渋谷東馬
天保3年(1832)~明治37年(1904)
剣術家。
生江寛隆の三男。名は貞保。時中軒・沈斎剣士と号し、のちに昌甫(しょうほ)と称した。
明治13年、絶家となっていた元会津藩医渋谷家(200石)を再興。
小野派一刀流の剣術に優れ、また漢学の素養もあったため、会津坂下町に文武二道の塾を開き、「養気館」と名付けて子弟を育成した。
明治8年に円蔵寺に奉納した剣術の奉納額は、現在もそのまま残っている。
[出典]
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/aizu-jiten/koumoku-shi.htm
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