2014年12月15日月曜日


上杉景勝(うえすぎかげかつ)[弘治元年(1555)-元和9年(1623)]
顕景・喜平次
上杉家第二代の家督を実力で獲得。家臣たちも恐れた厳粛な剛将
父は長尾政景の次男。母は長尾為景の娘(上杉謙信の姉)、仙桃院(仙洞院・せんとういん)。幼名は卯松(うのまつ)と称し、政景の没後、上杉謙信の養子と なって、天正3年(1575)に名を景勝と改め、弾正少弼(だんじょうしょうひつ)に叙任された。正室は武田勝頼の妹・菊姫。
小柄ではあったが、容姿秀麗で、人となりは寡黙で笑うことは少なく、勇猛にして大胆。その厳格さに家臣たちは敵よりも景勝を恐れたという。
天正6年(1578)謙信の死後、北条氏からの養子の三郎景虎と家督相続をめぐって争い、国内を二分にして戦った。このとき信州出身の豪族たちも二派に分 かれ、村上国清、岩井昌能父子、島津左京亮らは景勝を支援した。「御館(おたて)の乱」と呼ばれるこの争いで、景勝はいち早く春日山城を占拠し、武田勝頼 と同盟するなどの策により、天正8年(1580)三郎景虎に勝利。上杉家を継承し、越後・佐渡・越中・能登を領する戦国大名となった。

[出典]
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den077.htm#kawanakajima

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