2014年10月13日月曜日



3.1 矢筒山の前史(近世以前)
近世以前の前史については,文献資料により整理 した. 矢筒山は,地元では城山とも呼称され,中世の時 代には太田荘島津氏がおさめた山城であったとされ る.内堀,外堀,三日月堀等の跡のほか,南麓には 城下の館跡が残り,当時は自然の地形を生かした堅 固な山城であった.山の南東側の畑地には表町とい う地籍が残り,かつては城下町が存在していたと推 考されている5) - 8).また,中世以前には矢筒山の 南側一帯に東山道支道などの主要道が通じ,交通の 要衝であったと同時に,周辺には古くから農村集落 が形成されていた8), 9).近世に入ると,山城と館 が一国一城令等によって廃止され,表町集落の移転 がなされ,慶長 16 年(1611 年)には矢筒山のす ぐ北側に江戸と越後や北陸を結ぶ北国街道の新たな 宿場町として,牟礼宿がつくられた7), 8).延宝 6 年(1678 年)の検地帳によれば,かつての矢筒城 跡を表す字名(耕地)が全部畑地であり,それが山 の頂上にまで及んでいたという報告がある9).この ように矢筒山は,中世以前の時代から農村集落に囲 まれ,交通の要衝となった宿場にも近く,常に人里 に隣接してきた場所であったとみられる.

[出典]
http://www.pref.nagano.lg.jp/kanken/johotekyo/kenkyuhokoku/hozen/documents/3-10.pdf


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