林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2016年3月15日火曜日
信濃史料 巻二十 慶長九年(1604)~
巻二十 慶長九年(1604)~
慶長九 水内郡戸隠山法印賢栄、寂す、
慶長九 松本城主石川三長、康長、安曇郡満願寺をして、寺領を安堵せしむ、、、
慶長九 山城本願寺光昭、准如、更級郡康楽寺所蔵の親鸞上人具髪画像に、、、
慶長九 筑摩郡青柳伝右衛門、深江角兵衛に金子を納む、
慶長九 松城城主松平忠輝、高井郡浄運寺に、寺領分諸役を免ず、
慶長九 松平忠輝、水内郡月輪寺等に地を寄進す、
慶長九 石川三長、康長、安曇郡舟場村代官等をして、竹林の破損の状況を報ぜしめ、、、
慶長九 松平忠輝、水内郡大安寺に寺領を寄進す、尋いで、同郡性乗寺にも寄進す、、、
慶長九 松平忠輝、水内郡田尻之宮等に神領を渡付す、
慶長九 小県郡下之郷大明神の絵馬、成る、
慶長九 石川三長、安曇郡倉科惣介に、同郡舟場・野平の前年分年貢勘定目録を、、、
慶長九 大久保長安、千村良重に、徳川家康・同秀忠に柿を献上せんことを求む、
慶長九 真田信之、江戸に在りて、出浦対馬守に書を送り、領内年貢算用のことを、、、
慶長九 徳川家康、遠江に至り、木曽より遠江へ出す榑木の材質悪しきを責む、、、
慶長九 神道管領長上吉田兼治、河中島四郡の社家の修験作法を行ふを禁じ、、、
慶長九 仙石秀久、鷲見次久等に知行を与ふ、
慶長九 仙石秀久、山城石清水八幡宮に佐久郡桜井村の地を寄進す、、、
慶長九 神道管領長上吉田某、伊那郡菅沼八幡宮祠官菅沼継忠をして、、、
慶長九 諏訪頼満、頼水、屋代秀政より祢津松鷗軒記を贈らる、
慶長九 川中島四郡の草山年貢帳、成る、 慶長十年以後改出しにかかる草山年貢帳
慶長九 松平忠輝、高井郡更科村大明神社等に神領を寄進す、、、
慶長九 本願寺光昭、准如、水内郡康楽寺所蔵の親鸞上人画像に裏書を加ふ、
慶長九 保科正光、伊那郡鉾持権現社の、同社修理料を領内に於いて、、、
慶長九 真田信之、蜂須賀新六等に知行を与ふ、
慶長九 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長九 更級郡興禅寺住持存育、隆山、淳雪に密参を伝授す、
慶長九 木曽山村良勝、木曽岩郷の月付榑木の算用を遂ぐ、
慶長九 幕府・東山・東海・北陸等の諸街道を修理し、一里塚を築く、、、
慶長九 小笠原秀政の女、阿波蜂須賀至鎮に嫁す、
慶長九 某、仙石秀久のために祈念す、
慶長九 木曽代官、当年の谷中勘定目録を記す、
慶長一〇 徳川家康、小諸仙石忠政の弟久隆に知行を加増す、
慶長一〇 皆川広照、重ねて、飯山領内の諸社をして、神領を安堵せしむ、
慶長一〇 本因坊算砂、真田信之等に物を贈る、
慶長一〇 是より先、石川三長の家臣渡辺長次、諏訪頼満頼水、の家臣千野左兵衛等、、、
慶長一〇 真田信之の家臣日置豊後、長井権助に田地を渡す、
慶長一〇 徳川秀忠、上洛のため江戸を発す、仙石秀久・石川三長・小笠原秀政、、、
慶長一〇 仙石秀久、同直政等をして、佐久郡内社人等への寄進未渡分の、、、
慶長一〇 幕府、駿河阿部衆海野弥兵衛・朝倉在重をして、、、
慶長一〇 神戸秀次、伊那郡知久平八幡宮に地を寄進す、
慶長一〇 諏訪郡の刀鍜冶川上信舎、卒す、
慶長一〇 小笠原秀政、徳川秀忠上洛供奉のため近江愛知川に到り、、、
慶長一〇 重行、姓闕く佐久郡泉殊院に、佐久郡久能村の地を寄進す、
慶長一〇 真田信之、小県郡原町の町割を改む、、、
慶長一〇 佐久郡正安寺住持種才、良室、雄的的外、に宗旨約束の切紙を伝授す、、、
