- 天正11年(1583)
- 1・
- 丸子合戦、真田昌幸、小県郡の和田・大門・長窪・武石・内村・丸子各氏らと戦って勝つ。
- 閏1・26
- 諏訪頼忠、諏訪郡慈雲寺に寺領安堵状・禁制を与え、武田氏の仕置を踏襲するむねを記す。
- 2・9
- 高井郡福島城将須田信正、伊勢神宮に、広田御師を通じ同郡井上・小布施などの地を寄進する。
- 2・12
- 小笠原貞慶の臣赤沢・古厩・塔原氏ら謀反、この日貞慶、苅谷原城主赤沢式部少輔を自殺させる。
- 家康の将依田信蕃、阿江木能登守を佐久郡田口城を攻略する。この日家康、同地の守兵を減らさせる。
- 2・14
- これより先北条氏直、小諾城から撤退、彌津昌綱ら、同城に入り上杉景勝に応じる。
- この日景勝、飯山・海津・長沼城将らに、援兵の派遣を命じる。
- 2・22
- 依田信蕃、佐久郡岩尾城を攻撃、この日信蕃の弟信幸戦死する。ついで信蕃も戦死する。
- 長沼城将島津忠直、水内郡葛山衆と地境を争う。
- この日上杉景勝、葛山衆妻子を越後府内に移させる。
- 2・25
- 小笠原長時、陸奥会津で家臣に殺される。子貞慶、筑摩郡少林寺を正麟寺と改め長時を供養する、
- 2・
- 小笠原貞慶の兵、上杉方の水内郡鬼無里を占拠し、また安曇郡千見城を攻略する。
- 3・14
- 海津城将屋代秀正、上杉景勝に背いて家康に内通する。この日家康、秀正に更級郡を宛行う。
- 3・28
- 諏訪頼忠、家康に服属し、諏訪一郡を安堵される。家康、その将柴田康忠を高島城代とする。
- 3・
- 上杉景勝、上水内郡牟礼に制札を出し、北国往還を牟礼-長沼経由とし、善光寺への脇道を禁じる。
- 家康、依田信蕃の嫡子に松平姓と康の字を与え松平康国と名乗らせ、佐久郡などを与え小諸城に置く。
- 4・13
- 真田昌幸、小県郡海ヶ淵に城一上田城一を築く
- この日景勝、諸将にその攻略を命じ不成功に終わる
- ついで昌幸、城下に海野郷・原郷住民を移す。
- 4・16
- 小笠原貞慶、家康と結び、秀吉方上杉景勝の麻績城を攻撃する。景勝、島津泰忠を遣し迎撃して破る。
- 以後麻績・青柳両城の攻防が重ねられる。
- 6・5
- これより先織田信雄、甲府善光寺如来を清須甚目寺に移す。
- この日家康、これを三河岡崎に移し、ついで浜松鴨江寺をへて甲府に返す。
- 8.7
- 諏訪頼忠、諏訪郡踏出の文右衛門に田辺内の地を宛行い、鉄砲を嗜み奉公するよう命じる。
- 8・14
- 小笠原貞慶、二木重吉を安曇郡西牧領代官に任じ、一日市場で白木・材木・薪を売買させる。
- この年
- 上杉景勝、飯山城将岩井信能に命じ、城を大改修させる。
- また更級郡稲荷山域を築き、城下に宿駅を置いて伝馬制をしき、定期市を立てる。
- このころ
- 伊那郡知久頼竜、高野山の宿坊を引導院に改め、逆修の月牌を託し謝金を納める。
2014年10月28日火曜日
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