2023年11月29日水曜日

佐原義連

 文治5(1189)年源頼朝の奥州征伐に従軍した城長茂が、阿津賀志山の柵(福島県伊達郡厚樫山)を攻めた際、城氏の越後勢に混じって参加し、勝利した。奥州を平定した頼朝は、平泉で戦功のあった三浦一党の佐原十郎義連に会津を、相模の豪族・山内通基に会津郡伊北郷を、下野国の小山氏一族・長沼宗政に南会津一帯の長江庄を、長沼一族・河原田氏に伊南郷を与えた。会津国人領主は入植した山内氏や長沼氏と対立した。佐原義連・盛連父子は代官をおいて衝突を避け、鎌倉から追従した陰陽師・赤沼内膳を神職とし、占いと調伏は効き目があると噂を流し、佐原氏自らも参詣したため土民や地侍らの尊崇を集め、土豪の蜂起を鎮めたという。以来、会津黒川に寺が建立され、10年間で約23箇所に及んだとされる。



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