2014年10月14日火曜日



中央構造線とは
列島を縦断する巨竜。謎に満ちた大断層の歴史に迫る

 南アルプス沿いの中央構造線は、その地形と断層露頭がはっきりと観察できる絶好の場所です。長谷村には中央構造線観察公園がありますし、大鹿村の中央構造線博物館では、学芸員さんがわかりやすく解説してくれます。
 南信濃村の青崩峠では、中央構造線によって形作られた断層谷が眺望できます。遠山谷は、中央構造線が河川によって浸食されて生まれた谷なのです。
一千キロの亀裂

 中央構造線は、日本列島の西半分を縦断する日本最大の断層です。
 その陸上部分はおよそ1000kmあり、九州熊本から四国を通り、遠山谷を通過して諏訪(茅野市)でもうひとつの大断層――糸魚川・静岡構造線 (※注1) ――によって大きく分断されています。
 分断された中央構造線は、カーブを描いて関東平野に伸びています。新しい地層に覆われているために、正確なルートは明らかになっていませんが、茨城県を通って太平洋に伸びていると推定されています。

 南アルプス沿いの中央構造線は、その地形と断層露頭がはっきりと観察できる絶好の場所です。長谷村には中央構造線観察公園がありますし、大鹿村の中央構造線博物館では、学芸員さんがわかりやすく解説してくれます。
 南信濃村の青崩峠では、中央構造線によって形作られた断層谷が眺望できます。遠山谷は、中央構造線が河川によって浸食されて生まれた谷なのです。

断層の古代史

 中央構造線の歴史は、日本列島の誕生以前にさかのぼります。
 1億年前の海洋プレートは、北に向かって動いていました。この動きにつられて大陸プレートの東端が北に引っ張られ、巨大な横ずれ断層が生まれました。これがのちに発展して中央構造線となったと考えられています (※注2) 。

 中央構造線を境界として、大陸側(内帯)と太平洋側(外帯)とでは、岩石の種類が全く異なります。
 中央構造線に接する内帯側の地質帯は領家変成帯と呼ばれ、マグマが地上付近(地下10km付近)で冷え固まってできた、花崗岩などが中心の変成帯 (※注3) です。

 それに対して、外帯側の三波川変成帯は、地下深く(地下30km付近)の低温・高圧の状況下で作られた変成岩が中心です。この二つの地質帯の境界であることが中央構造線の指標であり、またその定義でもあります。

中央構造線は、地学ファンのみならず、さまざまな分野から注目を集めています。
 「中央構造線の謎を探る会」の代表を務める後藤拓磨さん(飯田市)は、中央構造線上には重要な聖地が多く、また国譲り神話に関わる神々がこの線上に祀られている、と指摘しています。
 確かに、国譲りで敗れた建御名方命は中央構造線上の諏訪大社に祀られていますし、伊勢では伊勢神宮外宮のほぼ真下を中央構造線が走っています。修験道で有名な石鎚山も、この構造線上にあります。
 果たして中央構造線と神話・古代史の間には、どのような関係があるのでしょうか。ここでは、諏訪信仰との関係にスポットをあてて考えてみたいと思います。

[出典]
http://www.tohyamago.com/rekisi/chuoukouzousen/index.php


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