矢筒城、黒川城とも。標高566,7m、比高31m。
伝承では永正の頃(戦国時代)城主は島津権六郎で西黒川の殿屋敷に居館したと伝えられていた。ところが昭和54年の緊急発掘で、麓に館跡(現飯綱病院)が確認された。島津氏の館が後に城下に移ったことになり、それまで単に山城と考えられていたことが山城と館が合体した平山城であったことが判明した。また同61年第2次発掘で、内堀は深さが約4m以上もあるV字形空堀であったことが確認された。山頂には本丸・二ノ丸があり、北側は急峻、南側は五条の帯郭でめぐらされ、縦堀、馬場も備わり、まさに要害堅固な平山城である(『現地説明板』)。
主郭、副郭などは広大で、石積みの跡も見受けられる。縄張自体は複雑ではないが、東側は滝沢川が流れ要害を成している。
牟礼駅、県道60号沿いに案内板があり、飯綱病院脇の登山道から10分ほど。[出典]
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