那岐山登山口の蛇淵渓谷は、原生林に囲まれて轟を響かせています。落差20mの3段の滝は、真夏でも涼しく神秘的な姿を見せてくれます。地元に伝わる巨人伝説「三穂太郎(さんぶたろう)」の母である大蛇がこの淵の主であったとされています。
民話さんぶたろう
昔々、この地を治める領主が菩提寺へ向かう山中、絶世の美女と出会います。
やがて二人は恋におち、夫婦になると男の子が生まれ「太郎」と名付けます。
しかし、女房は「乳を与えているところを決して覗いてはいけません」と言い、奥の納戸を締め切ると乳を与えるのでした。
やがて我慢しかねた領主はとうとう納戸を覗くとそこには部屋いっぱいにトグロを巻いた大蛇が太郎を抱き、乳を与えていたのです。
正体を見られた大蛇は姿を消し、残された太郎は泣くばかりでなにも口にしません。
困り果てた領主は太郎を抱き、女と出あった山中を彷徨っていると、大きな滝壺から太郎を呼ぶ声がします。
滝壺から現れた母の大蛇は太郎に「五色の玉」を渡すと再び現れることはなかったそうです。
大蛇にもらった玉をなめて太郎はどんどん育っていき、やがて、家よりも村一番の大木よりも、那岐山よりも大きくなり、とうとう雲をも突き抜ける大男になりました。
大男の太郎は京の都まで三歩で歩き、やがて「三歩太郎」が訛り「さんぶたろう」と呼ばれるようになりました。
やがて、父の後を継ぎ領主となったさんぶたろうの嫁になりたいという2人の女性が現れます。
サヨ姫とトヨタ姫です。
美しいサヨと、心根の優しいトヨタにさんぶたろうは逡巡し、トヨタ姫を妻に選びました。
そして、選ばれなかったサヨ姫は嫉妬し、さんぶたろうの草履に毒針を仕掛けるのでした。
「蛇は金気(かなけ)に弱い」と云われ、大蛇と人の間に産まれたさんぶたろうは小さな毒針のためにたちまち悩乱し五体は四散し死んでしまいました。
今際の喘ぎは“北大風”現在の「広戸風」になり四散した五体の内、頭は奈義町関本の「三穂神社」へ“こうべさま”として、右手は美作市右手(うて)三社大明神は、かいな(腕や肩)は鳥取県智頭町の「河野神社」へ“にゃくいちさま”として、胴体は奈義町西原「杉神社」へ“あらせきさま”として足は奈義町高円の「諾神社」(なぎじんじゃ)へそれぞれ今も祀られています。
さんぶたろうの足跡はため池となり今も各地に残り、飯に入っていたと云われる巨石や、杖の跡など多くの史跡が今も語り継がれています。
また、さんぶたろうは戦国時代まで美作地域を広く支配した「美作菅家」の祖と云われる菅原満佐(すがはらみつすけ)がモデルと云われ、頭を祀る「三穂神社」の境内には菅家の末裔の方によって建立された銅像があるなど、現在も慕われ続けています。
https://ameblo.jp/yukibayonetta/entry-12690423958.html
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