慶長一〇 小笠原秀政、伊那郡東照寺に禁制を掲ぐ、
慶長一〇 石川三長の家臣鶴見長勝、安曇郡金熊村の北沢対馬をして、、、
慶長一〇 信濃の人関吉兼、卒す、
慶長一〇 松城城主松平忠輝、参内を遂げ、従四位下に叙せられ、右近衛少将に、、、
慶長一〇 是より先、小県郡定津院看坊秀嫩、桂巌、甲斐興因寺と、、、
慶長一〇 征夷大将軍徳川秀忠、諏訪頼満頼水、をして、諏訪郡を領知せしむ、
慶長一〇 徳川秀忠、将軍宣下拝賀のため参内す、、、
慶長一〇 諏訪頼満、頼水、従五位下に叙せられ、因幡守に任ぜらる、
慶長一〇 小笠原秀政、犬甘内記に近況を報じ、飯田城の留守を依頼す、、、
慶長一〇 松平忠輝、将軍徳川秀忠の名代となり、大坂に赴く、
慶長一〇 菅三右衛門、木曽黒川村肝煎等をして、旧の如く山のことを沙汰せしむ、
慶長一〇 筑摩郡牛伏寺憲怡、大般若経に識語を加ふ、
慶長一〇 石川三長の家臣鶴見喜左衛門、安曇郡倉科宗助等に、、、
慶長一〇 忠右衛門、姓闕く高井郡小兵衛より年貢米を請取る、
慶長一〇 佐久郡竜雲寺住持将奕、大雲、京察に伝法す、
慶長一〇 諏訪郡高嶋城主諏訪頼忠、卒す、
慶長一〇 真田信之、小県郡実相院をして、寺領を安堵せしむ、
慶長一〇 石川三長の家臣渡辺長次、安曇郡安楽寺をして、寺領・門前屋敷等を、、、
慶長一〇 山村良勝、木曽宮越村の伝馬人足条目を定む、
慶長一〇 松平忠輝、水内郡西巌寺に寺領を寄進す、
慶長一〇 松平忠輝、高井郡前坂村の検地を行ふ、
慶長一〇 伊那郡小川郷、同郷持高帳を記す、 慶長十二年の小川郷年貢帳
慶長一〇 石川三長、筑摩郡兎川寺をして、門前屋敷等を安堵せしむ、、、
慶長一〇 松平忠輝、埴科郡熊野社に、同郡皆神山の地を寄進す、
慶長一〇 真田信之の家臣清水甚右衛門等、小県郡前山村の検見を行ひ、、、
慶長一〇 小県郡信綱寺将奕、大雲、警巌より天童山樹上の切紙を伝授せらる、
慶長一〇 建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺住持となり、入院す、
慶長一〇 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長一〇 冬至、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一〇 諏訪頼満、頼水、亡父頼忠の百箇日供養を行ふ、
慶長一〇 小県郡信綱寺将奕、大雲、京察に七仏以前天竺一枚切紙を伝授す、
慶長一〇 浅間山、噴火す、
慶長一〇 仏成道日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一〇 保科正貞、従五位下に叙せらる、
慶長一〇 木曽代官、当年の谷中勘定目録を記す、
慶長一一 元旦、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一一 信濃の人宮崎泰景、卒す、
慶長一一 仙石秀久、鷲見九一郎に、佐久郡平尾郷内に於いて知行を与ふ、、、
慶長一一 大久保長安、諏訪社下社に灯篭を寄進す、
慶長一一 水内郡祐聖、祇蓮坊、戸隠山顕光寺流記を越後に於いて買得し、、、
慶長一一 徳川秀忠、小笠原秀政の二子小笠原幸松丸・春松丸に加冠し、、、
慶長一一 仙石秀久、出沢久三郎等に、佐久郡長土呂に於いて知行を与ふ、
慶長一一 建仁寺住持慈稽、古澗、豊臣守尚の請により、長谷川宗仁の、、、
慶長一一 仙石秀久、領内に新鉄砲奉公人を募る、
慶長一一 徳川家康、下総香取社を造営す、是日、信濃の弥七郎等、大鋸衆として、、、
