2014年10月30日木曜日


会津若松市宝町にある日蓮宗の寺院。山号は法紹山。本尊、十界曼荼羅。

淨光寺


 保科正之が信州高遠城主であった寛永12年(1635)、生母のお志津の方が他界し、その遺骸は遺言によって火葬のうえ同地の妙法山長遠寺に葬られた。法名「淨光院殿法紹日慧大姉」。
 その翌年の寛永13年、正之は最上へと転封になったが、同地にあった普光山本春寺が長遠寺と同宗同門派だったので、長遠寺の住職であった寿命院日遵上人を請じて両寺を一寺となし、亡き母の法名にちなんで寺名を法紹山淨光寺と命名した。

 嘉永20年(1643)正之の会津再転封にあたり、所謂「御供寺」として淨光寺も会津へと移り、城下南町口に寺地を与えられた。現在地に移転したのは、寛文5年(1665)第三世日然上人のときのことである。

 会津藩祖の生母菩提寺として寺領100石を賜り、その規模は奥羽一と称された松島の瑞巌寺をも凌ぐほどであったが、戊辰の戦火で釈迦堂以外はすべて焼失、寺宝も烏有に帰した。

 長く武家寺であったため、維新後は檀徒も四散して衰微の一途をたどったが、大正12年(1923)千葉県富浦町釈迦寺より入山した当山23世境智院日暎上人が再建に尽力し、中興開山とされている。
 昭和32年より7年の歳月をかけて、本堂・庫裏の再建がなされた。

 墓域には、3代正容の用人で、後に若年寄にまで累進した杉本則直などの墓がある。

[出典]
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/aizu-jiten/koumoku-shi.htm



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