2014年10月13日月曜日


会津古城塁柵巻之一
会津四郡 古城塁館柵
会津郡
一、黒川城外石塚中野舘 東西三十間南北二十八間石塚南明在応元年壬子葦名氏之臣松本対馬之を築き住す。
一、同幕ノ内舘 東西八十九間南北百六間葦名若狭守直盛康暦元年己未年住永徳二年壬小館に移る。
一、同小舘 東西百間南北百九(百十)間右直盛永徳二年壬幕ノ内自茲に移る至徳元年甲子小田山小高木に移る小舘の跡寺建古舘山城安寺と号す。
一、同小田舘 東西六十間南北百二十間建久元年庚佐原十郎義連孫光盛仮住す。跡宝積寺義連より五代孫盛員迄鎌倉に居すと雖とも義連ノ代より会津を領す
一、鶴ヶ城 小高木市井黒川と号す東西至徳元年甲子葦名直盛移り住す。
一、上荒久田村舘(柵) 東西十八間南北二十四間 渡部源左衛門基綱住す。
一、飯寺村塁 東西四十二間南北五十三間此所曰く仁井寺又新井寺とも云ふ文治五年仁科太郎光盛築き住す。是れ荒井氏之祖後に小沼帯刀居る。
一、御山村三峯城 あるいは御舘山と云康平年中源義家公爰に越年す。康(応)安之頃新宮小太郎時久居り後に多々良八郎行政居る是れ自り九代多々良伊賀政力(重)時宝徳三年辛未七月十五日松本右馬押寄せ攻め戦う政重父子并に伊東父子自害す。
一、界沢村西舘 東西二十二間南北二十六間葦名臣松本土佐築く。後金屋尾張居す。
一、黒川城南号允殿(黒川允殿舘) 東西六十間南北六十間宝徳三年辛未松本右馬允通輔之を築き允殿舘と称す末世に至りて其中に成願寺或は浄土寺を建立して静雲寺と改め弘真院と号す。
一、荒田村柵 昔相沢村と云う。栗村三郎朝長築き住す。後会(頼)沢七右衛門盛宗と云ふ。
一、瀧沢村舘(柵) 昔此村を堂家村と云天応元年辛酉藤原朝臣清足卿堂家に流され之を築く子孫に至り堂家を家名とす村瀧沢と改め又石部の某と名乗る又石塚(石部)を家苗とす黒川の中河原え柵を役して爰を石塚と云ふ。後に観音堂を建てる。又天正之頃横山監物義秀住す。
一、下小松村柵 東西二十八間南北三十間延元年中船木(本)太郎光茂築く後に伊勢九郎治光勝住す小松を家名にす。永禄年中平田氏族居る。
一、上荒井村柵 東西三十間南北二十二間永徳二年佐原七郎築く外に一ヶ所家頼の住宅有り。
一、加塩村塁 東西十五間南北三十間文明三年辛卯星越中築く。
一、面川村舘 東西二十間南北二十五間治安元年辛酉永井淡路行広築き其後松本源兵衛安石居る。
一、中嶋村柵 東西十八間南北二十五間応仁元年丁亥中島越中實澄(隆)築き住す。
一、田村山柵 東西二十六間南北十九間康正二年丙子田村山刑部左衛門頼久住す。
一、下荒井村舘 東西四十五間南北三十二間葦名直盛二男佐原佐金吾盛久住す。康暦之頃可成る天正之頃冨田滋實居る。
一、館村舘 東西三十(二十一)間南北二十二間田村山舘と号す田村刑部頼久子同少輔義純(託)築く。
一、大嶌村舘 東西二十九間南北二十七間大島若狭守頼盛築き住す。寛正之頃成る可し。
一、石原村(名原村)柵 東西十三間南北二十八間石原刑部信清築き住す享徳二年癸酉也。
一、森台柵 東西二十三間南北十九間佐瀬七郎盛滋延徳之頃築く。天正之頃森台又治郎住す。
一、米塚柵 東西十九間南北二十八間町田兵部明応二年壬子築く。天正之頃米塚又吉居る。
一、東麻生柵 東西二十五間南北二十間応永年中池田出雲築き住す。
一、南山伊北田沢村柵 東西三十六間南北二十五間貞応二年癸未栗田将監勝頼築き住す。天正年中星藤五郎居る。
一、同大塩村中山城 東西七十二間南北八十一間建仁二年壬横田氏築く。天正之頃菅家太郎左衛門居る。
一、同只見村水窪村城(柵) 東西六十一間南北百二間建保元年癸酉横田氏築く。天正之頃小国九郎左衛門居る。
一、同石伏村柵 東西二十六間南北三十間正治元年己未斉藤石見築く。永禄之頃小国監物居る。
一、同上々立岩木村柵(木賊村柵) 東西十九間南北二十三間天福元年癸巳国盛後(俊)包築く。天正之頃子孫彌六兼可居る。
一、同上々糸沢村 柵東西二十間南北二十六間天文年中長沼小治郎通幸築き居る。
一、同断金井沢柵 東西二十六間南北十九間永禄年中長沼善左衛門居る。
一、同上々田部村柵 東西十八間南北二十一間元亀年中千葉左近住す。人不知
一、右同断黒沢村棚 東西二十六間南北十八間天正之頃黒沢和泉居る。
一、同大豆渡柵 東西二十間南北二十一間天正年中大竹筑後(豊後)守俊住す。
一、同下々枩(松)川村柵 東西三十間南北十六(二十六)間永禄之頃佐藤伊豆住す。
一、同伊北楢戸村柵 東西未詳間南北間二十間天文之頃横山光氏住す。
一、同伊北布沢村之内久沢柵 東西二十二間南北二十間永正十二年乙亥佐藤弾正築き住す。
一、同和泉田村河原崎城 東西五十九間南北四十八(十八)間建長二年庚戌河原田氏築く。天正之頃五十嵐伯耆守道照住す。
