2014年12月8日月曜日


山形県は古くは蝦夷の居住地でしたが、7世紀後半~8世紀前半にかけて日本の支配が及び、708年に越後国出羽郡、712年には出羽国が成立しました。 『延喜式』では(後の羽前国の地域は)5郡。平安朝期には一部の地域で皇室・摂家などの荘園も見られましたが、奥州清原氏や藤原氏も影響力を及ぼしてお り、鎌倉期には中小の地頭が割拠していました。南北朝期には斯波(最上)家が羽州探題として入部して諸豪族を幕府方に帰服させ、室町期にも引き続き探題職 にありました。戦国期に入ると置賜地方へ伊達家の勢力が浸透し、村山・最上地方では最上家が勢力を維持、庄内(飽海郡・田川郡)では大宝寺家の支配が及ん でいました。戦国末期には置賜郡は伊達政宗、村山・最上郡は最上義光、庄内は上杉景勝が領有に成功しました。豊臣秀吉は大崎・葛西旧臣の一揆を平定する と、置賜郡を会津の蒲生氏郷、のちに上杉景勝に加封し、徳川家康は関が原の戦後、庄内を景勝から没収して義光に加封しました(置賜郡は引き続き上杉領)。 江戸前期に最上家が改易になると、庄内には酒井家、最上・村山には鳥居家、のち中小大名が入封します。江戸中期以後は、庄内藩(酒井家)・新庄藩(戸沢 家)・山形藩(秋元家→水野家)・上山藩(藤井松平家)・米沢藩(上杉家)など8藩が存在しました。1871年の廃藩置県により、山形県・置賜県・酒田藩 (羽後国飽海郡を含む)が成立、1875年に酒田県を鶴岡県と改称、翌年には置賜県と酒田県とが山形県に合併し、県域が確定しました。

[出典]
http://homepage2.nifty.com/gioan-awk/daimyou-06yamagata.htm

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