓川村氷室の三大師画像に裏書を書す、
天文一四 武田晴信、守矢神平に遍諱を与ふ、
天文一四 諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一五 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一五 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
天文一五 諏訪社上社神長守矢頼真、諏訪郡大熊より、同郡高部へ帰る、
天文一五 諏訪満茂、善六姓闕く、に所領を宛行ひ、併せて、諏訪頼継に、、、
天文一五 武田晴信、諏訪郡安国寺の内応を誘ふ、
天文一五 是より先、武田晴信、佐久郡内山城を攻む、是日、城主大井貞清、破れて、、、
天文一五 武田晴信の将上原昌辰、佐久郡内山城に入る、
天文一五 小県郡定津院の宝篋印塔、成る、
天文一五 高井郡笠原本誓寺性祐、寂す、
天文一五 武田晴信、保科掃部丞に、伊那郡内伝馬五疋分を免許す、
天文一五 武田晴信、三条西実澄等に、明年より信濃に於て、禁裏料所一万疋を、、、
天文一五 諏訪満隆、自害す、
天文一五 高井郡小菅権現社の脇立、成る、 小菅権現社の木造龕の銘
天文一五 武田晴信、諏訪社上社に、伊那郡内の地を寄進す、
天文一五 是より先、諏訪社上社神使千野宗光、同社三月御左口神付の費を懈怠、、、
天文一五 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺を退く、尋で、また、同寺に帰住す、
天文一六 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一六 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
天文一六 諏訪社上社大祝諏訪頼忠、去年諏訪大明神御渡なきことを、幕府に注進す、、、
天文一六 幕府、前相国寺住持集尭仁如、を、南禅寺住持となす、
天文一六 武田晴信、伊那郡高遠城の鍬立を行ふ、
天文一六 是より先、諏訪社上社神使御頭松嶋満清、乱後に依り、役料の減免を、、、
天文一六 佐久郡岩村田僧祐尊、涅槃経を書写す、 岩村田善珠院僧某、大宝績経を、、、
天文一六 武田晴信、佐久郡大井貞清父子の出仕を促す、尋で、同父子、甲府に到る、、、
天文一六 武田晴信、その家法を定め、甲斐・信濃等に公布す、
天文一六 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、同門疏を作りて、玄津月航、の、、、
天文一六 武田晴信、佐久郡正安寺に、制札を掲ぐ、
天文一六 武田晴信、佐久郡志賀城を攻めて之を陥る、、、
天文一六 水内郡葛山落合神社本殿の修理、成る、 伊那郡遠照寺釈迦堂の墨書銘、
天文一六 武田晴信、保科正俊に諏訪郡栗林の地を宛行ふ、
天文一六 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一六 伊那郡文永寺宗信、寂す、
天文一七 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一七 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、また、同寺賢純、壇所に、、、
天文一七 伊那郡文永寺厳詢、山城醍醐寺理性院に入る、
天文一七 諏訪社上社前神長守矢頼真、従三位に叙せらる、
天文一七 武田晴信、村上義清と小県郡上田原に戦ひて敗る、晴信傷き、、、
天文一七 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺上衆年預に、同厳詢、三昧堂年預となる、
天文一七 諏訪社上社精進始なし、
天文一七 小県郡定津院住持玄岱、海秀、寂す、
天文一七 室住玄蕃允、兄板垣信方に代り、諏訪郡上原城に在城す、
天文一七 諏訪頼継、甲府より伊那郡高遠に帰る、
天文一七 小笠原長時、村上義清等と共に、諏訪郡下宮を侵す、尋で、また侵す、
天文一七 諏訪社上社御柱引、
天文一七 武田晴信、佐久郡松原社をして、同社領を安堵せしめ、祭礼を、、、
