2014年10月17日金曜日


『暗涙之一滴』より


藩邸を外桜田に賜る。

 これより前、私は芝の増上寺内に移り、さらに講武所に移った。ここに父がいたからである。そして講武所に移ってから少しして父が会計吏となったため、私も一緒に藩邸に移った。

 ほどなく斗南移住、ということになり、鈴木所左衛門、米野陣、赤沼弥一郎らと共に汽船「大阪丸」に乗り、品川を出港した。


【解説】
上、『暗涙之一滴』に書かれた、赤沼弥一郎は赤沼彌一郎治勝、鈴木所左衛門は、鈴木所左衛門重承のこと。
会津藩斗南へ: 誇り高き魂の軌跡』(星亮一著)参照




朱雀寄合四番隊の人名書を付記しておく。

隊       長 芦沢生太郎
小   隊  長 山田信蔵 篠田岩蔵
半   隊  長 土谷梶之助 樋口栄太郎
一番嚮導小隊 吉田義道 野田寅之助
          池田勝弥 松崎先之輔
二番嚮導小隊 林八太郎 池田信太郎
          新城金治 清水儀八郎
属   事  係 佃清之丞 井深清太郎
          渡辺左右輔 深瀬犬之助
          江川栄之進

隊      士 野田寅之進 岡田小八 新城金治 林八太郎 西川彦太郎
          塚原豊之進 松崎先之輔 三沢主税 佃清之丞 池田佐太郎
          林八三郎 井深清太郎 清水義八郎 林勝吉 深瀬丈之助
          星啓蔵 菊地虎求 渡部左右輔 磯貝六郎 楡井次郎 
          江川栄之進 沢田源太郎 木間民次郎 吉田義道 佐藤為次郎
          桑名定蔵 池田勝弥 雪下熊三郎 斉藤勇治 斉藤滝江
          今井熊之助 吉川寿衛 松見清吉 赤沼勝吾 福田誠助
          相原清三 五十嵐忠三郎 結城理兵衛 中川悦藏 渡辺茂万
          鈴木三猪 石川源蔵 玉川卯三郎 長谷川孝吾 佐藤芳之助
          合田吉之助 竹田幸之助 長坂英吉 長谷川恒蔵 永井清八
          渋井幸吉 木村又市 高島彦作 吉田藤八 片岡禎助 若林甚之助
          金子安蔵 渡辺次郎 栗村豊之進 吉田亥三郎 井関関之助
          須貝次郎八
 

【解説】
三沢主税(ちから)は、 『八重と会津落城』( 星亮一)によれば、当時18歳、白河奪還を賭して戦う朱雀寄合四番隊として登場。この三沢がのちに、『暗涙之一滴』を著す。三沢千賀良(ちから)。
赤沼勝吾は、のちに斗南藩(県)、後に青森県職員となる。
須貝次郎八と山田清介は、次のとおり、「須貝姓の人々」に詳しい。



[出典]
http://www1.koalanet.ne.jp/sg_hp/kiji1-5.html



須貝治郎八 4石5斗2人 与力 月割金鞁役 原田対馬組 

会津戦争時は、朱雀寄合四番隊に所属、白河口戦線を転戦

慶応4年5月1日、薩長を中心とした新政府軍が白河城攻撃を敢行し、これを奪取します。白河口副総督横山主
税、大砲方隊長日向茂太郎が戦死。この敗報を受けて、朱雀寄合四番隊は5月5日、勢至堂方面へ出陣し、5月25日には白河出陣の命令が発令されます。
6月12日 奥羽列藩同盟軍、白河総攻撃に失敗し、朱雀寄合四番隊も上小屋に敗走。
6月27日 朱雀寄合四番隊は白河城攻撃を敢行するが、敗走し、8月25日 朱雀寄合四番隊は東山温泉から城下を突破して不明門から鶴ヶ城へ帰城します。
9月23日降伏後、次郎八は、東京謹慎となります。場所は東京音羽護持院。

護持院は、江戸神田橋外(今の千代田区神田錦町)にあった真言宗の寺。山号は元禄山。1688年徳川綱吉が湯島の知足院を移して護持院と改称しました。1717年焼失,焼け跡は火除け地となり,護持院ヶ原と呼ばれました。寺名を音羽(おとわ)の護国寺内の本坊に移したが,明治初年に護持院の名称も消滅した。現在、護国寺は有楽町線護国寺駅に名がついたほど大きなお寺です。この近辺には現在も音羽という住所が残っています。
その後、須貝次郎八は北海度(*北海道の誤り)に移り、余市の開拓村(黒川村)へ 


朱雀寄合四番隊 隊長:山田清介の足取り 
    
慶応4年 3月20日 木本内蔵之丞、朱雀寄合四番隊の中隊頭を命じられる
慶応4年 5月 5日 朱雀寄合四番隊、白河の敗報を受けて勢至堂方面へ出陣し、赤津村に宿陣する
慶応4年 5月25日 飯土用村の朱雀寄合四番隊に、白河出陣の命令が発令される
慶応4年 5月26日 朱雀寄合四番隊、金勝寺山に布陣して戦うも、飯土用村へ敗走
慶応4年 6月12日 奥羽列藩同盟軍、白河総攻撃に失敗。朱雀寄合四番隊は上小屋に敗走する
慶応4年 6月27日 朱雀寄合四番隊、白河城攻撃を敢行するが、敗走
慶応4年 8月16日 朱雀寄合四番隊、今泉村の戦闘で新政府軍を撃退する
慶応4年 8月25日 朱雀寄合四番隊、東山温泉から城下を突破して不明門から入城(帰城)
明治元年 9月15日 朱雀寄合四番隊は、小田山方向に敗走した敵と青木村で交戦
明治元年 9月23日 降伏
明治2年 1月22日 東京謹慎 東京音羽護持院










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