話を、マーキングしたままの(河原)に戻します。実は、「河原に鎮守」が比定できていません。悩んだ末に、江戸中期の『諏訪藩主手元絵図』の「小和田村」に注目しました。村の右半分には、赤沼・福島・金子・文出の各村に接する広範囲の部分に「大阿原(おおあわら)」と書かれ、文出村や福島村の絵図にも、この続きと見られる「阿原」が見られるからです。
私は、(『諏訪史料叢書』に載る)『祝詞段・根元記』の「河原」は、“阿原”の間違いと考えてみました。
当時は同じ字を使ったのか、または筆字の「阿」を編集者が「河」と読んだのかは別として、「あわら」を漢字に変換すると「荒原・悪原・葦原」などの候補を表示します。これで、阿原は(すでに)イメージとしても“確定”できたと思います。【阿原】は諏訪独自の表記で、諏訪湖面が低いと水面に出、ひとたび上昇すると水没する不安定な低湿地のことです。湖面の上昇で収穫が皆無となる年もあるので、年貢高は、その年の状況(検見)で決めたそうです。
[出典]
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/awara.htm
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