慶長一一 真田信之、原半兵衛に令して、小県郡秋和の闕落百姓を還住せしむ、
慶長一一 真田信之、木村土佐守に令して、小県郡和田等の闕落百姓等の年貢諸役を、、、
慶長一一 山村良勝、木曽湯舟沢村の月付皆済状を林六郎左衛門に渡し、、、
慶長一一 真田信之、小山田之知に知行を与ふ、
慶長一一 真田信之、木村土佐守に命じ、加藤清正の女の、、、
慶長一一 真田信之、矢沢頼幸に同心を預く、
慶長一一 山村良勝、木曽贄川宿百姓等の訴に依り、諸役を減免す、、、
慶長一一 真田信之、関口角左衛門に知行を与ふ、、、
慶長一一 山村良勝、木曽湯船沢村の年貢仕詰状を林六郎左衛門に渡す、
慶長一一 小県郡信綱寺住持京察、廟移の切紙を書す、
慶長一一 山村良勝、川崎与五左衛門に命じ、木曽岩郷村より桧木七百五十本を、、、
慶長一一 伊那郡開善寺住持玄種、蛮宿、玄芳梅南、に古則密参の切紙を伝授す、
慶長一一 真田信之、日置五右衛門に足軽廿人を預く、
慶長一一 皆川広泰等、高井郡小菅社に絵馬を奉納す、
慶長一一 建仁寺開山栄西明庵、忌日、同寺住持慈稽、古澗、拈香仏事を同寺に修す、、、
慶長一一 山村良勝等、木曽の土井・榑木の銀値段を定む、、、
慶長一一 解制、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一一 松平正綱等、千村良重をして、故遠山加兵衛知行地跡のことを、、、
慶長一一 松平忠輝、更級郡八幡社に禁制を掲ぐ、
慶長一一 真田信之、小林九右衛門より、前年分年貢の金を請取る、
慶長一一 山城聖護院法印某、佐久郡某に、僧都補任のことを同院門主に、、、
慶長一一 山村良勝、千村良重をして、諏訪頼満頼水、方より出すかはら、、、
慶長一一 石川三長、筑摩郡正行寺をして、寺領を安堵せしむ、
慶長一一 真田信之、小県郡海野町清右衛門等の家を、客来の時の宿と定む、
慶長一一 建仁寺禅居庵の徒正精、進月、同寺住持となり入院す、、、
慶長一一 幕府、佐久郡平沢村等の百姓を、佐久郡海口村と平沢村の間に移し、、、
慶長一一 伊那郡虎岩村、当年の年貢納帳を記す、
慶長一一 水内郡荒頼原・舟竹村の名寄帳、成る、
慶長一一 仙石秀久の子政能、従五位下に叙せられ、丹後守に任ぜらる、
慶長一一 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長一一 保科正光、有賀太郎右衛門尉に知行を給すべきを約す、
慶長一一 木曽代官、当年の谷中勘定目録を駿府勘定所に差出す、
慶長一一 小県郡信綱寺住持将奕、大雲、京察に自家訓訳を伝授す、、、
慶長一一 真田信之、小県郡信綱寺に江湖領を寄進す、
慶長一一 松平忠輝、陸奥伊達政宗の女を娶る、
慶長一一 小笠原秀政、伊那郡瑠璃寺に禁制を掲ぐ、
慶長一一 幕府、保科正光に江戸城普請手伝を命ず、
慶長一二 真田信之、河野清右衛門に、佐野加右衛門・馬場市兵衛分の地等を与ふ、
慶長一二 埴科郡明徳寺住持是鑑、円室、円祝に大事目録を伝授す、
慶長一二 紀伊高野山の真田昌幸、小山田之知の賀歳を謝し、、、
慶長一二 仏涅槃日、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一二 大久保長安、角倉了以に書を送り、千曲川の通船の可否検分のため、、、、
慶長一二 松平忠輝、諸人の高井郡鷹巣山に入るを禁ず、
慶長一二 仏誕生日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一二 保科正光の家臣篠田隆吉、江戸城普請の人足について、、、