天文一七 村上義清の兵、佐久郡内山城に放火す、
天文一七 伊那郡高遠の諏訪頼継、保科因幡をして、所領を安堵せしむ、
天文一七 武田晴信、佐久郡布引城の鍬立を行ふ、
天文一七 武田晴信、依田宮内大輔に、佐久郡田口の地を宛行ふ、
天文一七 是より先、諏訪郡西方衆矢嶋・花岡等、小笠原長時に通じ、武田晴信に叛、、、
天文一七 山城醍醐寺行樹院に於て、澄恵卅三回忌曼茶羅供あり、、、
天文一七 武田晴信、諏訪社上社に、太刀を奉納し、武運を祈る、
天文一七 武田晴信、市川右馬助等に、佐久郡瀬戸の地を宛行ふ、
天文一七 武田晴信、長坂虎房をして、諏訪郡上原に在城せしむ、
天文一七 武田晴信、佐久郡田口領内に、制札を掲ぐ、 晴信、某地に制札を掲ぐ、
天文一七 佐久郡依田春賢、紀伊高野山蓮華定院に音信を通ず、、、
天文一七 諏訪社上社の宝鈴、盗まる、
天文一七 武田晴信、諏訪社上社神長守矢頼真をして、同社神長職を安堵せしむ、
天文一七 伊那郡文永寺厳詢等、山城醍醐寺神人の役を勤む、
天文一七 是より先、武田晴信の将小山田信有、佐久郡田口城を攻めんとし、却つて、、、
天文一七 武田晴信、筑摩郡村井城の普請を始む、
天文一七 武田晴信、某に、筑摩郡内田・小池両大宮祢宜職を宛行ふ、
天文一七 武田晴信、千石帯刀左衛門尉をして、その本領を安堵せしむ、、、
天文一七 伊那郡文永寺厳詢、山城醍醐寺を逐電し、同国清水寺に隠る、
天文一七 武田晴廉、千野左兵衛尉をして、諏訪郡西方衆を追放し、その所領を、、、
天文一七 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一七 諏訪社下社造宮あり、水内郡尾崎郷等、同社秋宮一之御柱造宮を勤む、
天文一八 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一八 長坂虎房、諏訪郡高嶋城に入る、
天文一八 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、
天文一八 安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、
天文一八 伊那郡文永寺宗然、山城醍醐寺理性院厳助より、伝法潅頂を受く、
天文一八 武田晴信、佐久郡望月源三郎に、所領を宛行ふ、
天文一八 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、禁裡聖天法楽和漢聯句会に列す、
天文一八 武田晴信、千野靭負尉をして、諏訪右衛門尉の本領諏訪郡尾口郷を同人に、、、
天文一八 僧舜栄、王室、小県郡定津院住持となる、
天文一八 武田晴信の軍、佐久郡春日城を攻めて之を破る、
天文一八 佐久郡望月新六、武田晴信に属し、是日、晴信に出仕す、
天文一八 佐久郡伴野信豊、武田晴信に出仕す、
天文一八 武田晴信、望月信雅をして、望月氏の惣領たらしむ、
天文一八 諏訪郡仏法寺尊朝、真言秘密の印の次第等を註す、
天文一八 武田晴信、甲府を発し、諏訪郡高嶋城に入る、尋で、伊那郡箕輪城に到り、、、
天文一八 武田晴信、浜右近進に、諏訪郡真志野の地を宛行ふ、
天文一八 武田晴信、伊那郡箕輪より、諏訪郡高嶋・上原を経て、、、
天文一八 武田晴信、佐久郡平原城に放火す、尋で、甲府に帰陣す、
天文一八 伊那郡藤沢頼親、甲府に到る、
天文一八 武田晴信、諏訪清三の、去年小笠原長時に与せる罪を許し、、、
天文一八 小笠原長棟、卒す、
天文一八 是より先、木曽定勝寺、洪鐘を鋳る、、、
天文一八 諏訪社上社神長守矢頼真、諏訪郡高嶋城々将長坂虎房に、乱中につき、、、
天文一八 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一八 佐久郡伴野信豊、武田晴信に出仕す、
天文一八 小笠原信貴、宗販遅伝、を伊那郡開善寺住持に請じ、同寺を中興せしむ、
天文一九 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文一九 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、
