本書は葦名盛氏・盛興・盛隆の三代を略述し、亀王及び義広の時、即ち天正十三年関柴合戦、天正十七年磨上原合戦を主として記したものですが、作者及年代は不明で、従来から写本にて諸本が流布しており、会津合戦記・会乱記・会津合戦・会乱実記・葦名家記と異名も多く有りますが、会津合戦記として流布しているものが多く、本編は菊池重匡が大正六年に、表題を「会津合戦記」として会乱記(菊池家蔵本、享保六年筆写)を底本として、一切句読を施さずに、校訂したものです。本書と同一の事を記したものに、葦名由来記・会津四家合考・会津盛衰記等があります。
会津合戦記 (著者不詳)
目次 盛氏代を盛興に譲り隠居の事 盛隆後家入の事 大場三左衛門盛隆を奉討事 政宗檜原口を責給ふ事 関柴備中守謀叛の事 関柴合戦の事 政宗馬場乗の事 佐竹義広葦名に婿名跡の事 伊達政宗仙道を責給ふ事 猪苗代盛国政宗へ降参の事 高田間太郎左衛門荒井新兵衛尉討死の事 磨上合戦付富田将監討死の事 金上遠江守討死の事 [出典]http://www.geocities.jp/rockfish384/tatakai/tatakai14.htm |
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