慶長一二 結制、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、、、
慶長一二 大久保長安、山村良勝をして、木曽材木を甲・駿州に送らしむ、
慶長一二 仙石秀久、高橋源助に知行を与ふ、
慶長一二 石川三長、草間源介に、筑摩郡小池郷に於いて知行を与ふ、
慶長一二 林宗重、伊那郡大平新左衛門等に、同郡今田郷の某志摩の跡職を預く、
慶長一二 幕府、信越・関東・奥羽等の諸大名をして、江戸城天守及び石塁を修築、、、
慶長一二 是より先、幕府、美濃衆をして駿府城修築の用材を木曽に採らしめ、、、
慶長一二 宮下藤右衛門、河原右京亮に、同心給の替地として、、、
慶長一二 佐久郡正安寺住持種才、良室、兼知死期秘事切紙を雄的 的外、に伝授す、、、
慶長一二 徳川家康、角倉了以の、諏訪より遠江県塚に至る天竜川の舟路を、、、、
慶長一二 是より先、佐竹義宣、石川三長に音信す、、、
慶長一二 真田信之、同高勝菩提のため、小県郡高勝寺に寺領を寄進す、、、
慶長一二 神道管領長上吉田兼任、高井郡小山八幡宮祠官山岸吉具に、、、
慶長一二 耶蘇会神父某、江戸より信濃・美濃を経て、京都に向ふ、
慶長一二 松平忠輝、水内郡穂刈新町に市立を許す、
慶長一二 石川三長、筑摩郡刈谷沢・中村等の村々をして、金荷俄大伝馬の時、、、
慶長一二 山城聖護院門主道澄、佐久郡法華堂祐源を僧都となす、
慶長一二 伊那郡地侍衆平出権右衛門等、保科正光の家臣吉川九兵衛、、、
慶長一二 中秋、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一二 本願寺光寿、教如、筑摩郡正行寺所蔵の三朝高祖・聖徳太子画像に裏書を、、、
慶長一二 山城聖護院門主道澄、佐久郡法華堂祐源を同郡大井の檀那先達職となす、
慶長一二 達磨忌、建仁寺住持慈稽、古澗、拈香仏事を修して之を追薦す、
慶長一二 飯田城主小笠原秀政の室、徳川家康孫女、卒す、、、
慶長一二 仙石秀久、佐久郡望月鎮守八幡宮に神田を寄進す、、、、
慶長一二 真田信之、与五右衛門に知行を与ふ、
慶長一二 東天、南嶺、仏説最大一切徳円満知死期経を雄的的外、に付す、
慶長一二 冬至、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一二 伊那郡開善寺住持玄種、蛮宿、宗船月窓、に法衣戒法を授け、安名す、
慶長一二 山村良勝、木曽奈良井宿に条目を頒つ、
慶長一二 仙石秀久、高橋源助に佐久郡平賀の地を給す、
慶長一二 嘉右衛門姓闕く等、筑摩郡青柳の太兵衛より問屋役銀を請取る、
慶長一二 真田信之・石合新左衛門より、今年年貢の金銀子を請取る、
慶長一二 真田信之、小川二郎右衛門等に地を与ふ、、、
慶長一二 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長一二 真田信之、日置一郎兵衛をして、小県郡岡村等の地を安堵せしむ、
慶長一二 真田信之、上野平川戸町の伝馬等につき条規を定む、
慶長一二 是より先、駿府城、火く、、、、
慶長一二 徳川秀忠、諏訪頼満、頼水、の子松千代丸に偏諱を与へて、、、
慶長一二 松平忠輝、水内郡北条村の荒地切開の検地を行ふ、
慶長一二 斉藤盛正、小県郡天竜寺縁起を補修す、
慶長一二 佐久郡貞祥寺住持運芸、才庵、同寺を芳達大翁、に譲り、、、、
慶長一二 佐久郡正安寺住持種才、良室、同郡に東光寺を開き、之に移る、、、
慶長一三 大久保長安、駿府築城のため、木曽山村良勝・遠山友政に、、、
慶長一三 真田信之、金井金右衛門に知行を与ふ、
