2014年12月15日月曜日


◎大神氏 (蛇、水神の伝承)             もどる   九州の人々、大神一族へ戻る
豊後大神氏の家紋  名字と家紋 鱗 紋【 http://www.harimaya.com/kamon/column/uroko.html 】より  
豊後大神氏流緒方氏の家紋が「三つ鱗(三つ鱗杉)」であった。豊後大神氏は、宇佐八幡宮の大宮司であった 大神氏の一族で、祖大太(惟基)は高知尾明神の神子、あるいは祖母嶽大明神と堀河大納言伊周(藤原伊周)の女との間に生まれた 神子となっている。大神氏は大和大神神社とも関係があり、大神神社の神紋である三本杉を家紋としていた。 のちに三本杉がデフォルメされて「三つ鱗」紋が生まれたようで、その原型は三本杉に他ならない。もっとも、 大神神社の神使は蛇であり、豊後大神氏の祖は蛇神の子であることから、蛇の鱗をも意識していたものと思われる。 佐伯氏、藤林氏など緒方氏の一族の多くが「三つ鱗=三本杉」紋を用いている。幕末の蘭方医緒方洪庵も 大神姓緒方氏の後裔で、「三つ鱗=三本杉」紋を用いていた。

大和大神氏の伝承: 大物主神と倭迹々日百襲姫(九州の山と伝説、天本孝志著、葦書房、1994年、より)
大物主神(おおものぬしのかみ)
 大和三輪山(奈良県大三輪町)に鎮座するご神体。「紀」には、大国主命が国護りの後、八百万神の首領となり天孫をお助けする神とされる。つまり大物主神は、出雲系の神で大国主命の霊魂の神名という説。一 方、「紀」にはこの神にまつわる〃神婚説話〃がある。大物主神は大和国御諸に住む蛇神だった。大物主神は丹塗矢(にぬりや)に化生して三島涅咋(みしまみ ぞくい)の女、勢夜陀多々良比売(せやだたたらひめ)のもとに通い、便所のなかで比売の陰処を矢で突いた。比売は驚いてその矢を取って床の問に置くと、矢 は立派な美丈夫と化し、その比売と結婚して神武天皇の妃、伊須気余理比売(いすけよりひめ)を生んだという。また「紀」では、孝霊7天皇の皇女とされる倭迹々日百襲姫(やまとととひももせひめ)のもとに夜々通い、昼は見 えないので、姫は朝まで引きとめて顔を見ようとした。神は姫の願いに、「明朝汝の櫛笥に入っていよう。わが姿を見で驚かないよう」といった。朝になり、姫 が櫛笥を見ると小蛇がいたので驚いて叫んだ。神はもとの人の姿となって、「お前は私に恥をかかせた」と言って、大空を飛んで、御諸山に去った。姫は悲しみ 悔恨の果て、自分の陰処を箸で突いて死んだという(「箸墓伝説」)。 
倭迹々日百襲姫(やまとととひももそひめ)
 孝霊7帝の皇女とされ、霊感があってしばしば10代崇神天皇をたすけて天下を安泰においた、と伝えられる。大和大三輪氏(大神氏)の祖大田々根子(おおたたねこ)をして、三輪山の霊 神・大物主神を祀らせ、疫病を鎮めた大物主神がこの姫にのり移って託宣を下したからである。また一説では、有名な邪馬台国の女王・卑弥呼をこの姫にあてて いる。昭和初期の学者笠井新也氏で、おおむね邪馬台国大和説の京都大学派の学説の特徴という(桑田忠親氏の説)。そのほか東京文理大の肥後和男氏も同様 で、同氏は崇神10天皇を補した姫の時代を三世紀の前半とみたことで、崇神天皇と卑弥呼は、同時代の人物と推定している(伝説の箸墓の「紀」説は「大物主神」の項参照)。
【旧事本記】
     大己貴(おおむなち)命が胸形の奥津宮の多紀理毘売命を娶して生める子、阿遅鉏高日子根神(迦毛大御神)と妹高比賣命(下光比賣命)
     大己貴(おおむなち)命が胸形の辺津宮の高(津)降姫神を娶して生める子、都味歯八重事代主神と妹高照光姫大神命。
     孫都味歯八重事代主神、八尋熊鰐になりて、三島溝杭女活玉依姫のもとに通って・・云々。
     三世孫天日方奇日方命、四世孫健飯勝命、五代孫健甕尻命、六世孫豊御毛主命、七世孫大御気主命、八世孫阿田賀田須命 和邇君等祖 云々。十一世孫大鴨積命、磯城瑞籬宮(祟神朝)御世賜加茂君姓。次、大友主命同朝御世賜大神姓。

[出典]
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/KyuHitobito.html#%E7%B7%92%E6%96%B9

 


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