開基は鎌倉の武士、土屋五郎重行で、宗祖親鸞聖人越後流罪(1207)の折り弟子となり、法名を明慶とたまわる。
聖人が流罪を解かれて関東に赴くに供を勤め、師の命によって、太田の庄赤沼に留まって真浄寺を建立する。
川中島合戦が始まると、武田勢に追われて越後国にうつる。
東西本願寺分派の際、真浄寺十三代住職明勝は大谷派に属し、弟明玄は真浄寺の法宝物を分ちて本願寺派に留まり、
信濃に移って、水内郡落影村にしばらく居住した後、永江村古屋敷地籍に移り、真宝寺を建立した。
元禄年間(1688~1703)二十代善照が現在地に本堂を建立して今日に至っている。
内陣の造作には、すばらしいものがみられ、当時の信仰の深さがしのばれます。
「朧月夜」の鐘
この梵鐘は、嘉永年間に鋳造された初代の鐘が戦時中供出され、戦後再鋳造された二代目です。
朝な夕な村人の生活の刻を知らせ、親しまれているこの鐘は、
高野辰之博士が大正三年に発表した、「朧月夜」の一節にある「かねの音」とされている。
[出典]
http://www.fdo3235.com/nagano-3.html
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