慶長一三 真田信之、上野渡常陸守をして、同国大柏木百姓を還住せしむ、
慶長一三 筑摩郡牛伏寺憲康、是頃、大蔵経を閲読す、、、
慶長一三 仙石秀久、小林五郎左衛門に佐久郡平賀の地を与ふ、
慶長一三 南嶺、雄的的外、に倶胝一指禅大事を授く、
慶長一三 是より先、伊那郡竜門寺玄彭、覚堂、保安寺住持楽福尼の請に応じて、、、
慶長一三 宮田又左衛門等、伊那郡日輪寺に、替地を給す、
慶長一三 小笠原秀政の家臣春日淡路、伊那郡市田宿並びに同郡大島宿の条規を定む、、、
慶長一三 徳川秀忠、仙石秀久の江戸の邸に臨む、
慶長一三 諏訪社上社、御影供頭番を定む、
慶長一三 真田信幸、信之、小県郡下之郷大明神に板額を掲ぐ、
慶長一三 山村良勝、小野某の知行分年貢を減ず、
慶長一三 田中善右衛門等、高井郡秋山に入山する者の、皆川広照に、、、、
慶長一三 真田信之、木村土佐守をして、金子を助三 姓闕くに渡さしむ、
慶長一三 木曽代官山村良勝、領内諸村の年貢・課役等を定む、
慶長一三 真田信之、徳川秀忠に物を贈る、 信濃諸大名、秀忠に物を贈る、
慶長一三 小県郡長谷寺住持等瑞、布国、大承禀室、に密参目録を伝授す、
慶長一三 真田信之、諸人の猥りに小県郡奈良原又兵衛屋敷付の山に入るを禁ず、
慶長一三 某宮内卿、源氏女、神鏡を水内郡戸隠社に奉納す、
慶長一三 真田信之、川原右京亮より年貢金を請取る、、、
慶長一三 半夏、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一三 真田信幸、信之、小県郡下之郷大明神等に造営料を寄進す、
慶長一三 日桓、依田道春に蔓茶羅を授く、
慶長一三 木曽の千村家政、卒す、
慶長一三 美濃岩村城主松平乗寿、山村良安の使者の、材木検査厳重に過ぐるを、、、
慶長一三 松平忠輝、高井郡興国寺に、同郡臥竜山を寄進す、
慶長一三 松平忠輝、埴科郡東条諏訪大明神に地を寄進す、
慶長一三 伊那郡開善寺住持玄種、蛮宿、小笠原秀政の家臣某の求めに応じ、、、
慶長一三 某、諏訪社上社に鎌を寄進す、
慶長一三 溝口貞康、溝口家記を編録す、
慶長一三 諏訪郡矢島六左衛門、養子諏訪社上社権祝綱政に、新古今和歌集を授く、
慶長一三 能登総持寺、伊那郡西光寺呑退をして、同寺に瑞世転衣せしむ、
慶長一三 諏訪頼郷、伊勢大神宮御師矢の倉六左衛門に音信を送る、
慶長一三 佐久郡貞祥寺住持徳応、喚室、寂す、
慶長一三 窪村善助等、筑摩郡青柳伝右衛門より兵法の伝授を受く、
慶長一三 小笠原秀政、伊那郡小平村の検地を行ふ、
慶長一三 石川三長、安曇郡満願寺をして、寺領を安堵せしむ、、、
慶長一三 小県郡良泉寺、成る、
慶長一三 仙石秀久、鷲見九一郎等に鉄砲を免許し、熊皮等を納めしむ、
慶長一三 右馬助姓闕く等、佐久郡海瀬新町を立つ、、、
慶長一三 竹村七蔵・須田少三等、佐久郡大日向村の畑方物成を記す、、、
慶長一三 建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺住持紹益三江、の請に応じて、、、
慶長一三 幕府、街道宿整備のため、佐久郡西樋沢村の百姓を同郡板橋に移す、
慶長一三 仙石秀久、佐久郡万福寺に同郡長土呂の地を寄進す、
慶長一三 仙石秀久、佐久郡野沢原村源六等に、田畑出目分年貢を給す、
慶長一三 左近姓闕く等、筑摩郡青柳村の多兵衛より問屋役銀を請取る、
慶長一三 上田領内村々貫高帳、成る、
慶長一三 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長一三 更級郡興禅寺住持存育、隆山、その徒凉雪に嗣書を与ふ、
