『文禄三年定納員数目録』は泉沢久秀が作成した、2000人に及ぶ上杉家臣団の知行目録です。
それによると、家臣団は大きく「越後侍中、信濃侍中、五十騎衆、地方在番衆」から構成されます。
侍中は上級家臣団の序列を定めたもので、必ずしも所領規模とはリンクしません。
また地方在番衆は、領国支配態勢そのものです。
以下に主要人物をリストアップします。
直江兼続は地方在番衆として登場し、家中最高の知行を得ています。
●越後侍中
1:山浦景国、2277石、旧信濃
4:藤田信吉、2808石、旧武蔵
6:安田能元、2474石、越後国人衆
7:木戸元斎、3282石、旧武蔵
11:大石綱元、2150石、旧武蔵
20:大国実頼、9041石、越後国人衆
直江兼続の実弟・大国実頼が越後侍中では最大の知行高ですが、序列では20位。実頼の後は、色部龍松丸(4868石、揚北衆、後の色部光長)、泉沢久秀(5643石、上田衆)、水原親憲(3414石、揚北衆)らが続きます。
●信濃侍中
1:須田満親、1万2086石
8:清野長範、4177石
10:島津忠直、6190石
13:岩井信能、2983石
この時点では、まだ越後&信濃が別々で、統一的な序列が定まっていませんが、信濃侍は、知行高では比較的優遇されています。
●五十騎衆(100人)
上杉景勝直属の上田衆が、上杉家臣団に編入されたもの。50石前後の下級武士です。
●地方在番衆
越後上郡 | 春日山城 | 黒金上野介 | 2349石 | 上田衆 |
越後中郡 | 小国城 | 大国実頼 | 9041石 | 上田衆 |
越後中郡 | 与板城 | 直江兼続 | 5万3217石 | 与板衆 |
越後中郡 | 大面城 | 泉沢久秀 | 5643石 | 上田衆 |
越後下郡 | 平林城 | 色部龍松丸 | 4868石 | 揚北衆 |
越後下郡 | 水原城 | 水原親憲 | 3414石 | 揚北衆 |
信濃 | 海津城 | 須田満親 | 1万2086石 | 信濃国人衆 |
信濃 | 長沼城 | 島津忠直 | 6190石 | 信濃国人衆 |
佐渡 | 羽茂城 | 黒金安芸守 | 1201石 | 上田衆 |
出羽 | 酒田城 | 甘糟景継 | 7696石 | 上田衆 |
京都伏見 | 留守居 | 千坂景親 | 2176石 |
かつて越後を牛耳った旧族は淘汰され、直江兼続が率いる上田衆&与板衆が上杉領国を完全支配しています。
特に上田衆は「喜平次者共(ものども)」、与板衆は「直江一族の侍」と記されているのが特徴的です。また、長尾姓の大身の者が見当たらず、謙信時代からの有力者も須田満親くらい。それが、御館の乱から15年後の姿なのです。
ついでながら、直江兼続の実父・樋口兼豊は直峰城(809石、越後上郡)の城将となっています。また本庄繁長は、伏見で3210石を与えられています。
参考資料
・直江兼続 家康を挑発した智謀の将【相川司】新紀元社 2009年1月1日発行
[出典]
http://blog.livedoor.jp/golden__cadillac__/archives/888390.html
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