天文一九 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、丹波山国庄北村某邸に於て、仏事を修す、
天文一九 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、永原重隆の葬礼に、起龕仏事を勤む、
天文一九 宗忍、埴科郡福徳寺に於て、九条錫杖略注を書写す、
天文一九 仁科某、安曇郡等々力郷内の地を、井口帯刀に宛行ふ、
天文一九 先に盗難に遭ひし諏訪社上社御宝鈴、同社に還る、
天文一九 武田晴信の将高白斎、諏訪郡高嶋城に到る、
天文一九 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、禁裏和漢聯句会に列す、
天文一九 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、禁裏和漢聯句会及び当座和歌会に列す、、、
天文一九 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺に下向のため、村上坂木衆と共に、、、
天文一九 諏訪社下社、同社明年常楽会頭役を、筑摩郡洗馬郷に充つ、
天文一九 是より先、将軍足利義晴薨ず、是日、山城慈照寺に葬礼を行ふ、、、
天文一九 幕府、足利義晴の七々日忌を相国寺に営み、、、
天文一九 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺密乗院に於て、僧宗然に、、、
天文一九 木曽義在、木曽若宮社に、長野志ゝごの内の地を寄進す、 飛騨三木直頼、、、
天文一九 某、伊那郡文永寺密乗院に於て、頼真の書状を書写す、 某、密乗院に、、、
天文一九 武田晴信、真田幸隆に、小県郡諏訪形等の地を宛行ふ、
天文一九 小笠原長時、将軍足利義輝の代替を賀し、太刀・馬等を贈る、、、
天文一九 武田晴信、信濃府中に攻入り、小笠原長時を筑摩郡林城に破る、
天文一九 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺に結縁潅頂を行ふ、
天文一九 武田晴信、村上義清を、小県郡砥石城に攻めて敗績す、、、
天文一九 山城醍醐寺理性院厳助、伊那郡文永寺を発して帰洛の途につく、
天文一九 是より先、小笠原長時、村上義清の援を得て、安曇郡平瀬に兵を進む、、、
天文一九 冬至、相国寺秉払を行ふ、同寺住持集尭、仁如、頭首五座のうち、、、
天文一九 相国寺住持集尭、仁如、上堂して、同寺冬至秉払の頭首同寺勝定院大梅軒、、、
天文一九 村上義清、佐久郡桜井城を攻めて、之を焼く
天文一九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文一九 武田晴信、存弁をして、佐久郡安養寺を、董せしむ、
天文一九 武田晴信の将、高白斎筑摩郡深志城に入る、
天文一九 僧徳忠、節香、佐久郡常源寺を開く、
天文二〇 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文二〇 伊那郡文永寺宗然、禁中太元護摩に参仕す、
天文二〇 武田晴信、甲斐一宮に信濃府中攻略の成れるを謝し、社領を寄進す、
天文二〇 下諏訪の某、甲府に到る、
天文二〇 仁科某、大厩兵五をして、白荷の通過を取締らしむ、
天文二〇 武田晴信、本郷孫三郎に、板垣惣領分内の地等を宛行ふ、
天文二〇 武田晴信、大井貞清をして、佐久郡内山城を守らしむ、是日、貞清着城す、、、
天文二〇 真田幸隆、小県郡砥石城を陥る、
天文二〇 武田晴信、恩賞を以て、保科正俊の参陣を誘ふ、
天文二〇 相国寺兵燬に焼く、同寺住持集尭、仁如、詩を賦して之を嗟歎す、
天文二〇 佐久郡岩尾行吉、甲斐若神子に到り、武田晴信に出仕す、
天文二〇 更級郡布施郷の僧秀弘、山城上醍醐寂静院谷内に浄光坊を開き、、、
天文二〇 諏訪社上社、佐久郡田口郷を、同社明年御射山祭頭役に定む、
天文二〇 武田晴信、佐久郡桜井山城に陣を進む、尋で、同寺岩村田城を普請す、
天文二〇 武田晴信、上原昌辰小山田備中守、をして、大井貞清に替り、、、
