2014年10月18日土曜日


平石弁蔵著『会津戦争』より

  仏も賊軍あつかい

  会藩の戦死者を阿弥陀寺に合葬せしは、同寺は藩士の菩提寺であるためだ、という人あるがそれは誤りである。初め会藩の戦死者は其戦死の場所毎に最寄々々に仮葬せしが之を合葬せんと出願せしところ、小田山の西南方畑地俗称五社壇を指定された。しかるに同所は古来藩士の馬や罪人を埋葬せし処にて、余り不浄地なれば他の地所をと出願せしに、然らば藩の処刑場は何れにあるかとの問いに、城西涙橋と答えた。然らば其近くに葬るべしとの命令なれしば、止むを得ず刑場に近き阿弥陀寺を選んだものである。忠勇の仏も賊軍あつかいには当時の人も落胆したということである。

[出典]
http://www.geocities.co.jp/bosin100/honmon2/100-2.html




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