2014年10月22日水曜日


村上義清の父、顕国は斯波義良の娘を娶った。その間に生まれた義清は尾張斯波義統の従兄弟である。
 
 
 【村上義清と塩の販売ルート】
 越後に逃れた義清は、信濃に近い根知城五万四千石を与えられる。そこは信濃への塩輸送ルートであり、塩を支配することで間接的に旧領と接触していた。なお、塩の輸送に乗じて義清は馬子の姿となり、何度か旧領へ戻っていたという伝承がある。天正二年末、義清は病に倒れ、そして天正三年元旦に七十三歳で没した。春日山城外とも魚沼郡赤沼城ともいう。義清の法号は「日滝寺殿紅雲正清公大禅定門」。生涯の大敵武田信玄はその四ヶ月後に没している。

[出典]
http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/murakami.html


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