湯川村堂畑
阿賀川右岸に位置し、東は北田きただ村、西は阿賀川を隔てて京出きようで村(現会津坂下町)、南は勝常しようじよう村に接する。堂畠・当畑とも記される。「新編会津風土記」によると、当村は「寛文の初まで二本柳・小原・赤沼とて三の端村あり、後漸々に本村に聚て今は一区となる」とある。また阿賀川に沿っているため、「八月の節より日数五六拾日の内、鮭鱒の類殺生いたし、其外年中、鮒・丸太・ざこ・川才をとりて売出し」と記される(文化四年「笈川組風俗帳」湯川村史)。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に当畠とあり、高六九七石余。
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