元禄16年(
1703年)8月、
武蔵国赤沼藩(
武蔵国・
上野国・
常陸国・
上総国・
下総国など各地で1万5000石)から転じて
内藤正友が佐久郡のうち27ヶ村で1万6000石を与えられ、
岩村田陣屋が置かれたことに始まる。その後、1万石分が
摂津国・
河内国(現在の大阪府)内の地へ一時移封されたが、その次男である第2代藩主・
内藤正敬の代に再度佐久郡内の地へ移封された。また三男の
内藤正直に1000石が分知された。このように所領の場所が頻繁に入れ替わることが多かったが、藩政で特に見るべきところはなく、そのまま代替わりした。
第6代藩主・
内藤正縄は
老中・
水野忠邦の実弟であった関係で、
伏見奉行となってその功績により
城主格に昇進された。最後の藩主・
内藤正誠は日光祭礼奉行・奏者番・
寺社奉行などを歴任する。
戊辰戦争では新政府軍に与して
宇都宮城の戦いや
北越戦争に出兵した。この頃、岩村田では築城計画がなされていたが、
明治2年(
1869年)に
版籍奉還が行なわれ、さらに
廃藩置県が行なわれて藩が廃されたため、城は未完成のまま廃城となった。そして岩村田県は
長野県に吸収された。
なお、現存建物として蔵が陣屋跡近くの中嶋公園に移築現存している。
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