慶長一三 伊那郡開善寺、同寺の徒智全の、蔵主転位の官銭を請取る、
慶長一三 仏成道日、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一三 須賀仁右衛門、小県郡手塚村御料所年貢納帳を記す、
慶長一三 小笠原秀政、伊那郡殿村の検地を行ふ、
慶長一三 皆川広照の家臣某、高井郡東大滝村の蔵米を請取る、
慶長一三 木曽代官山村良勝、隠居す、尋いで、子良案、その跡職を嗣ぎ、、、
慶長一三 安曇郡成相新田の町立あり、
慶長一三 筑摩郡埴原村の清左衛門、尾張津島社の檀那となる、
慶長一三 諏訪社上社四足門、成る、
慶長一三 伊那郡虎岩村、当年の縄高帳を記す、
慶長一四 元旦、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一四 石川三長の江戸屋敷、類焼す、
慶長一四 小笠原忠脩、平沢采女正に、知行を与へんことを約す、
慶長一四 大蔵、姓闕く井口弥左衛門等に、伊那郡米川村の慶長十二年の、、、
慶長一四 佐久郡正安寺住持種才、良室、雄的的外、に仏祖正法眼蔵血脈を授与す、
慶長一四 是より先、徳川秀忠、関東諸大名に人数揃を命ず、、、
慶長一四 大蔵、姓闕く井口弥左衛門等に、伊那郡米川村の慶長十一年の、、、
慶長一四 仙石秀久、佐久郡鹿島大明神に地を寄進す、
慶長一四 高井郡常楽寺呑竜、校割帳を正参に渡す、
慶長一四 是より先、仙石秀久、酒匂小隼人に、佐久郡山辺村に於いて知行を給す、、、
慶長一四 更級郡智識寺大御堂、成る、
慶長一四 浅間山、噴火す、
慶長一四 木曽代官山村良勝、木曽岩郷村をして、板子を割出さしむ、
慶長一四 松平忠輝、小林藤介に、川中島に於いて知行を与ふ、
慶長一四 徳川秀忠、小笠原秀政の女千代姫、を養ひ、、、
慶長一四 仙石秀久、佐久郡正安寺に禁制を掲ぐ、
慶長一四 筑摩郡西福寺住持宗永、長国、同寺開山殊白圭岳、の書する、、、
慶長一四 宗鈍、鉄山、筠州の請に応じて、その祖伊那郡開善寺前住持宗販速伝、、、
慶長一四 仙石秀久、中沢忠三郎に知行を与ふ、
慶長一四 水谷光勝、山村良勝より、駿府城御用材を請取る、、、、
慶長一四 小笠原秀政、伊那郡箕輪城の鉄砲衆を領内に募る、
慶長一四 是より先、幕府、諸国に令して灰吹銀等を禁ず、、、
慶長一四 大久保長安、千村良重に命じ、幕府普請奉行の指図に随ひ、、、
慶長一四 越前慈眼寺住持某、筑摩郡定光寺住持某に、慈眼寺への輪住を請ふ、
慶長一四 石川三長、筑摩郡筑摩社別当等の諸役を免除す、
慶長一四 伊那郡虎岩村、当年の上納帳を記す、
慶長一四 天竜川大洪水
慶長一四 伊那郡向山主水、山手の茣蓙を千村良重の手代井口弥左衛門に送る、、、
慶長一四 下野足利学校庠主禅珠、竜派、書信を伊那郡開善寺住持玄種蛮宿、に通ず
慶長一四 真田信之の弟信勝、江戸に於いて近江膳所城主戸田氏鉄の弟勝興に斬らる
慶長一四 伊那郡虎岩村、当年の年貢納帳を記す
慶長一四 小笠原秀政、伊那郡伊久間郷の検地を行ふ、
慶長一四 石川三長の家臣渡辺長次等、安曇郡山中の当年秋の麻の売買に就いて定む、、、
慶長一四 下井二郎八等、伊那郡箕輪諸郷村の荒流帳を記す、、、
慶長一四 是より先、松平忠輝の老臣皆川広照・山田重辰等、忠輝の不行跡を、、、
慶長一四 小笠原秀政、伊那郡上河路村開善寺分の検地を行ふ、
慶長一四 是より先、大久保長安、水内郡飯山八幡宮に神領を寄進す、、、
慶長一四 長崎九右衛門、筑摩郡青柳問屋太兵衛より、問屋役銀を請取る、
