2023年11月30日木曜日

有元佐弘

 落魄して見ると昔のよき時代がしのばれる。美作の菅家一族は他の小豪族よりも群を抜いていた。しかも、仇花には過ぎなかったが、天皇権力の奪回という日本歴史の一頁に関係のある元弘の戦いに、一族一党を挙げて参加したという矜持がある。何一つ報いられなかったこの先祖たちの心情は、誠心南朝に殉じた楠正成党に一片通じるものがあるではないか。この先祖たちの祖満佐こそ、時代が百年遅れておれば美作の楠正成であったかも知れぬ。正成は日輪の申し子である。満佐もまた天の星、地の霊、山の霊の申し子でなければならぬ。大蛇は氏族の首長の象徴である。奈義の山霊の大蛇の母から生まれたのが三穂太郎満佐である。この祖にして、はじめて流星のように消えた子孫たちが生まれたのである。

この輝ける御先祖に申し訳ない限りである。世は戦国であれば、また、家名を挙げる機会があろうが、今は無力な蚯蚓切りの百姓だ。だが、そこいらの水呑み百姓とは違っているのだ。どこが違っている。だから家柄だ。ここで満佐は菅家党の願望を担って大人様の伝説と結びついたのだろう。

満佐の子孫、有元佐弘らが後醍醐天皇の京都還幸を助けたことは『太平記』に記されている。その功により佐弘は従四位など、一族が大正年間に贈位されている。

楠公への対抗心、それが菅原満佐を巨人・三穂太郎へと成長させたのだという。菅家党の共通の祖である菅原満佐は禁中を守護する役目まで仰せ付かっている。さらに、南北朝期には一族の有元佐弘が後醍醐帝を助けて京都で戦死している。こうした記憶が重ねられ、京都まで三歩で歩いた巨人像が創り出されたのだろう。

美作の巨人は、常陸のダイダラボウのように『風土記』に記録された未確認生命体ではない。その正体は、武士団としての栄光の記憶、「誇り」だったのである。

https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2013/08/%E4%B8%89%E7%A9%82%E5%A4%AA%E9%83%8E.html

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