2014年12月12日金曜日

文禄三年定納員数目録


『文禄三年定納員数目録』は泉沢久秀が作成した、2000人に及ぶ上杉家臣団の知行目録です。
 それによると、家臣団は大きく「越後侍中、信濃侍中、五十騎衆、地方在番衆」から構成されます。
 侍中は上級家臣団の序列を定めたもので、必ずしも所領規模とはリンクしません。
 また地方在番衆は、領国支配態勢そのものです。
 以下に主要人物をリストアップします。
 直江兼続は地方在番衆として登場し、家中最高の知行を得ています。

●越後侍中
1:山浦景国、2277石、旧信濃
4:藤田信吉、2808石、旧武蔵
6:安田能元、2474石、越後国人衆
7:木戸元斎、3282石、旧武蔵
11:大石綱元、2150石、旧武蔵
20:大国実頼、9041石、越後国人衆
 直江兼続の実弟・大国実頼が越後侍中では最大の知行高ですが、序列では20位。実頼の後は、色部龍松丸(4868石、揚北衆、後の色部光長)、泉沢久秀(5643石、上田衆)、水原親憲(3414石、揚北衆)らが続きます。

●信濃侍中
1:須田満親、1万2086石
8:清野長範、4177石
10:島津忠直、6190石
13:岩井信能、2983石
 この時点では、まだ越後&信濃が別々で、統一的な序列が定まっていませんが、信濃侍は、知行高では比較的優遇されています。

●五十騎衆(100人)
 上杉景勝直属の上田衆が、上杉家臣団に編入されたもの。50石前後の下級武士です。

●地方在番衆

越後上郡 春日山城 黒金上野介 2349石 上田衆
越後中郡 小国城 大国実頼 9041石 上田衆
越後中郡 与板城 直江兼続 5万3217石 与板衆
越後中郡 大面城 泉沢久秀 5643石 上田衆
越後下郡 平林城 色部龍松丸 4868石 揚北衆
越後下郡 水原城 水原親憲 3414石 揚北衆
信濃 海津城 須田満親 1万2086石 信濃国人衆
信濃 長沼城 島津忠直 6190石 信濃国人衆
佐渡 羽茂城 黒金安芸守 1201石 上田衆
出羽 酒田城 甘糟景継 7696石 上田衆
京都伏見 留守居 千坂景親 2176石  
他にも多数の城将(在番)がいますが、知行では直江兼続の5万3千石強が断トツです。以下須田満親の1万2千石強、大国実頼の9千石強、甘糟景継の8千石弱・・・・・・と続きますが、須田満親以外は上田衆出身。その須田満親にしても、直江兼続の縁戚です。
 かつて越後を牛耳った旧族は淘汰され、直江兼続が率いる上田衆&与板衆が上杉領国を完全支配しています。
 特に上田衆は「喜平次者共(ものども)」、与板衆は「直江一族の侍」と記されているのが特徴的です。また、長尾姓の大身の者が見当たらず、謙信時代からの有力者も須田満親くらい。それが、御館の乱から15年後の姿なのです。
 ついでながら、直江兼続の実父・樋口兼豊は直峰城(809石、越後上郡)の城将となっています。また本庄繁長は、伏見で3210石を与えられています。


参考資料
・直江兼続 家康を挑発した智謀の将【相川司】新紀元社 2009年1月1日発行

[出典]
http://blog.livedoor.jp/golden__cadillac__/archives/888390.html


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