戸隠神社は、新潟県境にある戸隠山の麓にあり、現在は奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の5社からなります。創建以来2,000年余りに及ぶ歴史を刻む神社と云われています。
武田と上杉の戦により荒廃していた戸隠神社が復興されていくのは上杉景勝による保護からです。徳川家康が天下を握ると、慶長17年(1612)1,000石を戸隠神社に寄進しました。
栗田村、二条村、上楠川村は、上杉景勝以来の寄進による領地で200石、その他は今回家康に寄進された領地で800石になります。
戸隠神社には、明治時代に廃仏毀釈によって廃寺となるまで広大な寺院が建ち並び、石高の80%が寺院用に充てられていました。1,000石の所領は、神領の領主として勧修院(本坊)の別当分として500石、奥院12坊の僧侶の社僧分300石、火之御子社の栗田氏の社家分200石に分配されていました。宝光院と中院の収入は、檀家の御師からの収入を充て、1,000石からは賄っていませんでした。
栗田氏は、慶長3年(1598)豊臣秀吉の命により上杉景勝が会津に移封となり、ほとんどが上杉氏に従って会津に移りましたが、残った栗田氏が二条村に居住し、火之御子社の神主となったのでした。
[出典]
http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/minotigun.htm
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