2014年12月11日木曜日

夜討曾我(抄)


夜討曾我(抄)
ある屋形を見れば、明日は鎌倉入あるべしと申して、馬の湯洗ひ、庭乗りして、ひしめく屋形もあり。またある屋形を見てあれば、太鼓、鼓を打ち鳴らし、どめいて遊ぶ屋形もあり。かく見て通りければ、余り虚空に存じ、東へ回って、家々の幕の紋をぞ見たりける
まず一番に、釘抜松皮黄紫紅、この黄紫紅は、三浦の平六兵衛義村の紋なり。石畳は、信濃の国の住人に、根井の太夫大弥太、は浅利の与一。舞うたる鶴は、蘆原左衛門。
庵の中に二頭の舞うたるは、駿河の国の住人、天智天皇の末孫竹下の孫八左衛門。伊多良貝は岩永党。網の手は須賀井党。追州流は安田の三郎。月に星は千葉殿。は名越殿。団扇の紋は児玉党。裾黒に鱗形は、北条殿の紋なり。繋馬は相馬、折烏帽子立烏帽子大一大万大吉白一紋字黒一文字は山の内の紋なり。十文字は島津の紋。は浜の竜王の末孫佐藤の紋。竹笠は高橋党。亀甲輪違、花空穂、三本傘雪折竹二つ瓶子川越、三つ瓶子宇佐美の左衛門、二つ頭の右巴小山の判官、三つ頭の左巴は宇都宮の弥三郎朝綱、鏑矢伊勢の宮方、水色は土岐殿、四目結は佐々木殿、中白は三浦の紋、秩父殿は小紋村紺割菱は武田の太郎、梶原は矢筈の紋、真白は御所の御紋であり。
爰に庵の中に木瓜、 ありありと打ったる紋あり。「是は我等が家の紋ぞ」と思し召し、一入(ひとしほ)十郎殿なつかしくて、時を移して立たせ給ふ。かかりける所に、祐経が嫡子 犬房と申す童、幕の隙より一目見て、父の前に畏まり、「十郎殿の御通り御申しあれ」と申す。祐経聞いて腹を立て、「十郎とは誰がことぞ、相沢の十郎か、豊 後に臼杵の十郎か、遠江に勝間田の十郎か。この度富士野への御供に、十郎の化名、その数を知らず、ええ汝は虚空なることを申すものかな」と父に叱られ、時 ならぬ顔に紅葉をさっと散らし、「いつぞや三浦殿にて、花見の興のありし時、舞舞はせ給ひたる相模の十郎の御通り」と申す。

[出典]
http://www.geocities.jp/rockfish384/zakki/zakki15.htm

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