村上家 家臣団
島津貞忠 (?~?)
水内郡長沼城主。永正年間、越後の長尾為景と結んで勢力を拡大する高梨政盛を警戒し、村上家、須田家らとの結束を深める。永正十年五月、高梨政盛の死に乗じて挙兵。同年七月、中野氏残党らが高森澄頼に挙兵すると、これを支援した。しかし、中野氏残党の乱は高梨澄頼に鎮圧された。同年八月五日、越後を攻める。永正十六年二月、長尾為景と結んだ。背信に激怒した村上頼平が水内郡を攻めたため、矢筒城に籠もる。長尾為景から援軍が派遣されたが落城。島津貞忠は捕らえられ、背信を許され村上家臣となった。
保科左近将監 (?~?)
保科正則の弟。長享年間、村上政国に攻められ降伏。その後、村上政国に仕えて霧台城主となる。
越後に逃れた義清は、信濃に近い根知城五万四千石を与えられる。そこは信濃への塩輸送ルートであり、塩を支配することで間接的に旧領と接触していた。なお、塩の輸送に乗じて義清は馬子の姿となり、何度か旧領へ戻っていたという伝承がある。天正二年末、義清は病に倒れ、そして天正三年元旦に七十三歳で没した。春日山城外とも魚沼郡赤沼城ともいう。義清の法号は「日滝寺殿紅雲正清公大禅定門」。生涯の大敵武田信玄はその四ヶ月後に没している。
[出典]
http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/murakami.html
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