天文二〇 長坂虎房、千野靭負尉をして、諏訪郡有賀郷内の年貢を領せしむ、、、
天文二〇 望月信雅、佐久郡矢嶋並に蓬田の内の地を、紀伊高野山蓮華定院に寄進す、、、
天文二〇 武田晴信、安曇郡平瀬城を攻めて、之を陥る、
天文二〇 武田晴信の兵、安曇郡小岩岳城を攻めて放火す、、、
天文二〇 武田晴信の将飯富藤蔵、村上義清の被官東条某を討捕る、
天文二〇 伊那郡高遠諏訪頼継、一瀬市村に同郡宮所の内一瀬の地を宛行ふ、
天文二〇 武田晴信の伊那郡攻略に先だち、その将原虎頭、佐久郡松原社に、、、
天文二一 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文二一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文二一 望月信雅、村田新九郎に偏諱を与ふ、
天文二一 武田晴信、伊那郡高遠諏訪頼継をして、甲府に自刃せしむ、
天文二一 武田晴信、諏訪頼継の遺臣高遠近習衆をして、知行を安堵せしむ、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、相国寺より、播磨盛厳寺に遷居す、
天文二一 長尾景虎、本誓寺超賢をして、加賀等の一向宗門徒を諭し、北陸の通路を、、、
天文二一 佐久郡金剛寿院〓永、紀伊高野山蓮華定院を、同郡の宿坊と定む、
天文二一 本願寺光寿、証如、親鸞の木像に銘を書し、水内郡長沼西厳寺に授く、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、井上房永の請に応じて、、、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺の徒真賢明甫、に道号を、、、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺の徒宗久良叔、の請に応じ、、、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺住持真香梅心、の請に応じ、、、
天文二一 武田晴信、筑摩郡熊井城の鍬立を行ふ、
天文二一 矢嶋重綱・同政綱、諏訪社上社今年御射山祭神事の御穀の免除を、、、
天文二一 小笠原長時、山城建仁寺禅居庵の摩利支天に、戦勝を祈る、
天文二一 荻原豊前、佐久郡松原社に神馬銭を渡す、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨慈済庵住持竜岫雲甫、の請に応じ、、、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、有玄以三、の請に応じて、之に道号を、、、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨光明寺住持善策亀渓、の請に応じ、、、
天文二一 武田晴信、大日方讃岐入道に、安曇郡青具等の地を宛行ふ、
天文二一 武田晴信、安曇郡小岩岳城を攻めて、之を破る、尋で、筑摩郡深志城に、、、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺より同国三枝寺に寄寓せる、、、
天文二一 諏訪社下社、同社明年常楽会臨時頭役を、佐久郡田口郷地頭に充つ、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨雲興寺住持集倫等叔、及びその徒、、、
天文二一 武田晴信、諏訪郡慈雲寺住持玄長天桂、をして、同寺領を安堵せしむ、
天文二一 武田晴信の臣長坂虎房、諏訪頼重の月忌料として諏訪郡来迎寺に、寺領を、、、
天文二一 武田晴信、某をして、甲府より諏訪への道路橋梁を攻修せしむ、
天文二一 伊那郡知久頼康、同郡阿嶋安養寺の堂舎を造立す、
天文二一 是より先、相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨盛厳寺住持真香梅心、、、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨植田光範善祝、の請に応じて、、、
