応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日 - 応神天皇41年2月15日)は、第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日)。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと)、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とも称される。
神功皇后の三韓征伐の帰途に筑紫宇瀰(神功皇后紀。うみ:福岡県糟屋郡宇美町)、または筑紫の蚊田(応神天皇紀。かだ:筑後国御井郡賀駄郷あるいは筑前国怡土郡長野村蚊田)で生まれたとされる。神功4年に立太子。応神天皇元年に71歳で即位、同41年に111歳で崩御。『古事記』に130歳。
- 『日本書紀』によると応神天皇14年に弓月君(秦氏の先祖)が百済から来朝して窮状を天皇に上奏し援軍を求めた。
0 件のコメント:
コメントを投稿