2023年11月30日木曜日

美作菅家一族

 この物語は正慶二年四月、一族三百余騎を従えて官軍に属し賊軍武田兵庫之助が率いる一千余騎と京都四條猪の熊に戦い、はなばなしく討ち死した元弘の忠臣、さきに贈位の恩典に浴した美作菅家一族の祖先にまつわる恋の悲劇。

※注釈1-1j:蛇淵の伝説→『さんぶ太郎考』(奈義町教育委員会発行)より。本書によれば、底本は1968年4月、西山薫氏蔵の書写したものを転書した、原本は西原あたり?とある。(注釈1-1jここまで)

 

頃は弘長三年三月、連山の雪も溶けてここ菩提寺の境内、谷間洩れる鶯の音に、梅も散り花は桜の満開となった。
あちこちから杖をひく数限りのない花見遊山の客、その中に所も知らず名も知らず噂の種の女が一人あった。(本伝説の主人公三穂太郎満佐の実伝には彼女を次の如くいっている)
年の頃二八ばかりになる女、凡人とも見えず、白姿の小袖に上は唐綾を四季の模様に染め分け、春の弥生のあけぼの霞に匂い、梅ケ枝に初音を知らす鶯茶、左右の袖は夏来にけらし、白妙の卯の花に時鳥、腰の模様は目にはさやかに見えねども、秋の千秋の花紅葉、妻恋ふ塵も愛らしく、袖は難波や葦の葉に、積れる雪の冬景色、岩間も氷る池水に、鴛鴦の浮ねの思いは思い、揺られ揺られる風情して、露を含める海棠の、綻びかかる眼元にてかつらの眉墨細々と、たんかはの唇鮮やかに、芙蓉の眉尻いと気高く、誰が袖ふれん心地して、心ときめくばかりなる。
かくして彼女は朝の霞の中にぼんやり姿を現しては夕暮るる頃、何処となく消えてゆき、噂は噂を重ねるばかりで、花よ花よとたはむれる遊山客さえ、まだ一人として彼と話をしたものはなかった。
さてその謎の女、気高い天女は果して何人の為に手折られたであろう。
美作の菅家は菅原亟相道真二十余代の後胤が、故あってこの国に下らせ給い、子孫栄えて菅家の三流と称し、兄弟三人は勝田郡五ヶの庄を領していた。
うち豊田の庄の領主を菅原実兼と呼んだ。実兼は文武両道の良将で、殊に和歌の道に達し、なお稀にみる美男子であった。
この実兼が彼の女を見染めたわけである。
ここから歌のやりとりで話をすすめよう。
実兼は、「春雨に見る花なれど今年より 咲き始めたる心地こそすれ」と詠んで、僧長光になかだちを頼むわけである。
そして次の和歌を託すのである。
はぢも知れ涙の川の渡守 こぎゆく舟にまかす心を
技高き梢も折れば折れるらん およばぬ恋もなるとこそ聞く
長光坊はこの歌を持って彼の女にあい、その意を告げるがなかなか受けてくれない。
そこで長光坊は
言ひすつる言の葉までに情あれ ただいたずらに朽ち果つる身を
とよんだところ、彼の女は次の歌を返した。
心より心迷はす心なれ 心に心こころ許すな(女)
恋ふれども人の心の觧けぬには 結ばれながらかへる玉章(長光)
恋ふるとも主ある人は觧けまじき 結びの神の許しなければ(女)
これから実兼と女との間に恋歌のやりとりが行はれ、彼らの姿は毎日菩提寺境内に見られるようになった。
即ち次のような歌である。
哀れとて人の心に情あれな 数ならぬにはよらぬ歎きを(実兼)
哀れとて人の心に許あれ 数ならぬともままならぬ身を(女)
海も浅し山も眼になく吾恋を 何によそへて君に言はまし(実兼)
道ならむ道と思へば吾心 何によそへて君に答えん(女)
紅に涙の色のなり行くを 幾しほまでと君に問はばや(実兼)
一花に思ひ始めたる紅の 涙の色はさめもこそすれ(女)
こうして歌に、思いをかけているうち、慕情つのるばかりの実兼は、とうとう次の歌に、ほか八首を添へて彼女に渡した。
思へども合ふことかたき片糸の いかにいつまで結ばれるらん
ところがこれに答へて次の様うな判じ物が女からきた。
