2014年10月12日日曜日



蓼科牧場の直ぐ先、左側に女神湖(もとは「赤沼」と呼ばれた湿原で、食糧増産のために造られた人工湖です。最初に試みられたときには水が漏れてしまい、作り直したそうです)があります。
 女神湖の近くに「鍵引き石」という岩が六川道(県道40号線)沿いにあります。望月の牧場から諏訪に行くには、中山道や大門街道はやや遠回りで、和田峠など、厳しい峠もそれぞれ2つ越えなければならないのに対し、六川道は狭い道ですが、便利で、通る人も多かったそうです。しかし、赤沼に住む河童が「鍵引き石」に出没し、通りがかった人の馬の「尻こだま」をぬいて食べるため、人々は大変困っていました。河童は馬の手綱に鍵を投げてひっかけ沼に引き込むのだそうです。
あるとき庄屋に馬を運ぶようにと善助爺さんと柏原の作蔵が頼まれました。善助爺さんは芦田で所要があり、作蔵は先に行くことになりました。作蔵は力持ちで評判でしたが、途中操作ミスから手綱を切ってしまい、裸馬で通りかかりました。河童はやむを得ず鍵を投げて作蔵の腕にひっかけ引こうとしましたが、馬が驚いて駆け出し、作蔵は馬の尻尾にしがみつき、半町ほど河童も引きずられました。河童は弱ったところを作蔵に組み伏せられてしまいました。後から来た善助爺さんの提案で、今後このような悪さはしないと証文を書かせ、恩を売り逃がしてやったそうです。その後河童は現れず、安全に通れるようになったそうです。


立科山の麓に甲賀一郎、二郎、三郎が住んでいました。三郎の妻は非常に美人で、兄達はねたみ、三郎を亡き者にしようとし、立科山山中の人穴の中の宝物を取りに行こうと誘った。三郎に藤の蔓を使い穴に降りるように命じ、三郎が穴人に入っていくと山刀で蔓を切り、帰ってしまいました。
三郎は気がつくと老婆がいて、餅を与えられ元気が出てきたので、老婆の指示した方向に歩いてゆくと、娘たちに出会いました。その案内で大きな屋敷に連れて行かれ、そのお嬢様と結婚し、幸福な生活を送りました。
しかし現世が懐かしくなり、妻に話して了解を得、旅に出ました。現世の国の出口は浅間山の麓の真楽寺の池でした。池から顔を上げると、池の端の子供たちが「龍だ」といって逃げて行ってしまいまし。妻を一目見ようと立科山腹まで行くと、妻の泣声が諏訪の方から聞こえてきました。彼女は三郎が戻らず、悲しんで諏訪湖に身を投げてしまっていました。三郎は諏訪湖に行き、妻と会うことが出来ました。冬の諏訪湖の氷の山脈は妻に会いに行った跡で、三郎の龍と妻が諏訪大社の主神だといわれています。


[出典]
http://tateshina.web5.jp/pg136.html

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