2014年12月16日火曜日


紀行「オコジョの散歩道」から
http://shinshu.fm/MHz/90.97/archives/0000415331.html



延命地蔵堂の斜向かいに真宗大谷派のお寺、妙願寺があります。

新潟の上越地方から北信濃あたりは、浄土真宗のお寺が多いですね。

親 鸞は、他力本願の、念仏を禁じる既存の仏教勢力の圧力により流罪となり、親鸞は還俗(げんぞく)させられ、現在の直江津あたりの越後国府に流されます。還 俗したからでは無いのかも知れませんが、越後国府で土地の豪族の娘、恵信尼を妻に迎えます。(妻帯の磁気化や相手については諸説あります。もっとずっと前 で貴族の娘だったとなどなど・・)後に許され、しばらく越後にとどまり、その後、常陸(現茨城県)に移るまで越後国府で6年後に暮らしました。

落ち着いた寺ですね。

越後から常陸に移る途中に親鸞は善光寺にも参詣しています。善光寺の仁王門前にある宿坊の堂照坊には「親鸞聖人百日 逗留遺跡」という門札があり、100日間善光寺に通ったそうです。親鸞は生涯、浄土宗の法然を師と仰いで、自分の教えはそこから発展したものとしました。 浄土真宗開宗は元仁元年(1224)で、常陸に移ってからです。善光寺は天台宗の大勧進、浄土宗の大本願と、その宿坊の寺院から寺です。そうしたことから 善光寺に参拝するのは当然だったようです。善光寺には他堂近くに親鸞の銅像もあります。

浄土真宗を再興した蓮如は、北信濃から越後にかけて真宗布教を行ったのもそうした縁があり、浄土真宗の篤い信仰を集めて行ったようですか。

妙願寺らも一茶の句碑がありました。左が妙願寺、右の少し先の大田神社にあった一茶の句碑です。

いずれも、同じ感じで新しい碑ですね。
昨年建てられたものです。

この句碑は一茶生誕250年を記念して、一茶の門人が多く「一茶ゆかりの里」として6基の一茶の句碑を建立したそうです。最も新しい一茶の句碑たちと言えそうです。

右の碑の後にある建物、私の陶芸の材料を購入している店でした。
私は直接、買ったことは無いのですが、こんなところにあったのかと・・・

一茶の弟子たちは北信濃を中心に一茶社中を作っていきました。その中で、一番大きく門弟自薦が多かったのが、長沼社中でした。当然一茶の訪問も多く、12年間で664回と言いますから、本当に毎週のように頻繁に訪れたようです。

「まあ終(つひ)の 栖(すみか)か 雪五尺」の一茶の里の北信濃柏原も、浄土真宗の篤(あつ)い信仰の土地です。一茶の菩提寺は一度訪れたことがありますが、浄土真宗本願寺派の明専寺でした。

一茶の書いた文の中にも、そうした信仰への思いがかかれています。そして何より、彼のつくった句の中の庶民的な暖かさにも影響しているようです。


この建物は赤沼公会堂・・・
街道から少し奥に入ったところにあります。

入口に大きな碑がありますね。
「信州りんご発祥の碑」と刻まれていました。

少 し前にもかきましたが、明治末頃から、このあたりでは、水害対策として、桑よりも耐水性の高いリンゴに目をつけ、養蚕からリンゴ栽培に切り替え、信州リン ゴが生まれました。現在でも信州随一のリンゴの名産地で、近くの国道18号線は「アップルライン」と呼ばれ、時期には農家のリンゴ直売店が軒を並べて、 真っ赤なリンゴが並び、りんご園ではリンゴ狩りが楽しめます。

左端に一茶の句碑もあります。

  半分は あせの玉かよ 稲の露   一茶

農民の苦労を詠んだ一茶らしい句です。

大田神社があります。三つ巴の紋を神紋で「大鞆和氣命」が祀られているそうです。大鞆和氣命は日本の弓矢神として知られる応神天皇です。
ということは八幡神社系列の神社のようです。

12世紀はじめに再建とすいてあるネットもあり、古い神社のようです。

弓矢神の屋代にふさわしい彫刻でした。

鎌倉時代の歴史書の『吾妻鏡』に信濃の地名として大田庄があります。この少し先の長野市の豊野辺りのことといわれますが、このあたりも大田庄だったのかもしれません。
大田の名は正倉院御物の布袋に太田とあるそうです。このあたりは古くから開けた土地だったのかもしれません。

長沼地区最後の寺は曹洞宗、浅慶院・・・
こんなことをいうと失礼なのですが、なにか懐かしい感じがします。
佐久地方には浄土宗のお寺はありますが、浄土真宗関係のお寺はほとんど有りません。浄土真宗を禁じていたのかも知れませんが・・・

赤沼もあと少し・・・

来る前は、長沼宿は脇街道の小さな宿場だろうから、写真を撮る場所やそんなにあるのだろうかと・・・

せいぜい二回のアップとかなと思っていました。あまり、調べないで行きますので、脇街道の小さな宿場,たいしたことは無いだろうと・・・

村山を一回で、長沼は4回・・・
傑出したものは無いとのですが、いろいろと土地柄を感じさせるものがたくさんあって楽しかったです。

このお地蔵さま・・・
誰が被せたか・・・
良くお似合いでした。

一休みという感じて座っていらっしゃいました。

赤沼交差点でアップルラインを横切る。
道はアップルライン(国道18号線)を渡ります。国道18号線は、朝に渡っています。大回りして来たようですね。昔の道は集落から集落をつないだ、人の道・・・
今の車の道は、集落を避け真っ直ぐな道・・・

その先で、長野から金沢への新幹線の線路・・・
新幹線車両センターもあります。このあたりには赤沼一里塚があったそうですが、新しい道と線路で跡形もないようです。

新幹線の前の柱見覚えがありませんか・・・
昨日の玅笑寺の水位標とよく似ていますね。
「善光寺平洪水水位標」です。玅笑寺の水位標を基準に建てたそうです。








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