- 天正6年(1578)
- 1・23
- 武田勝頼・水内郡鰍綴権現千日次郎大夫の養孫に仁科甚十郎の名を与える(以後甚十郎を襲名)。
- ・法事などの勤仕を精励させる。
- 1・
- 佐久郡依田信蕃、高野山蓮華定院に、日牌料として同郡春日郷の土地・屋敷を寄進する。
- 2・12
- 武田勝頼、信濃国中諸郷に、諏訪上下社の七年一度の造宮(御柱立)の勤仕を命じる。
- 3・5
- 諏訪頼満(頼水)、諏訪上社大祝の位につく。
- 3・28
- 勝頼、小松又七郎・藤森民部丞ら高島十人衆に、その知行地諾郷村を検地のうえ安堵する。
- 5・11
- 勝頼、諏訪郡十日町住民の伝馬役を定め、その郷次普請役を免除する。
- 軍役衆・武田一門衆家人にも伝馬役を課し、軍役衆在陣時のみ免除する。
- 5・13
- 越後御館の乱、信濃諸将士も両派に分立する。
- 5・15
- 上杉景勝、同景虎を越後御館城に攻める。村上国清、景勝に属し同国大場口で戦う。
- ついで飯山城将桃井義孝ら景虎の軍、春日山城を攻め、島津喜七郎ら、籠城して景虎軍を退ける。
- 5・29
- 上杉景虎、勝頼からの援軍小諸城主武田信豊の信越境到着を陸奥芦名盛氏に報じ、協力を求める。
- 6・7
- 上杉景勝、武田信豊・海津城将高坂弾正に斡旋を頼み、勝頼と和睦する。
- ついで海津城着陣の勝頼に誓紙を送り、信濃・上野を勝頼に割譲する。
- 6・22
- 勝頼、長沼城に移る。ついで越後に入る。
- 7・18
- 勝頼、高遠建福寺に、鉾持町居住人足を使役させ、末寺笠原郷吉祥寺門前住民の普請役を免じる。
- 7・23
- 春日山城下着陣の勝頼、景勝・景虎の和平を計り、景勝方仁科中務丞らに景勝への諌一言を頼む。
- 8・2
- 勝頼、更級郡康楽寺に令し、本願寺末寺十ヵ寺・同宿三十七人に、妻帯僧ながら普請役を免じる。
- 8・23
- 勝頼、島津泰忠・勝善寺などの軍役を定める。
- 8・28
- 勝頼、景勝・景虎の和議不調により越府から甲府に帰る。ついで妹お菊と景勝の婚約を固める。
- 9・17
- 仁科盛信、安曇郡信越国境大網へ移住するものに、三年問諸役を免除する。
2014年10月28日火曜日
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