2014年12月18日木曜日


また一方、武田晴信は、自ら信府深志城(筑摩郡)から信濃国川中嶋(更級郡)の地に進出すると、7月5日、板垣信憲(譜代衆)を始めとする別働隊をもって、信・越国境の信濃国小谷(平倉)城(安曇郡)を攻め落としている。
6日、前線の水内郡で活動する宿将の小山田虎満(譜代衆。信濃国内山城代)に対して返書を送り、各々が奮励されているゆえ、其許の陣容は万全であるとの報告が寄せられたので、ひときわ満足していること、当口については、敵方の信濃衆である春日(信濃国鳥屋城主か)と山栗田(善光寺別当・里栗田氏の庶族)を追い払い、寺家(善光寺)・葛山衆に人質を差し出させたこと、嶋津(長沼嶋津氏の庶族である赤沼嶋津氏)については、今日中に服従する意思を示しており、すでに以前から誼みを通じているため、別条はないであろうこと、この上は詰まるところ、信濃先方衆の東条(越後に逃れた東条氏の庶族。或いは武田氏の東条(雨飾城)在陣衆か)と綿内(同じく井上氏の庶族。信濃国綿内城主)ならびに真田衆と協力し、敵方の調略に努めるべきこと、よって、今が信濃奥郡を制する好機と見極めており、いささかも油断してはならないことを伝えている。更に追伸として、密かに綱島(更級郡大塚。犀川河畔)の辺りに布陣するつもりでいたところ、若し越後衆が進撃してきた場合、彼の地は防戦に適していないとする諸将の意見に従い、佐野山(同塩崎)に布陣したことと、この両日は人馬を休ませたので、明日に軍勢を進めることを伝えている。


『上越市史 別編1 上杉氏文書集一』 147号 長尾景虎願文(写)、148・149号 長尾景虎書状 『戦国遺文 武田氏編 第一巻』 549号 千野靭負尉勲功目安案558号 武田晴信書状、561号 武田晴信書状写、562・563号 武田晴信書状、564・565・566・567号 武田晴信感状、568号 武田晴信感状写、569号 武田晴信感状、570号、武田晴信感状写、571号 武田晴信感状、609号 武田晴信書状写 

[出典]
http://blog.goo.ne.jp/komatsu_k_/e/25ef175faffa4a3014b0d49d6a067961

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