2014年12月4日木曜日
林檎発祥地
りんごの発祥之地
北海道余市町山田町
JR函館本線の余市駅から西に1.5km。
余市運動公園の南西側に“よいち観光温泉”と“吉田観光農園”があり,その敷地内に「りんごの発祥之地」という平板型の石碑が建っている。
日本におけるリンゴ栽培は非常に古く,平安時代には既に中国から持ち込まれたリンゴ(和りんご)があったといわれるが,西洋種のリンゴが持ち込まれたのは江戸時代末期で,松平春嶽(福井藩主)が江戸の藩邸で栽培し食用にしたという。
戊辰戦争に敗れ会津の地を追われた会津藩士は,多くが陸奥国(現・むつ市)に移住して斗南藩を起こしたが,一部の藩士たちは蝦夷地の開拓団を結成し,193名が1871(明治4)年に余市地区に入植した。
当時 北海道開拓使次官であった黒田清隆は,アメリカで農務長官を務めていたホーレス・ケプロンを開拓使顧問として招聘し,ケプロンはリンゴ・ナシ・サクランボ などの苗木を持ち込んで栽培を奨励した。1879(明治12)に500本の苗木が余市の農家に配布され,日本で初めてのリンゴ(西洋リンゴ)が実をつけ た。これは「緋衣(ひごろも)」と命名された。
ちなみに「緋衣」の名前は,リンゴの赤色が 会津藩主松平容保が孝明天皇から下賜された「緋の御衣」の赤を連想させたために名づけられたという。
余市産の 緋衣・国光などのリンゴは農業博覧会に出品され好評を博し,高値で取引されるようになり,生産も軌道に乗り,余市地方は北海道におけるリンゴの一大産地に発展した。
緋衣は 明治時代から昭和の初めまで 北海道余市地方の代表的品種だったが,その後新品種が開発されたために生産量が激減し,現在ではほとんど生産されなくなった。しかし会津出身の吉田清亥氏が経営する吉田観光農園では 緋衣の原種がまだ大切に保存・栽培されている。
[出典]
http://hamadayori.com/hass-col/agri/Ringo.html
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