| さて、そしてオーラスは三浦半島の雄、三浦一族の「十二所神社」へ。所謂三浦十二天だ。三浦大介の弟三郎為清(葉山長者伝説を解説していた芦名三郎為清)が芦名に館を構え、その守護として創建されたという。 |
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| まぁ、今から三浦氏に関して長広舌をふるったりはしませんのでご安心下さい(笑)。もう、この辺は先への布石、という感じで簡単に。というより未だに「三浦十二天」とは何であるのかあたしは良くわかっていないのだ。今は十二所神社として神世七代の神々を祀るが、「十二天・十二天明神」だったのであり、それは本来ではない。船の祀る十二方(十二船玉)と関係が深いと見ているが、よく分からない。 |
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| で、かてて加えて行くまで知らなかったのだがこういう社地構成なのだ。末社群の方が大鳥居からの参道の正面なのであります。これはちょっとナニかある。 |
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| うーむ。境内社は「八雲社・若宮社・稲荷社・大山社」手前一段低いのはお神輿殿。どういうことだろうかねぇ。「ハーイ、毎度おなじみラストクエスチョンです」となるのだね、どうも(笑)。 |
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| 境内の不思議石祠。特に奥から二番目とかは「どうしてこうなった」状態。何を意図した造形なのか。 |
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| ともかく、この先の佐島・長坂の方も相当に謎深い文物山積みなのであり(例の武氏の土地にも入るし、なんと「祖母神社」まである)、そちらを一巡りしてからまた十二天のことは考えることになりましょう。その際にはまたひとつ、と。 |
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