史料要約2、武田晴信書状 ○大阪城天守
閣所蔵文書(『戦國遺文武田氏編』五六三号)を改変
各々がよく働かれるので、そちらの備(千曲川右岸の東条と綿内)が、万全であるのは喜ばしい。当口
(千曲川左岸地帯)のことは、春日・山栗田が没落し、寺家・葛山は人質を出してきた。島津氏について
は、今日降参の趣を伝えてきている。もとより、同心が通ずられているので、心配はない。
この上は、つまるところ相極め、東条と綿内、真田方(幸綱)衆と申合って武略を専一にしてほしい。(千曲川左岸地帯)のことは、春日・山栗田が没落し、寺家・葛山は人質を出してきた。島津氏について
は、今日降参の趣を伝えてきている。もとより、同心が通ずられているので、心配はない。
只今は時節到来とみたので、聊かも、油断してはならない。恐々謹言。
追って、内々に□島(長野市綱島か)辺に在陣した
が、もしも越後衆が出張してきたならば、備えは如何
にと、各々が意見するので、佐野山(千曲市桑原付近)
に馬を立てた。両日人馬を休め、明日は行動を起こし
たい。
(弘治三年) (武田)
七月六日 晴信(花押)
(虎満)
小山田備中守殿
[出典]
http://www10.plala.or.jp/matuzawayosihiro/page003.html
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