2014年10月14日火曜日


藩邸を外桜田に賜る。

 これより前、私は芝の増上寺内に移り、さらに講武所に移った。ここに父がいたからである。そして講武所に移ってから少しして父が会計吏となったため、私も一緒に藩邸に移った。

 ほどなく斗南移住、ということになり、鈴木所左衛門、米野陣、赤沼弥一郎らと共に汽船「大阪丸」に乗り、品川を出港した。
 乗員は約300名。
 それぞれが5日分の食料(餅5枚)を持ち、4月18日に出航、21日八戸藩領の鯨ヶ浦に上陸した。父、鈴木所左衛門、渡辺弥祖助らと共にここで婦女の到着を待つ。
 数日後、五戸に到着し、新井田登は新丁神明社別当方へ、鈴木所左衛門は大町大黒屋直七方へ、赤沼弥一郎は沢天神社別当方へ、それぞれ居を定めた。
 6月1日、婦女到着の報に接し、馬で鯨ヶ浦に駆けつける。翌2日、帰宅。
 これより、1人1日飯料玄米3合を賜る。

 父は藩丁に出仕し、少属に任ぜられ正九位に叙せられた。会計刑法司民歓農の数務を兼ねていたが、明治4年の廃藩置県で斗南藩は斗南県となり、さらに青森県に吸収合併されたので、故郷の会津に帰ることにした。
 会津への帰途、母が体調を崩してしまった。本宮までは何とか来たものの、そこでとうとう動けなくなり、遂に苗代田に歿する。
 ほどなく若松竪三日町の自宅に到着。
 その後、生計を立てるに大きな苦労をしつつも、新潟などにも出かけた。
 爾来転居数回、戊辰以来の経歴の詳細は履歴書に記した。

 これまでの記憶しているところを書いてみたが、これにあの戦争中に弾丸で傷ついた小刀を添え置くことにする。
 また、籠城中の守戦配置の概略を図にし、朱雀寄合四番隊の人名書を付記しておく。

隊       長 芦沢生太郎
小   隊  長 山田信蔵 篠田岩蔵
半   隊  長 土谷梶之助 樋口栄太郎
一番嚮導小隊 吉田義道 野田寅之助
          池田勝弥 松崎先之輔
二番嚮導小隊 林八太郎 池田信太郎
          新城金治 清水儀八郎
属   事  係 佃清之丞 井深清太郎
          渡辺左右輔 深瀬犬之助
          江川栄之進

隊      士 野田寅之進 岡田小八 新城金治 林八太郎 西川彦太郎
          塚原豊之進 松崎先之輔 三沢主税 佃清之丞 池田佐太郎
          林八三郎 井深清太郎 清水義八郎 林勝吉 深瀬丈之助
          星啓蔵 菊地虎求 渡部左右輔 磯貝六郎 楡井次郎 
          江川栄之進 沢田源太郎 木間民次郎 吉田義道 佐藤為次郎
          桑名定蔵 池田勝弥 雪下熊三郎 斉藤勇治 斉藤滝江
          今井熊之助 吉川寿衛 松見清吉 赤沼勝吾 福田誠助
          相原清三 五十嵐忠三郎 結城理兵衛 中川悦藏 渡辺茂万
          鈴木三猪 石川源蔵 玉川卯三郎 長谷川孝吾 佐藤芳之助
          合田吉之助 竹田幸之助 長坂英吉 長谷川恒蔵 永井清八
          渋井幸吉 木村又市 高島彦作 吉田藤八 片岡禎助 若林甚之助
          金子安蔵 渡辺次郎 栗村豊之進 吉田亥三郎 井関関之助
          須貝次郎八

 


※注釈

[出典]
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/frame9/anrui.htm

「暗涙之一滴」は、会津藩の下級藩士であった三沢千賀良の手による戊辰戦争の従軍記です。

 千賀良は朱雀寄合四番隊の隊員として白河戦線から戦闘に参加し、各地を転戦しながら鶴ヶ城開城まで戦い続けました。筆マメだったらしい彼は、戦闘に明け暮れながらも日々のことを記録し続け、戦後に東京護国寺で謹慎中にもさらに加筆しつつ完成させたのが、この「暗涙之一滴」です。

 内容は所々に生真面目さゆえの可笑しみなどが散りばめられており、悲惨なはずの戦争体験が喜劇的な要素すら含んでいることに改めて驚かされるとともに、思わず釣り込まれて読み続けてしまう「会津戦争の一側面」が多々記されています。

 原文は勿論固い文語体ですが、これを呆嶷が多少の意訳を含めて読みやすい現代語の文章に改めてみました。
 千賀良の文章が持つ本来の雰囲気は損ねてしまっているかもしれませんが、会津藩下級藩士が見た会津戦争の一端を少しでも知ってもらえることができればとの所為でありますので、それはそれとして御容赦いただければ幸いです(^.^) 

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