天文二一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文二一 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨徳岩寺住持宗永貞嶽、の請に応じ、、、
天文二一 某、高井郡下木嶋郷等の、夫役を注す、
天文二一 周防法泉寺住持宗栄、春芳、上洛す、尋で、宗栄帰郷せんとす、京都、、、
天文二二 諏訪社上社、神使御頭を定む、
天文二二 伊那郡文永寺宗然・同厳詢、禁中太元護摩に参仕す、
天文二二 武田晴信・同義信父子、信濃に兵を出さんとし、是日、小山田昌辰に之を、、、
天文二二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、
天文二二 仁科盛康、武田晴信に出仕す、
天文二二 武田晴信、依田春賢をして、小県郡中丸子等の地を安堵せしむ、
天文二二 武田晴信、筑摩郡法善寺に制札を掲ぐ、
天文二二 武田晴信、飯嶋与兵衛に所領を宛行ふ、
天文二二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、播磨比延貞房善保、に安名し、、、
天文二二 武田晴信、筑摩郡苅屋原城を陥れ、城主太田長門守を生捕る、、、
天文二二 是より先、武田晴信、諸将をして、埴科郡葛尾城に、村上義清を攻めしむ、、、
天文二二 山城醍醐寺俊聡、伊那郡文永寺宗然に伝法許可の印信を授く、
天文二二 小県郡慈済寺、涅槃画像の箱を調製す、
天文二二 武田晴信の兵、越後長尾景虎の兵と、更級郡八幡に戦ふ、尋で、晴信、、、
天文二二 佐久郡正安寺住持英文、月舟、寂す、
天文二二 是より先、武田晴信、筑摩郡海野下野守に、同郡苅屋原の地を宛行はんと、、、
天文二二 埴科郡屋代政国、紀伊高野山蓮華定院を、その領民の宿坊と定む、
天文二二 武田晴信、大須賀久兵衛尉に、所領を宛行ふ、
天文二二 播磨赤松晴政、亡父義村の三十三年忌仏事を同国安養寺に修し、、、
天文二二 相国寺雲頂院雲沢軒主集尭、仁如、餞偈を賦して、その侍者宗詔文鳳、の、、、
天文二二 僧宗察、知庵、佐久郡正安寺住持となる、
天文二二 武田晴信、村山義清を小県郡塩田城に攻めんとし、是日、甲府を発して、、、
天文二二 武田晴信、小県郡和田城を陥る、
天文二二 武田晴信、小県郡塩田城を陥る、尋で、飯富虎昌をして、同城を守らしむ、、、
天文二二 武田晴信、大日方美作入道等に条目を送り、村上義清の軍に備へしむ、
天文二二 武田晴信、真田幸隆に、小県郡秋和の地を宛行ふ、尋で、小県郡の諸士に、、、
天文二二 武田晴信、小県郡下之郷上下社をして、社領等を安堵せしむ、
天文二二 武田晴信、更級郡村上庄内の地等を祢津某等に、宛行ふ、
天文二二 後奈良天皇、宸筆般若心経を諏訪社上社に奉納して、天下泰平を祈らる、、、
天文二二 是より先、越後長尾景虎の軍、村上義清を援けんがため信濃に攻入り、、、
天文二二 武田晴信、曲尾越前守に小県郡松本郷の地を宛行ふ、
天文二二 武田晴信の兵、筑摩郡麻績・更級郡荒邸両城に放火す、
天文二二 長尾景虎の兵、埴科郡坂城南条に放火するにより、武田晴信兵を出す、、、
天文二二 武田晴信、飯嶋源助に、伊那郡市田郷内の地を宛行ふ、尋で、之を安堵、、、
天文二二 武田晴信、小県郡塩田より、筑摩郡深志城に入る、尋で、甲府へ帰陣す、
天文二二 僧宗長、年室、小県郡定津院舜栄王室、の法を嗣ぐ、
天文二二 是より先、諏訪社上社神長守矢頼真、山城般舟院三昧院友空を介して、、、
天文二二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、、、
天文二二 建仁寺住持景秀、鉄叟、同寺禅居庵の徒隆喝食の請に応じて、、、
天文二二 武田晴信、信濃に出陣せんとし、山城清水寺成就院の、観音像並に、、、
天文二二 長尾景虎の将本庄実乃、上野家成に書を遺り、景虎の兵の京都よりの、、、
天文二二 仁科某、安曇郡大町年寄衆に、丹生子・大町両関の津料を免ず、
天文二二 諏訪社上社大祝諏訪頼忠、信濃国一宮諏訪本社上宮御鎮座秘伝記を書す、、、
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