(常陸介、大夫判官)について
島津 忠秀(しまづ ただひで)は末期からの・。宇宿氏、宇留氏、 赤沼家の祖。
生涯
赤沼郷に地頭職を有し、のの頭役も務めた。3年()5月7日、足利高氏()がを攻撃した際には、六波羅探題方の将として庁・周辺を守る(『』巻第九)。六波羅探題滅亡後はに帰順したと考えられ、4年()、供養の際に導師の天蓋の執綱を務めた「島津常陸前司」(『同』巻第二十四)も忠秀と考えられる(杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』第6章)。祖父・父忠宗と同じくの才に恵まれ、『』、『』に入集。『』にも採歌されている。作品
- いにしへの 野中の清水くまねども 思ひ出てぞ袖ぬらしける (『続千載和歌集』雑下・『武家百人一首』)
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