一、同大倉村棚 東西十九間南北二十六間天正之頃木村数馬住前中丸新九郎築く。
一、同簗取村舘 東西六十二間南北五十八間応長之頃三河権頭宗景築く。其後山ノ内氏領め城代に佐藤左馬介信虎を置く。窪之城と号す。子孫山ノ内を家名にす。
一、伊北布沢村舘 東西六十三間南北四十五間築きし人知ら不天正之頃渡部長門住す。
一、同横田村之内高根沢柵 東西二十八間南北二十間山ノ内左馬允、弘安二年己卯築き住す。
一、同片貝村柵 東西二十間南北十八(十九)間築きし人知らず天正之頃堀金弾正住す。
一、同大侯村柵 東西十五間南北二十一間永正之頃横田氏築く。天正之頃新国隼人居る。
一、同小林村柵 東西二十五間南北十八(二十)間文亀二年壬戌築く。天正之頃中丸三郎左衛門居る。
一、同小川村舘 東西三十八間南北二十九間天文七年戊戌山ノ内摂津守俊政築く。天正之頃渡部備中居る。
一、同十ヶ嶌村柵 東西二十三間南北二十間築きし人知ら不弘治之頃長谷川四郎右(左)衛門居る。
一、同大塩村之内西部柵 東西二十一間南北十九間永禄二年己未頃須佐七郎左衛門築く。
一、同蒲生村柵 東西二十三(三十三)間南北二十二(二十三)間元亀元年庚午鈴木帯刀住す。
一、同田子倉村柵 東西二十五間南北二十間天正之頃皆川近内住す。
注、以下原文には東西南北の記載無し。(巻頭に「間数の方角を不尽事は初めに習ひ見るべし」との記載あり)
一、同熊倉村柵 東西三十間南北十八間永禄之頃目黒七十郎居る。
一、同荒井村柵 間数未詳天正之頃荒井舎人居る。横山氏なり。
一、同谷沢村柵 東西二十三間南北二十間天正年中小国小源太住す。
一、同下山村柵 東西三十八間南北二十三間同目黒小三(十)郎住す。
一、同泥嶋村柵 東西二十間南北二十二間同斉藤久太郎住す。
一、伊南只石村舘 東西三十八間南北四十三間同伊南源介住す。
一、同檜枝俣(岐)村柵 東西二十九間南北四十一間同星備中住す。
一、同青柳村柵 東西三十間南北十九間同河原田近江住す。
一、同古町村之内小沼舘 東西四十五間南北三十八間永禄年中芳賀大炊住す。
一、同濱名村柵 東西二十八間南北二十一間天文年中河原田治部築く。
一、南ノ山下々猶原村舘 東西五十間南北三十二間天正之頃星玄蕃住す。
一、同々倉谷村小淵柵 東西二十九間南北二十七間天正之頃渡部大和住す。
一、同々舩(船)子村柵 東西不知南北二十間永享年中星刑部築く。天正年中星備中居る。
一、伊南白沢村柵 東西三十六(三十二)間南北二十九間天正之頃馬場六郎左衛門住す。
一、同宮床村柵 東西三十間南北二十三間文安之頃木村肥前守秀信築く。天正之頃馬場備中居る。
一、上々丹藤村柵 東西四十間南北二十九間弘安年中星弾正築く。
一、同下塩沢村柵 東西三十一間南北二十一間明応二年癸丑長沼弾正憲頼(茂)築く。
一、同田嶋村之内折橋小舘 東西三十八間南北四十一間延徳三年辛亥長沼政義築く。
一、同関本村柵 東西三十間南北二十七間文亀元年辛酉長沼小四郎常正築く。
一、同中荒井村柵 東西二十六間南北二十二間長沼三郎常則築く。天正之頃渡部源吾住す。
一、下々小出村柵 東西三十一(三十二)間南北二十六間永井又三郎行長住す。
一、伊南山口村柵 東西四十間南北二十九間神庭右京住す。
一、下々九々布村柵 東西三十六間南北二十五間星刑部少輔光成住す。
一、上々穴原村柵 東西二十九間南北三十一間木村豊俊(後)秀則住す。
一、中前田村柵 東西二十五間南北十九間菊池右近頼景(菊池彌三次頼清)住す。
一、沼木村柵 東西百九(二十九)間南北三十一間菊池彌三次頼清(菊池右近頼景)住す。
一、倉川片上ノ柵 東西二十一間南北三十間長井民部勝秀住す。
一、中ノ明村舘 東西五十二間南北四十八間延徳年中大島小太郎守信築く。
一、青木村柵 東西三十間南北二十五間真田越後實源住す。天正之頃寺田民部居る
一、二堂村柵 東西二十九間南北三十二間今雨堂と云小松源左衛門兼盛住す。
一、横沼村柵 東西二十一間南北二十三間柴山民部住す。
一、宮下村柵 東西三十間南北二十九間佐藤大和并子式部長享元年丁未築く。後宮下丹後直勝住す。天正之頃常世頼勝居る、此村昔下荒田と云う中荒井組なり。
一、神指城
上神指村に上杉景勝慶長五年頃築かんと欲し是れに謀反企てし故地形取り之上止む。会津郡鶴庄上神指村に上杉景勝築かんと欲し慶長五年庚子二月長臣直江山城守兼続之を築く 本丸東西一町四十間南北二町五十間二ノ丸東西四町二十間南北四町五十間。

[出典]
http://www.geocities.jp/rockfish384/tatakai/tatakai17.htm



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