即ち「モ」の字が四字と「ノ」の字、その下へ弓張月と「刀」の絵をえがき、「心」といふ字があった。
実兼はこれを、二十三日夜忍ぶ、と觧してその日を待ち、遂に思いをとげたのであるが、その時「過ぎにし頃見染めて以来文、玉章こそ交わしたれど、何処の何人とも知らず、かく情の契りを結ぶからは、どうか心おきなく語って貰いたい」とかきくどいたのだが、女は唯許しを乞ふばかり、そこで
契りおき相見る夜半の睦言の 哀れを知らぬ鶏の聲かな(実兼)
と詠んで相逢うことの楽しさだけで満足したのである
そうこうするうちに、彼の女は玉の様な男の子を生みおとした。
名を太郎丸とつけ大切に育てた。
女は毎日通ってきては乳を呑ませるのだが、まだいずれの何者ともあかさない。
太郎丸が三オのとき、実兼は我慢が出来なくなって、さきに長光坊が「恋に呪いが含まれているからそれが罪になるのだ。そこに恋と愛との区別が有るわけだ。聖なる恋は恋人を隣人として愛さねばならぬ」と論されていたのも忘れ、どうしても明かさぬ女に憤り怒ったところ、突然那岐嵐がゴーとたかまり、今まで乳を含ませていた女の姿は消え、太郎丸の懐に次の五首の歌が残されていた。
人たらで一たる人の人なさけ 人たる人の親となるらん(女)
逢いそめしうれしきことのありて又 ならひはつらき別れなりけり
身の上は浦島の子の玉手箱 あけてはさぞな悔しかるらん
君がためかりの契りを惜しまれて 数ならぬ身のあわれなりけり
恋しくば那岐の苔川住む身なり 変わる姿も一目逢ふなる
実兼は太郎丸を抱いて奈義川の淵にかけつけた。
霧は深く山々は鳴動してふと見ると向こうの山を八巻した大蛇の姿が眼にうつり。その顔だけは彼女であったという。
太郎丸が泣き乍ら指さす滝壺の中には、赤黄青白紫の五色の玉が浮かんでいた。
実兼がその五色の玉を拾い上げ、太郎丸に与えたところ泣いていた太郎丸はその玉を抱いて、母の手に抱かれた如く安らかであったという。
大蛇の巻いた山を八巻山と称し、玉は五色の玉と名づけて、菅家代々の名玉となった。
さて太郎丸はこの玉を身につけ成長して、飛行自在の通力叶い、三穂太郎満佐と呼びその名を天下に挙げ、この国にいながら京都洛中の守護、玄番頭の勅任を蒙つたといふ太郎は京都まで三歩で往復したから三歩太郎といはれた。
さて又太郎は成人すると近在の娘、小菅戸といふのに心をよせて日夜通っていたが、恋敵頼光といふ男が太郎の草履の裏に毒針をさしたがもとで熟に病み、非業の死をとげた。
この太郎の死が大変で、変化の正体を現し、五色の息を吹き、豊田庄内近郷四、五里四方、雲霧に閉ざされ、天地は震動して雷鳴の如く、暗いこと三夜に及び、那岐を枕にし、足は豊田の庄まで延び、大岩が散乱して石なきところに大岩が出来、山なきところに小山を作り奇異を生じた地方の口碑につたえる。なお勝北一帯火山灰土に変じたとも言ふ。
彼の黒土は、変化の吐いた黒血と死肉の黒く腐ったものと伝えられ、頼光は微塵にくだけて死んだという。
小菅戸は二人の菩提のため髪を下ろして尼となり、山寺に入り経書を佛の唱名に後世を送ったと言ふ。
今の西原村の内に、小菅戸屋敷又は頼光といふ地名が残っている。
その後里人は太郎の霊を尊敬して、那岐の項上に神殿を築き、奈義大明神と崇めた。
これを勧請して関本に三穂太郎大明神、西原に荒関大明神、広岡に杉大明神、高殿に御崎大明神あり、併せて豊田の庄五箇の神仏(?)といはれている。

https://www.town.nagi.okayama.jp/library/sanbu_text.html

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