慶長一四 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長一四 福島正則、木曽路を通り江戸に向はんとし、山城伏見を発す、、、
慶長一四 伊那郡箕輪の大泉村衆、尾張津島社に参詣す、
慶長一四 松平忠輝、高井郡浄運寺領の諸役を免ず、
慶長一四 信濃の人宗章竜室、山城大徳寺住持となる、
慶長一四 伊那郡柏原惣右衛門等、某勘右衛門より薪を請取る、
慶長一四 真田信之、安中作左衛門に上野古語父に於いて知行を加増す、
慶長一四 徳川秀忠、小笠原秀政の江戸和田倉の邸に到る、
慶長一四 徳川家康、松平忠輝を近江国に移し、井伊直勝を河中島の地に移さんとす、、、
慶長一四 仙石秀久、佐久郡海瀬村の本年年貢を定む、
慶長一五 幕府謡始、小笠原秀政等、之に参列す、
慶長一五 真田信之、小県郡中禅寺に寺領を寄進す、
慶長一五 諏訪頼満、頼水、諏訪郡原山新田百姓をして、同地を開発せしむ、
慶長一五 香蓮寺為永、伊那郡香蓮寺に鰐口を奉納す、
慶長一五 伊那郡香坂村の半右衛門、同郡湯沢村の太郎兵衛等に、、、
慶長一五 仏涅槃日、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一五 山城本願寺光昭、准如、水内郡真宝寺明玄所蔵の親鸞上人画像に裏書を、、、
慶長一五 真田信之、伊予久七十郎に、上野吾妻の知行地の替地を与ふ、
慶長一五 筑摩郡徳雲寺住持是隆、達磨忌の図に識語を加ふ、
慶長一五 是より先、越後福島城主堀忠俊の老臣堀直清、直次、弟同直寄と隙あり、、、
慶長一五 仙石秀久、井出善三郎に、佐久郡入布施の地を給す、
慶長一五 伊那郡小町屋の七郎左衛門、新太郎に田畑屋敷を渡す、
慶長一五 真田信之、小県郡下之郷大明神社殿を造立す、
慶長一五 諏訪頼満、頼水、諏訪郡原山新田に定書を下す、
慶長一五 真田信之の老臣等、小県郡海野町の蔵之助をして肝煎免を、、、
慶長一五 下伊那代官中西実清、卒す、尋いで、その子三清、伊那郡代官を勤す、
慶長一五 真田信之、新井弥兵衛・栃原武助に役儀を仰付け、同心を預く、
慶長一五 石川三長、筑摩郡岡宮明神に、神領を寄進す、
慶長一五 水内郡大安寺住持正盛、安室、祝聖一句之大事を書す、
慶長一五 建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、長門洞春寺住持玄轍筠渓、、、
慶長一五 山城本願寺光昭、准如、水内郡長勝寺了恵所蔵の親鸞上人の画像に裏書を、、、
慶長一五 真田信之、小林九右衛門より、金子を請取る、、、
慶長一五 是より先、清水源右衛門尉、その作田を小県郡長窪代官石合新左衛門尉に、、、
慶長一五 松平忠輝の老臣松平信直、浄興寺をして、寺地を安堵せしむ、
慶長一五 是より先、水内郡小市村の船頭等、旧の如く田地役を免除せられんことを、、、
慶長一五 松平忠輝、埴科郡本誓寺に禁制を掲ぐ、
慶長一五 伊那郡虎岩村、同村の流帳を記す、
慶長一五 木曽川洪水、
慶長一五 堀直寄、水内郡英岩寺に寺屋敷地を寄進す、
慶長一五 吉田良勝、筑摩郡筑摩八幡宮拝殿を造立す、
慶長一五 小県郡安楽寺住持建応、量室、室中授戒灑水法を京与に伝授す、
慶長一五 半夏、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一五 大久保長安、更級郡丹波島村の太郎左衛門尉をして、闕落者を、、、
慶長一五 大久保長安、越後より信濃を経て、美濃岐阜に入る、
慶長一五 越後本誓寺賢乗、真田信之等を招き饗せんとするも、、、
慶長一五 建仁寺住持慈稽、古澗、同寺開山栄西明庵、の忌日に当り、、、
