2014年10月28日火曜日

會津鑑一
巻之三 葦名盛氏代押領之地並旗下大名之記
編集者 会津資料体系刊行会
発行者 阿部 隆一
発行所 歴史春秋社
昭和56年6月1日初版発行


「會津鑑」は会津藩番頭井深監物組に属する組士高嶺覚大夫慶忠知行百五十石によって編纂され、寛政元年(1789)に、藩庁へ提出された書物です。
内容は「葦名盛氏代分限帳」または「葦名家侍帳・士録」ともいうものです。同じ会津内でも、猪苗代や南山、金山、伊南の同盟者は直属として記録されていますが、その士は記録されていません。
以下にそれぞれの具体的人名を記しますが、旧字に加えて難字も多く、誤記があるかもしれませんので、より興味のある方は、最後に記しておきました原典を参考になさってください。
この内容に関しては、中世当事にこのような厳密かつ詳細な職制が存在したのか、という疑問が考えられますが、ある程度の形はなくてはならず、このままではなかったにせよ、近からず遠からずのものはあったと考えて良いと思います。
また、具体的人名に関しても、根拠が不明なのが気になりますが、四家合考等にも登場し、御子孫から確認のとれる名も挙げられており、当時、編集者がその責任において、それ相応の根拠に基づいて記したものと信じます。
なを、文中()は私の補足です。こちらもただの引き写しではなく、難字解読に苦労いたしましたので私の著作であると主張させていただきますので、引用はご一報ください。


南山田嶋鴫山城主   長沼豊後守平實國 其子弥七郎盛秀                                           
仙道苗代田城主    高橋下野守経尹                                            
南馬城主       南馬山城守戸田祐矩  其子左京介 祐清二男刑部少                                        
駒嶺城主       大和備中守保昌                                 
長沼城主       新國上総介頼基            


父越後                  本名佐原氏父主計
大町越後  小頭一柳庄九郎        荒川河内   小頭広瀬十助             

[出典]
http://www2.ocn.ne.jp/~you/CCP024.html



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