林檎の花、龍の爪
波間に浮かぶ士魂。ある士族のルーツを訪ねます。
2014年10月11日土曜日
島津 忠秀
(しまづ ただひで)は
鎌倉時代
末期から
南北朝時代
の
武将
・
歌人
。
宇宿氏
、
宇留氏
、
信濃島津氏
赤沼家
の祖。
信濃国
赤沼郷に地頭職を有し、
諏訪大社
の
御射山祭
の頭役も務めた。
元弘
3年(
1333年
)5月7日、足利高氏(
足利尊氏
)が
六波羅探題
を攻撃した際には、六波羅探題方の将として
太政官
庁・
神泉苑
周辺を守る(『
太平記
』巻第九)。六波羅探題滅亡後は
室町幕府
に帰順したと考えられ、
康永
4年(
1345年
)、
天龍寺
供養の際に導師
夢窓疎石
の天蓋の執綱を務めた「島津常陸前司」(『同』巻第二十四)も忠秀と考えられる(杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』第6章)。祖父
忠景
・父忠宗と同じく
和歌
の才に恵まれ、『
続千載和歌集
』、『
続後拾遺和歌集
』に入集。『
武家百人一首
』にも採歌されている。
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