保廷4年(1138年)、 三浦大介義明の七男として三浦半島に生まれる現在の横須賀周辺にある『佐原』を領したことから地名を苗字にし、佐原十郎義連と名乗ったまた、その官職から、佐原十郎左衛門尉とも称する源頼朝の挙兵の際には、父義明、兄義澄等と共に付き従う一ノ谷の合戦では、搦手の源義経の麾下に加わった「平家物語」によれば鵯越の奇襲戦の際に「我等が三浦では、鳥一羽追うにも、朝夕かような所を駆け巡っております
我等にとっては、これは三浦の方の馬場ぞ」と言い放ち、真っ先に崖を駆け下り、戦功を立てたという文治5年(1189)源頼朝の奥州藤原氏征討に従軍軍功により会津門田庄を賜る(『会津旧事雑考』では会津四郡・『吾妻鏡』には明記なし)
[出典]
http://sirojiro.blog1.fc2.com/blog-date-200412.html
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