諏訪の神が巨大な蛇あるいは龍として登場する民話も長野県や群馬県などでは存在する。とある話によると、神無月に神々が出雲に集ったとき、諏訪明神が龍(蛇)の姿で現れたが、体があまりにも大きすぎて集いの邪魔になった。それ以来、明神は出雲に行かなくなった[81][82]。龍となった明神の尾は諏訪湖の高い木(尾掛松)に掛かっていたといい、そこから大和(おわ、諏訪市)と高木(下諏訪町)の地名が生まれたという[83][84]。
諏訪神社の龍蛇信仰の弘布に大きな役割を果たしたのは、『神道集』に収められた「諏訪縁起」(甲賀三郎伝説)といわれるが[85]、持統天皇の時代から既に諏訪神社は「蛇を象徴動物とする水神」として中央政府に認識されていた形跡も濃い[86]。
中世まで行われた諏訪上社の冬祭りでは、御室(みむろ)と呼ばれる竪穴建物らしき土室が作られ、その中に藁、茅、またはハンノキの枝で作られた数体の蛇形が安置され、翌春まで大祝がそこに参籠し、神長官とともに祭事を行った[87]。一説によると、「そそう神」と呼ばれるこの蛇形は「祖宗神」、すなわち神氏の祖霊としての諏訪明神をあらわす[88]。
上社裏山にあるフネ古墳(5世紀前半)[89][90]に発見された蛇行剣も諏訪の蛇信仰と関係があると思われる[91][92]。
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