慶長一五 是より先、更級郡山布施村地頭百姓等、給人某を忌避す、、、
慶長一五 小県郡安楽寺住持建応、量室、仏祖正伝菩薩戒作法等を京与に伝授す、
慶長一五 松平忠輝、水内郡浄興寺に禁制を掲ぐ、
慶長一五 大久保長安、水内郡熊坂村の二郎兵衛等の請に依り、、、、
慶長一五 青山一成、筑摩郡岩殿寺をして、同郡青柳の地を安堵せしむ、、、
慶長一五 諏訪頼満、頼水、諏訪郡千野村の諸役を免許し、新田畠を開かしむ、
慶長一五 伊那郡虎岩村、本年の人別年貢納帳を記す、
慶長一五 山村良安、林源太郎に京都にての買い物の注文を渡す、
慶長一五 能登総持寺、佐久郡竜雲寺大竜蟠谷、に総持寺への瑞世転衣を奨む、
慶長一五 是より先、小諸領小県郡東上田村百姓、同村分地小玉山につき、、、
慶長一五 真田信之の家臣某、小林九右衛門・石合新左衛門尉より、金銀子を、、、、
慶長一五 建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、建仁寺前住持玄轍筠渓、、、
慶長一五 幕府、琉球王尚寧一行の木曽福島に宿泊せんとするに当り、、、
慶長一五 佐久郡正安寺の徒雄的、的外、戒津の大事を書す、、、
慶長一五 志村久左衛門、伊那郡下瀬村の本年定物成を記す、、、
慶長一五 伊那郡下塚の金右衛門、塩沢八左衛門等と畑地を相博す、
慶長一五 甲田吉成、水内郡柏原村百姓をして、新田を開かしむ、
慶長一五 松平忠輝、水内郡牟礼宿等に宿場条目を頒つ、
慶長一五 松平忠輝、埴科郡命徳寺に禁制を掲ぐ、
慶長一五 松平忠輝、山田将監に高井郡高梨の地を与ふ、
慶長一五 海野隠岐守、埴科郡粟佐村の地を石川武兵衛に預く、
慶長一五 諏訪頼満、頼水、諏訪治部少輔と、同名の好を致さんことを約す、
慶長一五 大久保長安、更級郡八幡宮に灯篭を寄進す、
慶長一五 大久保長安、山村良安等に尾張名護屋城築城の用材を調へしむ、、、
慶長一五 駿府城台所火くるに依り、堀直寄、消火に勤む、、、
慶長一五 佐久郡田野口組等諸村の貫高帳、成る、
慶長一五 真田信之室の父本多忠勝、卒す、尋いで、浅野幸長、信之に書を送り、、、
慶長一五 真田信之、小県郡東上田郷内の諸給人の本年の取分を記す、、、
慶長一五 真田信之、六川与三右衛門より金子を請取る、、、
慶長一五 紀伊高野山蓮華定院某、本多忠勝の死を弔はんとし、真田信之室の許に、、、
慶長一五 山村良安、木曽妻篭村の市日を定む、
慶長一五 諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
慶長一五 佐久郡正安寺住持種才、良室、曹洞門下拝塔相続徹所之大事を雄的的外、、、
慶長一五 山城南禅寺金地院塔主崇伝、以心、石川三長の物を贈れるを謝す、
慶長一五 某右平次等、筑摩郡青柳太兵衛より、問屋役銀を請取る、
慶長一五 仏成道日、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
慶長一五 仙石秀久、酒匂小隼人等に命じ、清水又十郎に馬・家の代を渡さしむ、
慶長一五 伊那郡開善寺、同寺の徒玄彩の、蔵主転位の官銭を請取る、
慶長一五 小笠原秀政、伊那郡長源寺等に、寺領を寄進す、
慶長一五 岡山少五郎、仙石内膳をして、佐久郡鳥出町百姓の闕落を停めしむ、
慶長一五 幕府、信濃等諸大名に江戸城普請を命ず、
慶長一五 依田金左衛門、奈良原又兵衛をして、屋敷付の苅敷山を安堵せしむ、
慶長一五 仙石秀久、佐久郡海瀬村の本年年貢を定む、
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